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横浜マラソン完走してきた話

noteで日記書いてくぞー!と張り切っていたあの日はいつだったかしら?w
あんまりネタにできることもそうそうなくて、月日が流れていきました。
今日はネタができたので、書くことにしました。
タイトルの通り、フルマラソンを完走してきたことを書こうと思います。

日が経ちつつあり、鮮度も落ちつつありますが、滅多とできることではないので、書き残します。

会社イベント

私の勤務先のソニックガーデンはフルリモートワークを行っているため、基本自宅で仕事をしています。
従業員も同じく在宅ワークを行っています。
在宅ワークの利点の1つは通勤がないことが挙げられますが、同時にこれはデメリットにもなります。
というのも、運動不足になる。からです。

そこで、会社は2年連続となる、歩くイベントを今年の春も実施しました。
その名もSGウォーク。
若い社員が企画運営をして、社員たちに歩きたくなるようなイベントを提案、実行してくれました。

ウォーキングにハイキング、ジョギング。イベントにまつわる日記を書いたら、景品をもらえるよ!なんていうのまでありました。

ちょうど私と一緒に仕事をしている女性社員が朝活ウォークという名の朝活兼歩くイベントをスタートしました。
ただ、朝早起きをして、Zoomで喋りながら歩いたり、走ったりする。というものだったのですが、朝の弱い彼女からの依頼で、一緒に活動をスタートしました。

ジョギングは過去には行っていたのですが、最後に走ってから2年以上経っていたため、続ける自信は正直なかったのですが、彼女が朝頑張って起きている!というのを支えにできる限り参加をしました。

そのおかげもあって、3キロくらい走っては息あげていた開始当初から比べると徐々にスピードも距離も伸ばすことができました。

皇居ラン

ジョギングをすることが習慣化したころ、別の若手社員が皇居ランが企画されました。
東京近郊に住むメンバーで走りたい人ー!ということで集ったのは私を含めて4名(社長含む)
皇居近くのランステ(ランニングステーション)で待ち合わせをして4人揃ってスタートしました。
2周は走るぜ!と息巻いていた私でしたが、突然の腹痛に襲われ、1人だけ1周でリタイアしたのは苦い思い出。

横浜マラソンエントリー

歩くイベントに参加した当初では到底考えられない、フルマラソン初チャレンジがなぜ遂行されたのか。
それはノリと勢いがあったからです。

たまたま東急東横線に乗車していると中吊り広告で「横浜マラソンマラソンエントリーXX日まで」といったものを見たとき、不覚にもエントリーをしてしまったのです。
ええ、あの時はランニング熱がえらい高かったからね。
以前、私は東京マラソンにエントリーを何度かしたことがあったのですが、見事に抽選に外れたので、きっとエントリーしたところで、抽選には外れるだろう、と高を括っていたのです。

マラソン熱急降下

会社の歩く(走る)イベントも終了し、季節は夏を迎えると、もう外で走ろうなんていう気持ちは到底生まれず、クーラーの元で日常を過ごすことになるわけです。
ところが、当選のメールを受け取ったことにより、事態は急変します。
エントリーを辞退することも考えたのですが、あのノリノリだった時に同僚たちに豪語してしまった「横浜マラソンもエントリーしたので、今年は走る年にするぜぇぇぇ!」を撤回するのを恥じ、そこそこ高い、参加費を払うことにしました。

練習に明け暮れナイ

まったくもって、練習する気がおきなかったのですが、いよいよ9月に入るとそうも言ってられず重い腰を上げて練習を開始します。
と、言うても5キロが精いっぱい…。
10月に1度10キロ走ったのが最長で、まったく体を仕上げずに当日を迎えることになります。
前日は捻挫か骨折しないか祈る弱い自分がいたことを認めます。(笑)

マラソン当日

2023年10月29日(土)めちゃくちゃ寒かったです。
横浜ランドマークタワーに集まったランナーたちはレインコートを羽織り、スタートが切れるまで寒さをしのいでいました。
準備の悪い私は腕をTシャツの中に入れなんとか待機時間(先頭集団がスタートしてはけるまでの30分)を過ごしました。

スタート地点には横浜マラソンという名にふさわしく、横浜ベイスターズのハマの番長に変装した人がいたり、神奈川県知事の黒岩県知事がハイタッチでランナーたちを送り出してくれていました。
私もハイタッチしました!

勢いよくスタートして、沿道の応援してくれる人に手を振ったりハイタッチしたりして美しい横浜の街を駆け抜けたのですが、県庁前の銀杏並木の銀杏の匂いには閉口、いや、閉鼻しました。
早く、このデンジャラスゾーンを抜けたい!その一心で前に進みました(笑)

1キロおきくらいにトイレが用意されていたのですが、どこも行列で、少しでも空いている場所をと思っていたのですが、どこにもそんな場所はなくトイレに立ち寄ろうとすると、沿道スタッフから「次のトイレは空いています!次は800メートル先です!」と言われ、頑張って次のトイレを目指しました。
そしてようやく次のトイレポイントに着くとまたしても、スタッフから「次のトイレは空いています!次は800メートル先です!」と言われ、これを3回繰り返したところで限界を迎え、列に並び、安堵と休息を得ます。

一度休むとめちゃくちゃ疲れる。というのをここで知りました。

私の当初の目標はハーフは走り切りたい(リタイアする気満々)だったので、20キロを越えた時にはすでに達成感がありました。
南部市場という場所がちょうどそのあたりだったのですが、私をさらに走らせる要素がそこにはありました。
ランナーズ、高速道路を走る

テンションあがるー!高速道路走れるー!
きっと私以外のランナーズも同じテンションだったに違いありません。周りの人達もスマホを片手にこの様子を撮っていました。

嬉しさひと時、地獄永遠

高速道路に入った瞬間が100とするならば、その後は2とか3とかでした。
永遠に、高速道路が終わらないのです。
同じ景色の中を1往復半もすることになるとは想像もしていませんでした。
よそのランナーたちとも「もうこの景色飽きましたね」なんて愚痴をこぼしながら、歩いたり、ストレッチをしたりして、ゆっくり前に進んでいきました。
なので、同じ人に追い抜かれたり、追い抜いたりしていたのですが、ランナーたちは大体同じスタイルなので、コスプレか特徴的なTシャツを着ていない限り、誰が誰だかわかりません。ですが、新庄の顔写真いっぱいTシャツを着たこのお兄さんの背中は忘れません(笑)

沿道のイケメンを発見

ようやく高速道路を降りて、やれやれとしたところでイケメンを発見した!
おそらく、おそらくですが、鶴見辰吾さんだと思われるイケメンを見つけてテンションがあがります。
この喜びを誰かに共有したくて、後ろからやってきたお兄ちゃんランナーに「ねぇあの人鶴見辰吾じゃない?」と突然問いかけてみるも、知らないおばさんに突然マラソン中に呼び止められ、「あの人芸能人じゃない?」と確認される。という処理しきれない状況に困惑していました。
とってもとってもとっても迷惑。すみません。
今でもあの時、勇気を出してご本人だったかを確認すればよかったと後悔しています。

残り5キロを切り、少しずつゴールが見えてきたので、走りにも力が入ります。
ここまで来てリタイアするわけにはいかない!と気力でなんとか走っている状態でした。
手元のスマートウォッチが実際の距離より600~800メートルくらい手前で表示されあるため、一喜一憂しながらもなんとか走り切り、ゴールを迎えました。


最高やー!

最高のフィナーレはこの写真を撮っているときで、もう次の瞬間には痛みに悶えるBBAでした。
足がまったく動かない。1歩進む度に激痛が走る。
それを繰り返しながら、タクシーを探します(弱小)
タクシーを見つけるも、若者3人組が乗り込もうとしていたので、どこまで行くつもりか尋ね、交渉して、相乗り成立。
おばさんがタクシー代払ってあげるから乗せて!とお願いして、同乗させてもらいました。
若者3人は1人女子のみ走って男子2人は応援組だったそうだが、今から飲みに行ってきます!と言っていたので、その若さと体力に脱帽しました。

振り返り

人生で一度はやってみたい、と思っていたフルマラソンを今回達成することができたことは本当によかったと思います。
ただ、もう二度と走りたくない。そう今は思っています。
記録は5時間40分。

満足しています。
ちなみに、前述で出てきた鶴見辰吾さんはマラソンを3時間台で走っていました。すっご!
あの日からインスタをフォローするようになりました(笑)

2023年会社のイベントをきっかけにジョギング習慣が復活した上半期、下半期はまた自分を鼓舞しながらなんとか走り切れたフルマラソン。
来年はこんな無茶なやり方ではなく、もう少し無理なく健康的な運動を続けられるといいなと思ってます。

ちなみに、横浜マラソン以来、一度も走っていないので、すでに雲行きが怪しいです。

という、勢いで横浜マラソンを走り切った話はここまで。






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