見出し画像

計画ができないジンバブエ人と今を楽しめない日本人

日本では小学校の頃から計画は大事ですよ、と教わる。夏休みの宿題、テストのための勉強計画、課外活動でも成果を上げるためには逆算して考える必要がある。仕事ではプロジェクトマネジメントという仕事があるくらいで、日本だけでなく西洋の文化では、計画を立て、その通りに実行することが正しいとされている。

ジンバブエに来て2週間。1番違いを感じているのは、時間の捉え方かもしれない。というのも、こちらの人は、計画ができない。そもそも、スケジューリングして進めましょうね、という文化自体が見受けられない。たとえ計画があったとしても、計画通りに進めることもあまりできない。「ほんっと、計画してやるってことができないよね〜」というのは、もう既にここで働く日本人から非常によく聞く言葉である。

まぁつまり、日本人(特に現地人と仕事をする協力隊員)は基本的に「なんでお前らはせっかく作ってやった計画通りにやらないんだ!」とか、「なんで事前に考えないんだ!」ということにイライラしているように見える。イライラしているというか、そういうもんだと思って諦めているというのが正しいのか。わたしはまだ活動も始まっていないし、実感値はまだまだこれから高まるんだろうなあと思っている。

”計画できない”ジンバブエ人

例えば、先日、JICAが資金を援助し、ジンバブエ人が主催する1Dayツアーに参加した(JICAの観光専門家が入って、観光ツアーを作ろうとしている場所のモニターツアー。車で2.5時間ほどの、Tengenengeという彫刻職人が住んでいる村を訪れた)。

そのときは、まずバスの出発が1時間遅れ。着いてもちゃんとした時間のコントロールをしているような人は見受けられない。次はこれね、次はこれね、というのはなんとなくあるけれど、基本的にだらだらと時がすぎていく。要はタイムスケジュールというものはなさそうで、コンテンツだけがある感じ。日本人の私たちは暗くなる前に帰れると聞いていたので何時に帰れるか気にしてやきもきしていたけれど、他のジンバブエ人は呑気に夕方になっても楽しんでいた。結果、帰り着いたのは渋滞もあって真っ暗になった20時過ぎ。

どちらかというと、時間を守ることより、準備したコンテンツは全部体験させてあげたい!という思いの方が強そうに見えた。うーん、まあわからなくはないけれど!

他にも、学校で聞いた話だと、やり方がわからなくて宿題がクラウドに出せないというので、締め切り30分前にヘルプを求めにくるとか。日本人からしたら「いやもうちょい前にわかるやん」ということが日常茶飯事なのだ。それほど、彼らには”先のことを考える”という習慣がない。

しかし、これは必ずしも悪いことではなく、いろいろな背景があり、同時に我々にも見習うべき点はありそうだ。

先にも言ったように、ジンバブエを含むアフリカには、未来を描くという考え方自体があまりない気がする。その理由としていくつか聞いたり調べたりした点をまとめてみよう。

経済崩壊

特にジンバブエは、経済が一度、もうどうしようもないくらいに崩壊した国だ。今もその名残は強く、多くの人が日銭を稼いでその日暮らしをしている。普通に働いている人たちも給料だけでは生きていけないので、職場で作ったクッキーを売ったり、鶏肉を市場で買ってきて売り、1日数ドルを稼いでそのお金で食べるものを買って生活している。

こんな国で、未来を描くことは難しい。またハイパーインフレが起こるかもしれない。どんなに頑張って稼いだって、貯金が1番ハイリスクなくらいだろう。日本で想像するならば、せっかく数年稼いで貯金した数百万円の価値が今日、急に100円分になりました、と言われたと思ってほしい。この国の人にとって、お金なんていうものは使えるうちに使ったほうがいいのかもしれない。

計画して貯金をする、とか、未来のことを考えて働く、というのは、リスクが高すぎる環境ではそもそも難しいことなのだ。

コミュニティ文化

先々のことを考えるという考え方がないのは、コミュニティ社会というのも関係していそうだ。ショナ語の現地の先生に聞いてみると、昔から村社会で、働けない障害者や未亡人、老人などは、村で採れた余った食べ物を分け与えることが普通だったという。

これは社会主義にも近くて、農業などの生産は主に村長が管理して、場合によっては分け与えたり、分け与えられたりする。平等だけれど、個人で未来を描く必要はあまりなさそうだ。なんせ作物ができなかったって、連帯責任。逆に、頑張ってたくさん採れたとしても、持っていかれるので自分の取り分は増えない。そもそも気候がいいし、頑張らなくてもその辺に食べ物があって生きてはいける。自分で計画して、成果物をたくさん作るという必要性が少ない文化だったのだと思う。

その日暮らしのアフリカ人

アフリカ全体にこういった文化があるのかなぁと思ったのは、タンザニア研究をされている小川さやかさんのコラムを読んで、まさに今感じている違和感がこれだ!と思ったから。ちょっと長いけれど、タンザニアでの筆者のトンデモ経験がとっても面白いのでぜひ読んでみてほしい。

大学で開発経済学と文化人類学を同時に学んできて本当によかったなあと初めて思えた気がする。実感値としてこの話が理解できてものすごく感動した。そしてこのコラムを読んで、ああ、だからアフリカは経済的に発展しづらいんだなぁと深く納得してしまった。

なんというか、経済的な発展というもの自体が西洋的な考え方なのである。ジンバブエには元々そんなものは存在しなかった。みんなで今年の分の野菜を作って、家畜を育てて、物々交換でうまくやっていく。そして来年のことくらいはちょびっと考えようか。そんな世界だったのだ。

そこにヨーロッパがやってきて、植民地化され、西洋のモノが入ってくる。その状態で独立したはいいものの、どうしても彼ら自身のやり方だと、農業であっても工業であっても、物流ひとつとったって生産性の最大化が下手くそなのだ。これはもうどうしようもなく、下手だ。

まず時間が守れない。時間を守りましょう、計画通りに動きましょうというのは、生産性を高くするための約束だ。1人が1時間遅れたら、待っている人がその間にできる仕事ができなくなる。計画を立てることで、成果物が出来上がったり、成果物のクオリティが上がったり、次の仕事に行けたりする。彼らも、社会がぎりぎり成り立つくらいのレベルまでならできる(例えばスーパーの営業時間は早いけれど守っている感じがする)。けれど、社会全体として、プラスアルファのクオリティのためには動くことができないのである。

ジンバブエ人の中には時間を守るという概念が非常に薄いので、これがまず経済発展の大きな壁のように見える。「遅れたらその人の時間を奪っている」という考え方を教えたらどういった反応をするんだろうか。そういう考え方自体があまりない気がする。みんな、たっぷりある時間の中で生きているような。時間?ちょっとくらい、取られてもいいよ〜という余裕は確かに感じるので、それはもはや良いところと捉えた方が良いのかもしれない。

”計画”が得意な日本人

日本社会のせせこましさに思いを馳せながら、同時に、だから日本は敗戦国から経済大国になれたんだなあとしみじみしてしまうのである。日本人の計画的に仕事を進めるスタイルは、結果を出すという点においてなかなかに素晴らしい。

日本は、日本人の国民性がたまたま西洋の価値観とばっちりハマっただけで、GDP世界3位という西洋の基準の中にいるだけなのだ。この「経済的に豊か」という結果は、日本人の計画性の賜物なのだと思う。ちなみに、失礼だが、ジンバブエ人には今の所、逆立ちしたって日本と同じ生産性の工場は作れなさそうである。

これは、どちらがいいという話ではないと思いたい。日本もそのまじめな気性の結果、うつ病患者は増え、息がしづらい人も多そうである。しかし、大多数の人の価値観だと、日本の方がインフラが整っていて、ちょっと働いたらちゃんと価値がある通貨でお金がもらえて、物がたくさんあって、美味しいご飯のオプションが多い日本の方がいいということになりそうだ。実際、今はジンバブエ人もほとんどの人がそう言うだろう(それほどに、この国の中身は今大変なことになっている)。

計画できるけれど”今”を楽しめない?日本人

けれど、日本人でも、アフリカのゆったりした価値観の方が生きやすいと言う人もいるはずなのだ。ジンバブエの状況はちょっと経済や医療状況が悪すぎるけれど、たとえばボツワナやザンビアといった近隣国はもう少し経済的に豊かで、ちょうど良さそうに見える。ちょっとくらいモノがなくても、ちょっとくらいGDPが低くても、たっぷりある時間の中で今日明日のことだけを考えて生活するスタイル。

日本だと、例えば、キャリアは未来のことを考えて逆算して積んでいくのが正しいとされていて。正解の道が一本で、そこから外れたらレールを外れた人、という扱いをされることもある。最近はいろんなキャリアが認められるようになってきて変わってきたと思うけれど、体感だと50歳以上の人たちはそういった考え方の人もまだまだ多いように感じる。

けれどそれって、”今”を蔑ろにしていないだろうか? 今現在という時間に主軸を置かず、未来にばかり視点を合わせていると、今の自分がすり減って未来まで持たないような気もする。アフリカ人から時間の考え方を学ぶのも一興かもしれない。

最近、POOLOの仲間たちが現在・未来について考えているnoteが面白いので、最後に紹介させてもらいたい。POOLOのテーマの一つだったウェルビーイングを考える上で、今と未来のバランスをどう取っていくかがいかに重要なテーマかわかる。

▼逆算<今 を大事にしたいというコージーのnote。

▼「今」を愛したいというさんちゃんのnote。


おまけ・ADHDはアフリカで暮らしやすいかも!?

こんなに時間の捉え方にショックを受けるのは、私がADHDの気質があるからかもしれないと思う。なんせ、私は計画性がない、優先順位がつけられない、時間を守るのが苦手、という、まさにアフリカ人みたいな人間なのだ!

ADHDとアフリカ人の共通点

ADHDの症状の一つとして、ワーキングメモリが少ないということがある。要は同時にたくさんのアプリを立ち上げられないパソコンみたいなものである。一つ立ち上げると一つを完全に閉じないとエラーが発生する。

締め切りどおりにワーク①とワーク②とワーク③をAさんとBさんとCさんに出す!みたいなことが仕事だとしたとき、ワークごとにアプリが3つ必要なイメージ。そして、それをきちんとこなすには計画が必要だけれど、計画するにももう一つアプリが必要で、、みたいなことをやっていると、どこかでアプリを変なところで閉じないといけないのでミスが発生する。出せなかった!とか、必要な情報が足りなかった!とか。

(というか、今思うと日本でサラリーマン生活をするのって、会社や職種にもよると思うけれど、求められるワーキングメモリが高すぎやしないだろうか。これは甘えなのか??)

アフリカ人もこれがとっても苦手だと思う。彼らはそもそも、文化的に大容量のワーキングメモリの必要性がなかった。幼少期から習慣もないので、トレーニングが足りていなさそうだ。だから仕事になった時に計画性がなくて日本人によく怒られている。

アフリカが向いていそうなADHDの人

とあるADHDグレーゾーン診断済みの友人は、できるだけ計画は立てたくないと言う。来週のご飯の約束もできるだけしたくない(その時行きたいと思うかわからない)し、3年後何をしたいかなんてわからないからそこに向かってキャリアを積むという考え方自体が無理、という話だった。私もそこまでではないけれど、ちょっとだけわかる気がする。そういう人はアフリカで1年くらい生活してみたら案外馴染むかもしれない。なんせ似ている。計画性がないことの理由が違うけれど、やっぱりアフリカ人は基本的に雑だし、割としっくりくるマインドを持っている。

アフリカという地域は、きっちりやりたい人にはどう考えても向かないけれど、のんびり今日明日何やるか考えて今を楽しんで生きていきたい人にはとりあえずおすすめできる文化がある場所だと思う。


かくいう私も、まだアフリカに来て2週間しか経っていない。今後この考え方も変わっていくかもしれないけれど、それも楽しみにしているところである。

もしよろしければサポートお願いいたします。 いただいたサポートは新たな旅の資金とさせていただき、新しいnote記事のための経費とさせていただきます。