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始まりに思うこと。#JICA海外協力隊ジンバブエ隊員の所信表明

仁川〜アディスアベバの飛行機で、この記事を書いている。

なんせフライト時間が長い。13時間くらい乗るので、映画を2本見てしまった。スマホにダウンロードしておいたいくつかの映画の中から、とりあえず何も考えないで陽気な気分になれそうだったSING2。あとは何となくいつか見ようと思っていた「花束みたいな恋をした」。坂元裕二さんが好きなのだ。

いや見終わって思う、私は今本当にアフリカに向かっているのだろうか?
調布の多摩川沿いの生活感が自分に入ってしまって、なんだか日本に帰る時の気持ちになっている。映画を間違えた。絶対にこれじゃなかった!

というわけで、ジンバブエに向かっていることを思い出すためにも、協力隊の研修が開始する前に、ジンバブエに到着する前に、今の思いを書き残しておきたいと思う。

助けたい?のんのん。

海外協力隊でアフリカのど田舎に行くんだというと、よく聞かれる。

「アフリカの人を助けたいっていう気持ちになるの??」

特に国際生(大学の同期たち)に聞かれるのも面白い。国際総合学類というところにいて、みんな入学時は途上国や国際的なフィールドで働きたい!と多少なりとも思って入った人たちであると思う。今はいろんなところで働いている人がいる。銀行、広告店、メディア、IT企業。28で社長をやっている強者もいる。今は彼らは直接的に国際協力に携わる人は少なく、国際生の中では私は国際っぽいキャリアを歩んでいそうである。彼らはどこかのタイミングで、自分が描きたい世界が変わったのか、じわじわと身近な世界へと関心が変わっていったのか。否定するつもりは毛頭なく、むしろ私の方が異常であると思う。身近な問題に興味がいくのは当たり前で、なぜそんなに物理的にも精神的にも遠い世界に今も思いを馳せ続けられるのか、よく不思議がられる。

ただ、協力隊として私が途上国に行くのは「助けたい」というよりも色々な意味合いがある。

第一に、専門性を生かす場所としての選択。わざわざ大学院まで行って、開発経済学という途上国の経済をどうしたら良くできるかという勉強をした。色々な事例を学び、論文を書いた。しんどかったけれど楽しかった。論文を漁り、夜中まで読み込み、彼らの生活を良くするための施策を学んでいるとワクワクした。この経験を、日本の営利企業で働くという簡単な選択で無駄にしたくはないじゃないか。

またこれも大学でだけれど、アフリカ系やアジア系の友人がたくさんできてしまった。彼らは日本に留学しに来ていて、クオリティの高い授業で色々なことを学び、考え、母国に帰り母国の発展に寄与したいと考えていた。

彼らは賢く、素敵だった。世界には色々な人がいて、顔や肌の色が違っても、育ってきた世界が違っても、案外考えていることは同じなんだなということを知った。日本人のことを考える日本人はたくさんいるから、私はあえて海外の人のことを考えてみようと思った。日本にも問題がたくさんあることは知っているけれど、今は人生の中で広い世界をこの目で見たいし、この肌で感じたい。

助けたい<研究的な目的

そして一番大きな理由として最近ずっと考えているのは、研究的な目的である。
あえて大きめの粒度で言うならば、ジンバブエを含むアフリカの途上国はどのように発展していくと幸せなんだろうか?という疑問について研究したいのである。

どういうことかというと、今の先進国の真似をしても幸せにはならないだろう、と思っている。この物質的なモノが溢れた今の先進国。資本主義ゴリゴリで、お金を持っていることが正義という価値観。そうじゃないだろうとは思いつつ、じゃあ貧しいままでいいのかというとそんなことはなさそうだ。今のままだとあんまりにも最低限の生活が担保されていないように見える。

特にジンバブエのことを考えてみると、物理的な問題はたくさん起きている。今、ニュースやその他テキストベースで入ってくる情報は悪いことばかりだ。

まずこれは言うまでもない、インフレである。数年前にハイパーインフレと呼ばれる状況(百億ジンバブエドルでパン一個の世界?)は、当時の通貨を一度撤廃してなんとか収まっているものの、新ジンバブエドルの状況も怪しい。2022年上半期のインフレ率は200%を超え、毎日モノの値段が安定しない。政府は急に金貨を導入してみたり、何をやっているんだかよくわからない。

ジンバブエに日本の企業は2社しかないらしい(2020年時点)。そりゃそうだ、稼いでも稼いでもお金の価値が減っていくのは目に見えている国に投資しようという気にはならない。

経済崩壊に準じて、医療崩壊もしていると聞く。医者や弁護士など、ジンバブエ出なくても稼げる人たちはどんどん国を出ていく。医者も少ないし、物資も高くて買えないだろう。お金がなくて医療を受けられない人たちはジンバブエで野垂れ死ぬか、ちょっと頑張って隣国南アフリカに行くしかない。それも難民として、違法な形で行くしかなさそうだ。
ジンバブエの平均寿命は10年くらい前まで40歳代だった。日本では80歳まで生きるのは割と普通なのに、信じられる?この21世紀に、平均寿命が43歳(2005年)の国があったのだ。

全体的にインフラが不安定なことも気になる。環境問題も絡んでくるのだが、水力発電に頼っていたジンバブエは、カリバ湖の水量減少のため、電力の安定供給ができなくなってきている。年末年始も大規模停電がありそうなニュースが流れている。

電気や水道、電波といった基礎インフラ。昔はなかったといってしまえばそれまでだが、電気がなくて彼らは困ってはいないのだろうか。なければないで適応して生きているのだとは思うけれど、電気がある便利な世界を知ってもそう言えるものなのだろうか。

誰もが豊かに暮らせる世界を作りたいと思ったときに、豊かさを選択肢の多さだと定義すると、基本インフラの不足は選択肢を減らすということもある。電気がなければ、洗濯機がなければ、洗濯に時間がかかる。1週間のうちに、家事に必要な時間が圧倒的に増えるのである。これは選んで手で洗濯しているならいいが、それしかない場合圧倒的に時間がなくなる。こういったことが電気がないことによっていつも発生していて、他のことをするという選択肢が減っているということだと思う。

よくわからないのは、ジンバブエは教育が評価されることが多いのに、こんなに悪い状況が長く続いているということだ。小学校教育は100%を超えているし、まだ詳しくないけれど、ケンブリッジ方式を使っている学校もあるという。ジンバブエ人は基本的に英語が話せるし、優しく穏やかな国民性で、民度も低くはないらしい。また、賢い子どもは多いはずで、いつだったか見たニュースでは中学生が数学オリンピックか何かで先進国を差し置いて入賞していた。

私が大学院で開発経済学を学んでいた頃によく教わったのは、貧しい国は教育を受けさせられなくてどんどん負のスパイラルに陥る、というモノだった。なぜ、教育が評価される国が貧しいまま、落ちて行くのか。
仮説として独裁の政治が悪すぎた、という事実はあるけれど、それ以外に原因はあるのか。教育は実はそんなに機能していない、というオチもあり得るのか。

現地の人はこの貧困の状況をどう考えているのか、も気になるところだ。ジンバブエドルで給料をもらっても、このインフレの状況ではお金がどんどん紙屑になっていく。貧しさには拍車がかかるだろう。この状況にそれでも適応して楽しくハッピーに暮らせているのか、それとも悪いと思っているのか。どのくらい悪いと感じているのか。もっと資本や、仕事やお金、物資が欲しいか。どのくらいお金があったらいいと思っているのか。今一番助けて欲しいところはどこなのか。どうすれば自立できるのか。

大学のICTスタッフとして、彼ら目線の眼鏡を手に入れる

私のミッションは教員養成学校のIT環境の向上だ。何をやってもいいとは思うけれど、彼らのITスキルを向上させたいと思う。どういうレベルか知るところから始まりそうだ。
また、少しでも快適にPCやインターネットを使える環境を整えてあげたいと思う。ICTという、ローコストで世界と繋がれるツールを渡してあげることで、彼ら自身がどうなりたいか、どういう選択肢があるのかを考える一つの目印になったらいいなあとぼんやり考えている。

毎日生きるのに必死という世界は、選択肢がないけれど余計に悩むということもないのかもしれない。どちらが幸せなんだろう。この問いに至ってはもはや哲学の領域かもしれない。

けれど未来が見えない暮らしは苦しいものだ。彼らが描く未来には何が必要で、今何が足りていないのか。

現地人と同じように暮らし、彼ら目線の眼鏡を手に入れることから始めよう。人類学のフィールドワークと一緒だ。そして、その眼鏡を自由に着けられるようになった2年後に私は何をしたいと思うのか。眼鏡を外したとき、自分の幸せも考慮しながら、できることってなんだろう。彼らと何か共創できたら、自分もワクワクしながら価値を作り出せるだろうか。

こんなことを考えながら、ITCスタッフとして働く2年間にしたい。

↓↓↓私が働く学校↓↓↓


今は移動してきてザンビア⇨ジンバブエの飛行機に乗っている。乗っている現地の人たちは飛行機に乗って外国に行くくらいにはお金がある人だろう。老若男女、みんな割と綺麗な英語を使って話している。

私がPCをカタカタやっていると、ネット使ってるの?とみんなが聞いてくる。私もネット欲しいんだよ〜と思いながら、ローカルで書いてるだけだよと返すと、みんな、そっか〜ネット使ってんのかと思たわ、と笑顔で返してくれる。

やっと頭と心が調布から抜け出せた感じがする。2年間が楽しみになってきた。

まあまあ人がいたエチオピアのアディスアベバ空港

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