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AI時代の泳ぎ方⑰ AIはバカを量産する?

今回は閑話休題。標記の疑問について筆者の考えを述べてみたいと思います。

宿題もリポートも生成AIが作った「正解」丸写し

2024年4月30日の読売新聞オンラインに上記のような見出しの記事が載っていました。
記事の要約は以下です。
  ↓

4/30 読売オンラインより

生成AI時代の学び方に関する象徴的な記事だなと思いました。

しかし筆者は、宿題もリポートも生成AIが作った「正解」丸写しが全く良くないことなのか疑問を抱いています。

そもそも、宿題のお供として昔からアンチョコ(正式に言うと、教科書ガイド)なるものは存在していました。

生成AIを使った行為も、その延長線上にあるのだから、今さら目くじら立てる必要もないのではないかと。

但し、これまでのアンチョコと生成AIでは、その守備範囲が全く異なるというのはあるなと思いました。

生成AIは、人の「考える」を代替してくれる

ではどう異なるのか?

昔から、アンチョコによる宿題の答えの書き写しはあったわけですが、それは例えば、
国語で言えば、この関係代名詞はどれを指すか?とか、
算数で言えば、旅人算で、さてその人は時速何kmで走れば追いつくか?
など、大体、具体的な正解がある形式だったわけです。

一方、生成AIは、こうした正解がある問題だけではなく、例えば、自分の感想を書けとか、着眼点とその理由を示せといった、
正答のない答え、抽象的な答えをも代替して、適当な文章を生成してくれます。

何が便利なのかと言うと、2つあって、

一つはこの正解のない答えをも示してくれること
もう一つは、それをもっともらしい文章を生成して返してくれること
です。

これは明らかに、人間が発明した言語(文章)の生成能力がAIにあるからですね。

そもそも、考えるという行為の半分は言語化にあります

自分の考えを他の人に伝えられるか、そのために言語化という考える行為が不可欠です。

そして、今までは人間が否応なく脳から捻り出して、作っていた文章も生成AIに委ねることができるようになったのが大きな違いだと思います。

大げさに言えば、AIは人の「考える」を大幅に代替してくれるのです。

ですから、情報化社会の便利な道具という面で、アンチョコや検索の時代とは、全く違った次元に入ったと私は思うのです。

生成AI丸写しは必ずしも悪い面だけではない

で、冒頭申し上げた丸写しという行為ですが、必ずしも悪い面だけではないこととして、例えば、前述した記事中の中学生がまだ習っていない現在完了形を使って宿題を出したケース。

その生徒が、AIが示した、まだ見たことのない現在完了形(have beenなど)に興味を抱き、「この言い方を使うといい文章になるのかな?なぜだろう?」という疑問を抱き、AIにその部分を深堀りして聞き、「なるほど、そういうことか」と現在完了形についての新たな知識を得ることが出来たら、素晴らしいことではないでしょうか。

また、記事中の大学生の「興味がない必修科目のリポートは基本、生成AIに丸投げ。」という言い分も一理あって、この情報過多の時代にあって、自分の興味のある分野に学習時間を注ぎたいというのは、悪い事ではないでしょう。

問題は、そうした行為=生成AIに頼り切りになり、思考力や創造力の育成が阻害されるのではないか。という教師の懸念にあるように、AIにお任せで、自分は考えないという学習態度にあるのでしょう。

逆に言えば、自らが考えるという行為を投げ出さないことこそ、次の時代を生きていくカギになると言うことです。

結局は自分次第なのです。

生成AIが出したアウトプットについて、「待てよ」と考え、「ではこうではどうか?」と次々に深堀りして聞いていく。これがこれからの学習態度の基本なのではないでしょうか。

頭ごなしに『生成AI=考えないを助長する』という考え方はいかにも短絡的です。

考える人間と考えない人間の格差は拡大する?

では、次に考えない人と考える人の格差は生まれるのか?について考えてみましょう。

これは、「AIが浸透しつつある今、答えがある問題も、答えがない問題もAIが請け負えるようになる。その結果、考えない人が増大する。すると、考える人との差が開く。それはその人の価値に反映されて経済的格差の増大につながる」
という仮説ですね

「ホモデウス」を書いたユヴァリ・ノア・ハラリは、そのことを「無用階級」の誕生と予言しました。

今の所、私もそうなる確率は高いと思っています。

その理由は、人間は思考を怠ける癖を持っているからです。
これは、このブログ①「システム2を働かせよ」で詳説しました。

一方、考える人間は、AIを使い出すと、その知識量や創造力は指数関数的に上がっていくと予測するからです。
これも上記ブログの将棋界の例でお示ししました。

考えないはどこから始まるのか?

では、AIがもたらすかもしれない思考停止をどう阻止すればいいのでしょうか?

誰しも、学生の頃、少し複雑な問題が出現すると、考えることを止めてしまうという体験を持っているでしょう。

それを阻止するためには、難しい問題に直面しても、匙を投げない態度を養うこと。杓子定規に言えば、自律した自分になることが要求されます。

これは正論中の正論ではあるのですが、「人はそんなに立派ではない」という本音もありますよね。

それを前提として考えた方が、よっぽど実践的です。

最強の手段は、スキを伸ばすこと

もっと実践的な解決策を考えるために、課題を、ただでさえ怠けがちな自分の脳に対し、積極的に考えさせるきっかけをどう与えるか と設定しましょう。

どんな人でもやる気が出るモノコトはありますよね

そのことに関わっていると、楽しい、時間を忘れる、もっとこうしよう、こうしたいと次々に考える そんな状態をフロー状態と言います。

その状態を手っ取り早く作るのが、「スキなことをやる」 です。

何時間考えても、苦にならない。何故なら好きだからという理屈です。

このことは、既に世の中で言われていますので、左程目新しいことではありません。

但し、スキを極めるために、AIを使いこなしていくというスタンスがこれから重要ではないでしょうか。

それによって、その分野に関するあなたの専門性をどんどん伸ばしていく可能性が高いです。将棋界と同じように。

また、誰もがスキを目指すような世の中になると、社会の雰囲気は大分変わってくるでしょう。

大多数の人が、色々なスキを追求している社会の姿を想像してみてください。

そう悪くはないでしょう。例え、経済的に貧乏でも。

さて、冒頭のタイトル、「AIはバカを量産する?」に対する答えですが、
答えはイエス。

但し、バカはバカでも、○○バカ(○○に関しては好きで好きでたまらない奴)を量産する

と筆者は考えます。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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