我が落語三傑~四代目春風亭柳好の事~

我が落語三傑。二人目は、四代目春風亭柳好(1921~1992)

「春風亭柳好」という名、良識ある落語ファンであれば通常イメージするのは、三代目(1888~1956)だろう。落語ファンだけでなく、同業者からも根強く支持される三代目。十八番から異名は「野ざらしの柳好」。出囃子「梅は咲いたか」に乗り、万雷の拍手で迎えられ、出囃子が止むと、「柳好節」としか言えないあの調子。「えっへぇ~、お古い所を、一席、申し上げます」。活字でこの良さは1㎜も伝わらないから、興味ある人は是非とも聞くがヨロシ。天性の明るさと粋を纏った調子に、一度心を鷲掴みされてしまったら、もう三代目柳好を外して落語なんぞ聞いてられない。全編陽気、全編粋の塊。その軽快な語りのリズムは、「語る」というよりも「歌い上げる」という表現に近い。「野ざらし」「ガマの油」「電車風景」「羽織の遊び」「青菜」「鰻の幇間」…

まだ落語に対して、そこまで深く知らない頃、テレビ特番「たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5〜6個のこと」で、ビートたけしが柳好の「野ざらし」を、落語のまね事的な感じで高座で披露していたのを目にした。たけし流のギャグも散りばめられつつも、土台となる柳好の陽気さ、粋さも垣間見え、すぐにオリジナルを聞きたい欲に駆られて、聞いてみたら驚いたのなんの。その圧倒的な陽気とリズミカルな歌い調子の迫力にカルチャーショックを受けた。「落語って、こんなにご陽気で軽やかに演っていいんだ」と。

このまま行くと三代目の事で文章が埋まってしまうので、この辺で止めておく。そんな名人「三代目柳好」に魅せられて弟子となり、先代とは違う旨味を誇ったのが、今回の主役「四代目柳好」。

出囃子「おいとこ」(残っている音源を聞くと、どういうわけか大半は先代同様「梅は咲いたか」になっている)に乗り、高座に上がる。この師匠には、開口一番お決まりのフレーズがある。これが「四代目春風亭柳好」という芸人の人柄、旨味を絶妙に表している。

「落語を演らせていただきます」

これが可笑しい。「落語家なんだから、落語を演るのは当たり前だろ」というツッコミは勿論、出囃子と観客の拍手が鳴りやんで一拍の刹那の間と、不器用さと実直さを感じさせる低音の調子に反して、とぼけたイントネーションで繰り出される一言の意外性(イントネーション通りだと、「ら~くごをやらせていただきます」)。何てことのない一言の中に、四代目柳好という芸人の旨味・人柄が凝縮されていて、得も言われぬ可笑しさに心が惹かれる。四代目柳好を語る上で、このキラーフレーズは外せないのだが、市販されている音源には、このフレーズが含まれている物が少ない。実に惜しい。

四代目柳好、存在は周知していたものの、本腰を入れて聞く機会には長年巡り会わなかった。数年前、中古ショップで見つけたCD。小学館から発刊されているCDマガジン「落語 昭和の名人」シリーズ。その第12巻は三代目・四代目柳好の演目各2席を収録されているのだが、そのCDのみが500円程度で販売されていた。自分はこのシリーズのCDが中古屋で販売しているのを見ると、ついつい買ってしまう。値段が安価な上に、初商品化の音源も含まれている場合もあるので、そのプレミアさにそそられるのだ。

「お、柳好あるじゃない。考えてみれば、柳好のCDって持ってないし、それに「野ざらし」も入ってる。買いやな。」と、申し訳ないが、この当時四代目柳好については眼中に入っていなかった。いざ買って三代目柳好の「野ざらし」の粋さ、リズミカルな語りを楽しみ、もう1席の「青菜」も実に結構。それに満足して、買ってから数年間、四代目の音源を聞く事は無かった。久しぶりにCD聴き返そうと思い立ち、「そういや四代目柳好って、聞いた事なかったな」と思い、何気ない心持で聞いてみた。演目は「牛ほめ」。

笑った。とにかく笑った。なんじゃこりゃ。抜群に面白い。そして聞き終わった後に押し寄せた「なぜもっと早く聞かなかったのか」という引き返せない後悔。

「牛ほめ」は古典落語で、いわゆる前座用の噺として位置づけられてはいるものの、口上の難解さなど山場も多い。落語国の大スター・与太郎が大活躍する「与太郎噺」の代名詞的な落語の一つ。この与太郎のスケッチが、四代目柳好は抜群なのだ。どこからか息が漏れてるかような口調でスケッチされる与太郎の淡々とボケ倒す「THEマイペース」っぷり。そこには、ありがちなスラップスティックな誇張は無く、決して「単なるバカ」という扱いで描いていない。そこへ軽妙に加わる、周囲の人物達の振り回されっぷりの実に気持ちのいい事。そして与太郎に対するツッコミの手数の多さ。淡々とした物から、間髪入れずバシッと決まる物まで、与太郎の持つ切れ味、爆発力を何倍にも膨らませる。

マクラで語られる与太郎の小噺も、本題に入る前に絶妙な力加減で心をくすぐってくる。活字だとその良さは全く伝わらないのを重々承知で、好きな小噺がある。

「あんちゃん、1年は13か月だってね」

「だからオメェはバカだってんだ。しっかりしろよ。1年は14か月じゃねぇか」

「そうかな。だって、1月だろ。2月、3月、4月、5月、6月、7月、8月、9月、10月、11月、12月、お正月… やっぱ13か月じゃねぇか」

「バカ。お盆が抜けてらぁ」

活字に起こすと何てことのない小噺だが、これを四代目のフワフワした口調で聞くと、抜群におかしい。

与太郎も素晴らしいが、窮地に追い詰められて、しどろもどろになる人物の様を描かせても抜群に面白い。息の抜けた語りと不器用な人間味が、噺の登場人物達とリンクして、噺の空気を芳醇に香らせる。

先に書いた「牛ほめ」を始めとする、「かぼちゃ屋」「道具屋」といった与太郎が活躍する話は問答無用に面白いし、「禁酒番屋」「付き馬」「お見立て」「味噌蔵」「小言幸兵衛」「宿屋の富」「二十四孝」「蒟蒻問答」…と傑作が実に多い。そして、どんなに長く演じても三十分行かない。ほとんどが二十数分。大ネタとして扱われる「宿屋の富」や「粗忽長屋」なんかも十数分で演じてしまう。まさに「寄席芸」の軽さ。大人数で熱演を盛大に味わうホール落語ではなく、数十人の客がいる寄席で肩の力の抜いてじっくりゆったりと笑って楽しむような、そんな雰囲気が噺から感じられた。

四代目は三代目のような歌い調子の芸風の継承は無かったものの、先に挙げた与太郎物を得意とし、独特のとぼけた味わいで先代とは全く異なる唯一無二の芸風を作り上げた。並大抵の苦労じゃなかったはずだ。名跡の襲名となると、必ず先代の芸の継承が引き合いに出されるが、独自の「四代目柳好」というブランドを見事に確立している。

世論的にどうしても光が当たるのは「メジャー」な三代目であり、四代目は自ずと「マイナー」の方へと追いやられてしまうのが、好きな身としては何とも言えない心持になる。なぜもっと色んな人が「四代目柳好」を書いてくれないのか。評してくれないのか。でも、こういった現状も、実直で不器用な四代目らしいといえば、らしいとも思える。そう思ったら、またおかしみが込み上がってくる。


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