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[Report] ジンバブエ人の国民性と文化 〜所変われば正義まで変わる〜

ジンバブエに渡航して気がついたら2ヶ月が経過した。なんだか暇な時間も多かったので長かった気がするけれど、この先はどんどん早くなっていくんだろうと思う。

最近は、任地の教員養成校に赴任して、いろんな課題を認識し始めているところ。いやあ問題だらけで頭を抱えているけれど、その話はまた今度にして、今回はこの2ヶ月で感じたジンバブエ人の国民性とその文化について、いろんなデータやニュースも引用しながらレポートしてみよう。

穏やかで優しい性格

もちろんいろんな人がいる。だが全体を平均すると、ジンバブエ人は他のアフリカよりも勤勉で、穏やかな国民性だと言われている。JICAが用意した協力隊用の資料(各国公開されているのでみてみると面白いかも)の中にもそんな記載があった。来る前はほんまかいな、と思っていたけれど、実際に来てみてわかる。みんなたしかに穏やかで友好的、冗談が好きでよく冗談を仕掛けては笑っている。

また、アフリカの中で見るとジンバブエは安全だと言われている。これも穏やかな国民性が関係していそうではある。Macrotrend.netというページのCrime Rateを見てみると、南アフリカは100人中33.46(2020)、ジンバブエは7.48(2012)だった(データが古いものしかなかったが、近年のデータは2010年代の経済破綻によって、この国では計測不能なのだと考えられる)。

体感としても、例えば隣国の南アフリカよりもジンバブエの方が全然怖くないという声をよく聞く。南アのヨハネスブルクに住んでいた人の話では、街は昼間であってもできるだけ歩きたくないということだった。対してジンバブエは、昼間であれば大体のところは歩ける気がする。もちろん日本よりは注意が必要だし、危険なエリアもある。だが注意していれば特に危ない目に遭うことは少ないんじゃないかと思う。

治安に関しては国民性以外にもっといろんな要因も考えられる。例えば、南アフリカは貧富の差がジンバブエよりも格段に激しい。貧富の差を表すジニ係数は、南アフリカで57%(2018)、ジンバブエは50%(2019)である。ジンバブエは2011年には42%であったということなので、近年やはりどんどんと格差が増しているけれど、それでも南アフリカよりも格差は少ないと言える。

ジンバブエはかなり貧しいけれど、みんな揃って貧しい感じがする。元独裁者のムガベ元大統領が白人から土地を取り上げて黒人に再分配した(2000年: Fast Track Land Reform Programme)などの歴史もあり、GDPとして算出するとその値は低く、欧米から批判されている。しかし、南アと比べたら絶対に貧富の差は少ないのである。どちらの方が治安が悪くなりそうかと言ったら、南アフリカの方だろうとは考えられる。

また、ジンバブエ人、意外にも、街中で困っていると結構たくさんの人が助けてくれる。先日もターミナルバスを降りて、迷ってる感じを出していたら大丈夫か?と道ゆく人が何人も心配して声をかけてくれた。優しいのである。キリスト教の国なので、宗教観も影響している感じがする。

(他のアフリカに比べて比較的)勤勉で教養レベルが高い

特に私のいる教員養成校では、学校の開始が水の供給不足で2週間近く遅れたのだけれど、その分を取り戻すために夜中まで教員たちが働いているらしい。昨日は夜中の1時くらいに帰ったよ、という人がいてびっくりしてしまった。日本のブラック企業と同じくらい働いているのだ!ものすごく少ない給料で。彼らは月に100~200ドルしかもらえていない。よく働くジンバブエ人(全然働かないやつもいるが)!

そして特に教員養成校で教員をやっているような人たちは、大学の学位はみんな持っていて、中には修士号を持っている人も少なくない。

街中で果物を売っているような低所得そうな人も、学位は結構みんな持っているのだという。大学のレベルがどうなのかはまだよくわからないし、イギリス式なので修士号が1年で取れてしまうということもあるけれど、修士号を持つ人の割合は結構高いような気がしている。

ユネスコのデータを見てみると、ジンバブエ人のUpper secondary education completion rate(18-19歳までの教育を完了した人の割合)はトータル15%程度らしい。

Zimbabwe Education Fact Sheets | 2021 より抜粋

これはちょっと私の実感値とは異なる。統計がうまくとれていないか、私が賢い人たちと関わっているだけなのか、まだよくわからないけれど、実感としてはもう少しみんな高校くらいまで行っているような気がする。なんせジンバブエ人は学歴を気にするし、使用人でさえ高校時代の成績などは必須とされる場所もあるらしい。

そしてこの国は今、経済が本当に大変なことになっているので、修士号を持つ人でさえまともな職がないと言われている。人口の90%以上がinformalな仕事(税金を納めないような小規模ビジネス)をしているというデータもあるくらいだ。非常にもったいない!

頭がいい人ほど、国外に流出していくというのがこの国の常識。例えばこの国の医師や看護師、弁護士といった資格は旧イギリス宗主国の名残でイギリスでも通用するらしく、イギリスで働く人も多いらしい。ジンバブエで働くと給料が低いが、外国なら普通に働いて数倍、下手すると10倍以上の給料が手に入る。海外で働き、本国の家族に送金するのが彼らのミッションなのだ。

比較的勤勉で頭が良いので、イギリスだけでなくいろんな場所で「上司」の立場になるのはジンバブエ人が多いという話もある。南アやボツワナの会社でお偉いさんがジンバブエ人というのはなんだかよく聞く。それだけ仕事ができるんだろう。

教育が経済状況に比例しないで、割ときちんとしている結果でもあると言える。ムガベ元大統領は独裁者とされているが、元教員だったり教育の研究をしていて投獄中に学位を取ったりするなど、教育者だったようだ。そのため、この国の教育機関は割と充実していて、小学校は100%近い人たちが卒業し、識字率も99%を超え、国民のほとんどが英語を話せる。結構すごいことだと思う。

私も、この国で話が通じないなあと思う人は案外出会っていない。他のアフリカに行った隊員の話を聞くと、毎日お金をくれと言ってくる人がいたり、教えたことを理解できない人がいたり、といったことがままあるらしいけれど、ジンバブエでは比較的そういったことは少ないような気もする。今のところ、例えばプログラミングのちょっと難しい概念でも、説明すればわかってくれる人は多い。

例:教員

ジンバブエの教員免許を持った人は、その勤勉さと人柄で他国からも人気なのだという。先月も、ルワンダに200名のジンバブエ人の教師が派遣されたというニュースがあった。

イギリスを含め、教員が足りていない国は調べると案外ある。日本もそうだと言えるかもしれない。外国で教員をやりたくて教員養成校にきている学生も多そうである。

しかし、私が派遣されているような公立の教員養成校を冷静になって見てみると、環境はあまり良くはない。公立なので先生への給料が低く、授業の質も高いとは言えない。先生が授業終了の時間まで授業をしないので、最後まで授業を行うように勧告がなされたとの噂も聞く。生徒たちは課題をコピペして提出するのは当たり前、先生への賄賂もあるようだ。話によると、レポートの点数を買うらしい。先生たちも生活に困窮しているので受け取ってしまう。また、教員養成校の授業内容は国家試験突破のための座学が中心で、体育であっても実技がほぼない、などの問題があるという。

この環境をくぐってなお、国内外に人気があるジンバブエ教員。教員養成プログラム云々ではなく、勤勉さとその人柄で人気を保っているという見方もできる。ある意味すごい。

上位の人を敬う文化:Tsika

アフリカの他の国に行っていないのでまだ体感がわからないというのはあるけれど、勤勉な人が多いとされているこの国で経済が破綻していると言うのは個人的には不思議だった。けれど、政治が腐敗する理由と、経済破綻の中でみんながよく耐える理由の一つであろう文化が存在した。権威者を敬う文化「Tsika」である。

Tsikaはショナ民族の文化?で、中国の儒教の考え方に似ている部分がある。
家父長制であり、家族が大切で、家のトップは父親である。そして歳上の兄弟・姉妹を敬う。敬うにもいくつかポーズがあり、例えば、姉がご飯を作ってくれたら、拍手をして膝を折ってお礼の気持ちを示してから頂く、など。

これは組織でも同じで、上の立場の人の言うことは絶対である。下々のものは絶対に逆らわないし、逆らえない。学校も、校長が一番偉くて、会議でも基本的に校長や副校長がまず、ばーっと話す。なんなら大きい会議だと校長は話すだけ話していなくなることもある。平教員たちはちょっと違うと思っても基本的に声を上げることはないし、「俺たちには言えない」のだという。欧米のような「上司とフラットな関係」とは真逆であると言えるだろう。

ちなみに、外部の私が介入する意味をここに見出すことができる。彼らに言えない上司への抗議や依頼を私だったら言えるかもしれない。

こんな文化があれば、同じような文化で共産主義の中国や北朝鮮・ロシアと仲良くなるのは当然といえば当然だし、独裁が根付くのも頷ける。なんせ、上に逆らわないことが美徳であり、道徳なのだ。上が強いのもあるけれど、下が従順なのでこんなに数十年も独裁が続いているんだろうと思う。

コミュニティ文化

そして、みんながこの経済破綻の理不尽によく耐えるのは、コミュニティを中心とした文化も関係しているように感じる。どんなにお金がなくても、同じコミュニティでいろんなものを分け合い、助け合って暮らしていて、「耐えられてしまう」のだと考える。

私がいるカレッジはかなり田舎にあり、このカレッジ以外に社会がない。教員も給料だけでは食べていかれないので、みんながそれぞれに商売をしている。が、これも見方によっては助け合いの一部のように見える。「私が鶏を育てて売るので、その代わりにあなたは魚をどこかで買ってきてくれる?」というようなことが毎日起きているのである。この人はパンの人だな、この人は飲み物の人だな、という役割分担がなされていて、少ないお金で食のバラエティを保っているのだ。

ここにいると、日本で自分の力だけで稼いで暮らしていこうとしていた自分がちょっと馬鹿らしく思える。日本だったらお金がないのは自分のせいで、自分で稼いで、貯金をして、自分のケツは自分で拭かなければならない感じがある。総じて日本人は、「他人に迷惑をかけてはいけない」という意識が強い。お金が特にそうで、自分の使う分は他人に頼らず、自分で稼ぐのが常識とされている。小さい時から人に迷惑をかけるなと教わるし、例えば登り階段で傘を後ろに振って歩くような「迷惑行為」は嫌われる。日本に「他人に迷惑だけはかけるな」という大人のなんと多いことか。そしてこの「迷惑」の範囲が非常に広いように思う。

対してここにはあまりそんな考え方がない気がする。みんなで寄りかかりあって生きていて、みんなが自分に余裕がある範囲でだろうけれど、すぐにいろんなものを分け与えてくれる。信頼できるコミュニティがあれば、困った時には助けてくれるというぼんやりした確信があるので、そんなに頑張って一人で稼がなくてもいい。なんなら、稼いだら稼いだ分、コミュニティに還元してしまうのでいつまで経っても自分のお金はたまらないような気もする。「頼ることがその人にとって迷惑」という考え方もあまり感じない。

そして「迷惑」とされる行動は特に日本と比べてかなり範囲が狭いと考えられる。ここでは傘を後ろに振るくらいでは誰も何も言わないと思う。なんせゴミを街中に捨てまくるし、時間を守るという概念もかなり薄い地域だ。これはちょっと言い過ぎかもしれないが、盗みのような犯罪くらいになって初めて「迷惑」と認識されるんじゃないだろうか。

このような文化は欧米の個人主義(Indivisualism)の逆をいく。ジンバブエだけでなく他のアフリカ諸国の各民族も、コミュニティ文化が強く根付いていると考えられる。それは人口密度が低いアフリカで、彼らが生き残る術だったのだと思う。これはまだ仮説だが、隣町まで100kmがザラにあるこの世界で、コミュニティを大事にしないと生きていかれなかったのではないだろうか。

日本でも都会は個人主義的だが、田舎はコミュニズムを感じる文化が残っているところも多い。私が昨年3ヶ月滞在した熊本の人吉でもコミュニティ文化を多くの場面で感じたものだ。取れすぎた農作物を分けあったり、銭湯が集会場みたいになっていておばちゃんたちの社交場になっていたり。とある銭湯で知り合ったおばあちゃんに、腰が悪くて梅が取れないから取りにきて!と言われたけれど、とってもコミュニズム的な気がする。東京ではまずありえない会話なんじゃないだろうか。

日本の都会ではいくらでも稼げる仕事があるし、かなり人も多いのでそんなにコミュニティを意識せずに生きていけるけれど、田舎にはまだ何をするにも共同体とのつながりが暮らしを楽にするという話がたくさん転がっている。というわけで、日本の田舎もアフリカにちょっと近いものがあるような気がしている。

終わりに

ジンバブエ人の国民性や文化を、隣国の南アフリカや、同じような文化を持つ中国、真逆と思われる欧米、そして日本と比べながら書いてみた。どれが良くてどれが悪いという話ではない。だが、正義は場所・文化によって変わるということは知ってほしい。思ったよりひっくり返れるというのを私は2ヶ月で実感している。

文化人類学的に国民性一つ考えるにも、地理に世界史に、政治経済に国際関係、いろいろな分野が関係してくるのも、全てが繋がっていることを感じられて良い。ここにいると電波が乏しいのであまりできないけれど、もっといろんな文献を読みたいなあと思う。大学図書館に行けばいくらでも本があった大学時代が懐かしい。

隊員期間の2年間で、他のアフリカの国にも行って、細かい国民性の差や共通点など感じられたらもっと面白そうである。

まだ2ヶ月しか経っていない。残り22ヶ月。今後、また感じることがあれば同内容でも適宜アップデートしていこうと思う。


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