「何言ってるかわからない」が賞賛へ変わる時代
ーーある話題になると人が変わったように語りだす。
そんな場面に出くわすことがある。
私はそういう状態の人を見るのが大好きだ。
(三度の飯より好きかも。でもご飯も好き)
でも、我を忘れて話している人に「何言ってるかわからない」と突如終止符が打たれる場面もよく見る。
その合図で我に返る様子を見ると、「あぁもったいない」と思う。
でも、少しでも素の一面が垣間見れたことは私にとってやはり嬉しい。その状態が最も輝いていると思うから。
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私自身にもよく投げかけられるこの言葉。
「何言ってるかわからない」について考えてみたい。
結果から言うと、
「何言ってるかわからない」は
つまり“解像度はめちゃくちゃ高いが整理されていなくて伝わらない”
だと思う。
周囲と共有できるほど整理はされていないが、その人にはわかる目に見えないものがハッキリとそこにある。
何言ってるかわからないほど、自分の口を突いて出るものがあることは、紛れもなく“宝もの”だと思う。
そしてその宝ものを“1人で楽しみ、それを良しとしている”そんな状態が「何言ってるかわからない」ではないかと思う。
問題はそれを1人で楽しむか、共有しようとするか。
私も2年ほど前から占星術、星読みにハマり独学で勉強してきた(継続中)。
そんな中で星読み用語なら“乙女座みが効いてる”の一言で伝わることを、星を知らない人に伝えようとするととてつもなく冗長になってしまう。
それに星を知らない方に向けて話そうとした途端に、自分の“乙女座み”の理解が全く足りていなかったことにも気づかされる。
だから大抵の場合「あぁ、これは専門的な話だからねぇ」で終わらせようとする。
または、会話する相手に「星用語を勉強してほしい」とも思う。
つまり、相手を置いていくか、こちらに近づくよう強要するか。
しかし相手に強要することは、私のいくつかあるモットーの一つ
『相手は変えられない。変えられるのは自分だけ』に反してしまう。
そうやって外側に理由を求めようとしていると気づいた時は
「あっ、いかんいかん」とクールダウンするようにはしている。
では、その宝ものが勝手に輝きだすまで待っているのか?
それもなんか違うと思う。
そういうことを考える中で見つけた方法は、
(星読みを例にすると)『星の専門用語をなるべく使わず、整理する』これにトライしてみるということ。
というのも、分野は問わず私が個人的に“良いな”と思う方々は、手を替え品を替え世界に向けて“発信”し続けている。
話したり、文章にしたり、絵にしたり、歌ったり。方法は様々だが“発信”し続けている。
昔は発信することの裏側の意味
つまり『有名だから発信する価値がある』とか『発信が仕事だからしている』とか、
そちら側にフォーカスして『発信者』を特別視していた。
でも、よく考えると、
価値がある人だから→発信する
ではなくて
発信していたら→価値が生まれる
であるとわかってきた。
「誰が興味を持つんだろう?」と思うことであっても、やはり発信し意図を世界に投げかける行為は必要なことのように感じる。
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「何言ってるかわからない」は原石であり、人が一番輝き始める瞬間だ。
だからそんな宝ものをたくさん持ち、世界に発信しようと試みる人が、何事であれこれからは必ず賞賛される時代だと思う。
そんな「何言ってるかわからない」人たちに私もたくさん出会いたい。
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