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たられば、

例えば、もし自分があの音楽家だったとしたら。

私が大好きなアーティスト。空っぽだったあの日の自分の心を埋めてくれた。価値観、世界観が素敵だと思った。グループ全体がその「色」になっていて、でもその色は曲ごとに異なっていて。それでいて強くて、でも儚くて切ない。

初めて見たライブ。私には及ばないような、どこか遠くにいる存在なんだろうと思っていたけど、勘違いだったみたい。そこで放った言葉の一つ一つ、自然に溢れた涙、そのステージを見て、この人たちも1人の人間なんだなって思った。

もし私もあの音楽家だったら、涙を流すほどの美しい言葉とメロディーを届けられるのだろうか。私が憧れるアーティストの世界観を横で覗けるのだろうか。あの人たちが見ている景色を私もこの目で見れるかもしれない。誰かの心を揺さぶれるような作品を世に放てたらいいのに。



例えば、もし自分があの作家だったら。

小さい頃、父によく読み聞かせをしてもらっていた。その時大好きだった絵本。今は年に1回開いたらいい方になってしまったけれど、紙いっぱいに描かれた絵を頭の中で動かして想像するのが大好きだった。小学校の頃、狂ったように読んでいたマジックツリーハウスと夢水清志郎シリーズ。こんなにも惹かれる本を書ける作家さんはすごいと思った。

もし私があの作家だったら、読者の想像力を掻き立てるような物語が書けるのだろうか。私の心を動かしたあの作家さんと同じ仕事ができるのだろうか。あの人たちがそうであるように、私も自由に自分の描きたい世界を広げて終わりのない旅へ出かけられるのかな。誰かの心を動かせる本で書斎がいっぱいになればいいな。




例えば、もし自分に兄弟がいたら。

私は一人っ子だ。良くも悪くもとっても大切に育ててもらったと思う。一人っ子故に友達から嫌味を言われたこともあった。両親には兄弟がいて、母方はあんまり仲が良くなくて、父方も少し歪な関係にあるみたい。兄弟がいることのメリットデメリット、私にはいないけどその割にはわかっている方だと思う。

手をかけて育ててもらえるけれどその愛が重過ぎたり、自分の時間は多いけれど時に寂しかったり、一人っ子なりの葛藤も抱えて生きてきたつもりでいる。

もし私に兄姉がいたら、私は妹らしく甘えていたのだろうか。兄姉を見て負けてられないと闘争心を燃やしていただろうか。もし私に弟妹がいたら、すこぶる可愛がっていただろうか。喧嘩ばかりする毎日だったかもしれないね。諍いがありながらも、支えていけるような存在になっていたかな。


例えば、もし自分が君だったら。

成績優秀、文武両道、才色兼備。みんなが憧れるようなクラスの中心的存在である君は、私のことをすごいと思ってくれているらしいけど、私は君が羨ましかった。何事もサラッとこなす割には陰でコツコツと頑張る君。弱音もはかず、でも実は声を押し殺して泣いていること、私は知ってたよ。私も君みたいになれたらと何度思ったことか。

もし私が君だったら、弱音を吐いてすぐ投げ出したことももっと頑張れていたのだろうなぁ。「何でも出来る」を活かしていろんなことに挑戦していただろう。自分が苦しくても誰かの背中をさすってあげれるほど優しい人になれたかもしれない。何より努力を惜しまない私の最も憧れる人間になれていたのかな。




例えば、もし自分が生きることを選ばなかったら。

あの時の私は人生で一番どん底にいた。早くこの世から消えてしまいたくて仕方なかった。何もかも嫌になって、全てが白黒に見えて、美しいものも惹かれるものも何もないように見えた。私なんていない方がいい、早くこの世から存在や記憶諸々消えてしまいたいと、そう願っていた。

もし私があの時生きることを選ばなかったら、今頃私はここにはいなくて、この文章が世に出ることもなかっただろう。でも色んな苦しみをここから先、背負う可能性もなかっただろう。でも今日の空がこんなにも高くて綺麗なことを思い出すこともなかっただろう。嬉しさや幸せで涙することもきっと。





あの日の私は自分ではない、誰かになりたかった。
それがどこの誰かはわからないけれど、憧れる人ややりたい事ができている人そのものに、とって変わりたかった。「自分」という存在が、まるっきり「他の人」と同じ生き方ができると信じていた。

でもそんな事なくて、今まで考えてきた「たられば」は全て「たられば」であって、私は私で他人は他人。おんなじ個体なんてひとつもないことに気がついた。

気付くのに20年もかかった。
気付くのに20年必要だった。

私は私なんだと、私は私でいいのだと、気がついてからは心が軽くなった。
目を背けていたことにも、まだちょっと斜めからだけど、向き合えるようになった。


嫉妬もする、羨望もある。羨ましい、ずるい、私もそういうふうに生きたい。

そんな願望が消えることはない。
私も人間だから完璧にはなれない。

でも、みんな違うから。
その人にできていることが私にはできなくても、私にできることは他にあるはず。

何も同じやり方をとる必要はなくて、自分ができることで挑戦すればいい。

数学や物理にも別解があるように、いやそれ以上に、この世の中には色んな生き方がある。国語や英語の作文でなかなか満点が取れないように、人によって感じ方は違う。完璧かどうかは自分で決めていいし、正解なんてどこにもないんだから。


「たられば」をするな、なんて言いたいわけじゃない。

でも、「たられば」に囚われちゃいけない。


他人が私にはなれないように、私も他人にはなれない。

それでいい。それがいい。
それでもどうしても比べてしまう時は過去の記録にでも戻ってきて「うわ、この時の私、偉そうになんか言ってるわ。」と、その時より成長していることに安心すればいい。


例えば、私が花だったら。例えば、私が鳥だったら。

「君は人間なんだからそんなものと比べても意味がないよ」

まるっきり違うのであればこういう意見がすんなり出てくるはずなのに、同じ人間同士だと、いとも簡単に比べ始めるのはどうして?


人間としては同じ分類かもしれないけど、同じ「人」ではない。

だから、比べる必要なんかない。
比べる意味なんかない。

私は私でいいんだから、私であり続けよう。
私であり続けて、いいんだよ。



ハタチを迎える自分へ送る言葉。




大好きな曲をあなたにも。