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地方創生に取り組むシティガールが感じる「地方創生」へのもやもやについて

わたしは東京生まれ東京育ちのいわゆるシティガールである(自分ではまったくそれっぽくないなぁと思うけれどまぁ事実なので仕方ない)。

そんな都会生まれの私が、とあるご縁で、熊本県人吉市で地方創生をテーマにボランティア活動をしている。そんな中で生まれた、なんで地方創生しないといけないんだろう?という疑問について、今回noteにまとめてみたい。

自己紹介

IT企業で3年働いたあと、JICA海外協力隊でジンバブエ🇿🇼にいく人。他の要素はとりあえずここでは割愛。

将来的には途上国の人の生活を豊かにするような仕事をし続けたい。この思いの源泉は下記noteを参考のこと。

参加中の「グローカルプログラム」について

今、海外協力隊の派遣前で、海外に行く前に言葉が伝わる日本で協力隊の実務の実戦をしてらっしゃい!という「グローカルプログラム」に参加している。

このプログラムでは、海外に行く前の練習としてはもちろん、国内の地域活性化についても学び、帰国後の進路の参考にして欲しいというJICA(=日本という国)からの願いも込められている。

人吉に暮らして2ヶ月くらいが経った。地方創生というキーワードで、いろいろな活動をしているいろいろなアクターに出会わせていただいていて、毎日とても面白いのと同時に、毎日いろんなことを考えさせられている。

「地方創生」にもやもやする

今、わたしは地方創生を頑張っている人の元で研修を進めている。けれど、地方のことを理解するにつれ、「地方創生」という言葉にも概念にも、もやもやが止まらない。
一旦もやもやポイントを整理してみよう!!

1. 創生されたいと思っていなさそうな地元民

地方に来て思う。誰のための地方創生なんだろう?
そもそもは、東京一極集中=地方の過疎を問題視して生まれた概念であり、地方の過疎によって最も困るのは、人がどんどんいなくなる地方の人であろうと想像していた。

だがしかし、実際に来てみると危機感を持っている地元の人ってめちゃめちゃ少ない気がしている。地元の人は特に不自由を感じることなく、うまいこと生活していて、本当に困っているのは誰だ??ということがまず疑問だった。

いくらわたしみたいなよそ者がその地方を魅力的な場所にしたいと思っても、住民たちが乗り気でないとまちづくりの施策は続いていかないんじゃないか。その住民たちの心を動かすことは、果たして可能なんだろうか??

2. 少子高齢化対策って、地方創生で可能なの?

政府のWebサイトを見てみたが、地方創生の目的として、少子高齢化に歯止めをかけるため、と書かれている。

だがしかし、たとえ都会から地方に人が移動して、地方で少子高齢化の進みが遅くなっても、それは単に今いる人が散っただけであって、全体的に人口減少が止まるわけではないんじゃないか?

そもそも日本全域的に少子高齢化の中で、どんなに地方に移住者が増えたとして、これから日本の純粋な人口は増え得ない。また地方の方が都会よりも若者が子どもを多く作るという話はおかしく、地方に人口が散ったとて、全体的な少子高齢化のスピードは緩まらなさそうだ。

全体は諦めたとしても、地方の少子高齢化を少しでも止める必要があるというのは、地方の財政を見ていると分からないことはない。だが、東京の人口でさえ、コロナがなくても2025年には減少に転じると言われていたのだ。その中でどこから地方の人口を増やそうというのだろう。

一番気になるのは、魅力も弱く、交通の便も悪いような限界集落だ。限界集落のような場所にテコ入れして、人を呼び戻したり、産業を復興させる意味って、どれくらいあるのだろうか??

先日も坂本町という、もともと4000人程度の人口で過疎だった上でひどく被災してしまった町を視察してきた。住む場所がなくなってしまった人は隣の八代市の仮設住宅に入っている人がほとんど。そして仮設を出るときに、子どもがいるようなお家はどんどんインフラが整っている八代の方に移動していく。愛着があるお年寄りしか街には戻ってこないので、10年後はより過疎化が進むだろう。頑張っている人はいるものの、人口はどんどん減るばかりという現実は消えない。

というわけで、地方に資源を無駄に散らすより、都市部にヒト・モノ・カネを集めて効率的にした方が将来的には日本のためかも?という仮説が私の中で立ってしまった。

都市経済学を学んだ身からいうと、「集積の経済」と言って、企業を含めたさまざまな経済主体は、近くに集まった方が生産性が上がることが実証されているのである。人間が減るなら、都市部に集まって効率的に生産したほうが良くないか??

3. 若者は都会を好むのは当たり前では??

地方に数ヶ月暮らしてみて、コロナだろうがなんだろうが、やっぱり若者はどんどこ都会に出ていっている印象である。もちろん地元に残っている人やUターン、Iターンをしている人もいるけれど、量は決して多くない。

若者が都会を好むのは当たり前な気もする。一般的に、地方は自然が豊かでゆったりしているけれど刺激はすくない。仕事もガツガツやるようなやる気がある人はやっぱり都会と比べるととても少ないし、余暇の過ごし方のバリエーションも少ないように見える。エナジー溢れる若者には地方では少し物足りないときもある、というのは自然なことだと思うのだ。

地方が若者に合わないのが悪いのではなくて、「場所」に見合う年齢や家族構成、他にもいろんな要素があるのかもしれないなあと、最近思う。リタイア後の方が地方を楽しめる、という人は多い気がして、リタイア後の人が集まってくる場所、というようなブランディングももしかしたらありかも…??と思ったりもする。

若者はやっぱり一回は都会に出たいし、何もゆかりがない若者を、たとえば人吉に呼ぶのって、やっぱりかなり難しい気がする。お店がたくさんある渋谷に若者が集まってくるように、土いじりができる田舎に余生を楽しく過ごそうよキャンペーン、みたいなブランディングの方が有効そう。最近は60歳ならまだ働けるし、60歳から最期までを豊かに生きよう、という考え方で地方に人を呼ぶのはいかがだろうか?

4. 地方で頑張っている人の言葉にも、もやもや

地方を盛り上げようと頑張っている人が人吉にもいる。その中にはもちろん、地元の中で地域づくりを昔からしてきた人たちもたくさんいるし、地元民ではないけれど新しく介入して、どうにかしようと動いている人もたくさんいる。

そういった方々に話を聞くと、地方にはいろいろな素晴らしい商売も箱もパッケージもあるけれど、人材がいないと口を揃えて言う。
「こういうことをしてほしい」ということはあるけれど、できる人がいない、ということらしい。

でもそれって、例えば、10年前に10年後のことを考えて、人材を雇用したり、育成したりという経営してこなかっただけではないのか?
厳しいようだが、未来のことを考えない自転車操業の会社はどんどんなくなっていくのが世の常であり、当たり前のことではないのか?
この考えは都会的すぎる?

ちなみに、実際見ていると、どの中小会社も役所も、あと1人技能がある人がいればいろいろなことが解決するのになあ…と思わずにいられない。

ただ、それは表層的な問題な気がしてしまう。
都会のどんな優良企業でも、人が足りずに採用できなくて悩んでいるこの時代に、交通の便も悪い地方に人が欲しいならば、その仕事が都会の仕事よりも面白いか、お金がもらえるかしないといけなさそうだなあと思ってしまう。

また、現状のまちづくりのケースなどを見ていると、優秀な人がたまたま元からいたり、たまたま介入された地方は、事業が成功して人が集まってきて勝ち組になることができるんだなあという風にも見える。そんなの、地方に興味がある人材の取り合いにしかならないし、ぶっちゃけ運な気もする。
優秀な人に気に入られた場所が勝っていって、そうでない自治体は消えてゆくばかり。

こういったLuckが大きな面を占める「まちづくり」を政府主導の地方創生という事業で行うことにも違和感がある。

地方創生という概念はいつ生まれたのか?

以上、わたしのもやもやをぶつけきったところで、そもそもこの「地方創生」という概念がいつ生まれたのか、が気になってくる。

調べてみると、「地方創生」は、2014年に第二次安倍内閣によって取り決められた地方活性化の政策のスローガンだという。思ったより新しく、思ったよりお国が作った概念だったようだ。

これを知って、地方創生をしないと困るのはやっぱり、国民というより、税金や地方自治体を管理しなければならない政府な気がしてしまったのだった。

もちろん、政府が困ることは国民も中長期的には困ることに他ならないのだとは思うけれど、今生きている人は将来の少子高齢化や地方の限界集落がなくなるということには特段困らない人が多いというので差が生じているんだろうと思う。

先人のご意見は??

私が疑問に思うようなことは、きっと誰かが考えたことがあるはず…!と思って調べてみると、特に疑問の2に関しては、少し古いがこの記事にまとめられていた。

ざっと読んでみると、この筆者の結論としては、「合理性だけを求めるならば、都市に人が集まるのは自然なことであるが、長い年月をかけて地方部に形成されてきた文化や風習の価値を認識し、次世代につなぐことは我々の使命である」ということのようだ。なるほど。

文化がなくなるのは確かに惜しい

たしかに、経済だけで社会は語れない。
町や村がひとつなくなれば、そこで語られていた物語や美味しい食べ物、作られていた工芸品など、さまざまな豊かな文化が消え去ってしまうのは確か。それはさすがに、あまりに悲しいしもったいない気もする。

しかし、個人的には、ある程度は消えゆくのは仕方ないんではないだろうか…と思ってしまうところもある。

どんなに魅力的な資源があったとしても、人口減・超高齢化社会の中で全ての集落を残すことは不可能だ。私には限界集落に人を戻そうとする動きがハイコストローリターンな話に思えてしまう。

本当の問題ってなんだろう

問題というのは、理想と現実とのギャップである、という話がある(POOLOでしみなおさんに教わった概念!)。
というわけで、問題を考える前に、地方創生がされたあとの理想の状態ってどういう世界なんだろう?

私の現時点で考える大枠の理想は、国民が好きな時に好きな場所に障害なく住める社会である。
つまり、個人が、個人の魅力を感じる場所で、豊かに暮らせる世界である。

だがしかし現実は、好きな場所で問題なく暮らせる人って、多くはなさそう。自分が住んでいる場所が大好きだという人って、日本全土で見るとまあまあ少ない気がする。

問題:各個人が好きな場所で暮らすには一極集中による障害が多いこと?

確かに、現実は、経済的な合理性のもとなのかなんなのか、都会に人口が集中している。
そのため、田舎でも都会でもさまざまな併害は発生している。

例えば、本音としてはカントリーサイドが好きな人でも、やりたい仕事や好きな仕事は都会の方がしやすいので都会で無理して働いている若者がいる。

子育てをするには教育機関が田舎にはあまりに少なく、都会に住みたい人が多くなってしまい、都会では逆に保育園が足りないという話もある。

また、地方における介護問題も顕在化している。高齢者は長く住んだところから動きたがらないけれど、子ども世代は都会に出ているので、遠隔介護が難しい。

ただ、この場合の問題って、本当に人口の一極集中だけなんだろうか?
他にも問題が絡み合っていて、地方創生だけでは語りきれない気がしている。

そして、この文脈で見る問題(=理想と現実のギャップ)って、政府のいう「地方創生」ではない方法でも解決できるんじゃないだろうか。

例えば、若者がやりたい仕事や好きな仕事は、会社を変えたり職種を変えれば、リモートで好きな場所からできるかもしれない。

例えば、都会の保育園が足りないのならば、地方に子どもを移すという考えより、都会の保育園自体をどうにかもっと増やす必要があるのかもしれない。

例えば、地方で都会に行ってしまった子ども世代による介護が難しいのなら、地方には、高齢者が高齢者同士でコミュニティが作れて、最期まで豊かに暮らせるような、オープンな介護施設がもっと必要なのかもしれない。

今日時点での結論

いろいろと述べてきたが、まだ地方創生のどこに一番もやっとしているのか、というところもふわっとしていてはっきりしないし、今ある疑問への答えもなかなか出ないものもある。少なくとも正解がある問いではなさそうだ。

しかし、このまま東京に一極集中が続くのが違うというのはわかる。日本の中で東京だけが魅力ある街であるわけはないし、お金や合理性だけを求めて人が東京に殺到してくるというのははあまりにワクワクしない未来だ。

このnoteをどう結論づけようか迷っているとき、POOLOの中で地方創生座談会のようなことが行われることになった。

新たな目標:自分が住みたい街を世界に増やすこと

そして今日、その座談会が行われた。
本記事の最初に書いた、わたしの疑念ツイートからスタートさせてもらった企画である。地方創生に関わっている/関わりたい人が多いPOOLOで、地方創生のマクロな問題点を話せて、またわたしの疑問を取り上げてくれて嬉しかった。

地方創生に取り組む人たちと話してみて、今日新たに思ったのは、自分が住みたい街の姿を思い描くことから始めてもいいなあということ。
これくらいの人口規模で、通う居酒屋さんがあって、好きな本屋さんがあって、地域の人同士の交流がこのくらいある街に住みたい!というイメージを描いてみる。そして、好きな人がいる場所や好きな場所がある街をその状態に近づけるように努力する。

日本全体を都会と地方で分断し、限界集落はどうするの?というようなマクロの大枠で考えすぎると日本の未来に暗くなってしまうこともある。もちろん、考え続けないといけないテーマではあるけれど、自分が活動する範囲のミクロな視点であれば、「自分が素敵だと思う街を増やしたい」という思いで活動すればいい。

地方創生って、結局、そのくらいのことなのだろうと、今日時点では考えている。


▼JICAの研修で人吉球磨地域の地方創生をテーマに活動しており、その模様を含めてマガジン化しています。
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