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「ジャパニメーション」とは何だったのか? その起源と終焉

■ジャパニメーション(Japanimation)は存在したのか?

 米国で日本アニメを指す言葉に「ジャパニメーション(Japanimation)」があることを知っているかたは少なくないと思います。
しかし「“ジャパニメーション”なんて米国で全く使われていないよ」、という指摘もまた多いのです。日本アニメをジャンルとして区別する場合は、単純に「ANIME=アニメ」と呼ぶことが大半だと。
実際に僕自身の米国での経験からも、これは同意です。アニメイベントや小売店、メディアなど皆無とまではいかないけど、「ジャパニメーション」が登場するのは極めて稀です。

 「ジャパニメーション」は存在しないのでしょうか? 

そうとは言えません。過去に遡るとその形跡は確かにあります。「ジャパニメーション」はどこかの段階で消えてしまったのでしょうか。ならば、いつ、どのように誕生し、使われ、そしていまはどうなってしまったのか。

 そんな興味で、「ジャパニメーション」という言葉を少し調べてみました。Facebookでその経過を書き込んでいたら、いろいろなかたから経験や事実、サジェスチョンをいただき、当初以上にジャパニメーションが生まれた経緯、そして現状がクリアになってきました。
(集合知ってすごい!皆様ありがとうございます)
少しメモ書き的にその記憶を残したいと思います。

 あとタイトルで「ジャパニメーションの終焉」と書いていますが、ここで日本のアニメが滅びるという話をするわけでありません。「ジャパニメーション」という単語の栄枯盛衰です。

 ■80年代 or 70年代~「ジャパニメーション」の長い歴史

 過去の様々なテキストから「ジャパニメーション」の言葉が、米国で存在するのは確かです。ただいつ頃から使われたのかは定かではありません。Facebookで遠藤諭さんや氷川竜介さんから、80年代末のCompuServeで使用されていたと教えていただきました。80年代にはすでに積極的に使われていたようです。1970年代にすでにあったとの情報もネットで見つけたのですが、それを立証する記録はありませんでした。確かに言えるのは80年代、もしくは70年代に誕生した程度でしょうか。 

日本アニメがディープなファン層で広がるなかで、「ジャパニメーション」の単語も静かに普及していきます。
ただ当初は、「日本(Japan)+アニメーション(Animation)」の単純な省略で、文化的なアイデンティティは考えなかったようです。やがて日本アニメというジャンルが自立するなかで、言葉の立ち位置が変化します。ディズニーやカートゥーンと呼ばれる米国アニメーションとの表現方法の違いを強調するものになっていきます。この時点では「ジャパニメーション」は、ポジティブに受け止められていたはずです。 

■アメリカで生まれた「アニメ」の独自概念

 「ジャパニメーション」が衰退するのは、「アニメ(Anime)」の単語の登場のためです。「アニメ」の言葉も誕生は古く、80年代末には使われていたようです。
こちらも日本アニメファンの造語で、「日本ではアニメーションを“アニメ”と呼んでいるらしい、それでは僕らも“アニメ”と呼ぼう」というものです。「ジャパニメーション」よりカッコいい言葉として用いるユーザーがいたとの指摘もありますが、これも確かことは分かりません。

 日本で使われる「アニメ」はアニメーション全体の略語で、ディズニーやヨーロッパの作品も含みます。
しかし英語で「Animation」を略すると「Anime」でなく「Anima=アニマ」です。ここからも「アニメ(Anime)」が、米国人にとって造語であることはわかります。 

この段階で「アニメ」には
日本=アニメーション全体を示す略語
米国=アニメーション全体から日本アニメを区別して使用する名称

との差異が生まれます。

 「アニメ」の普及スピードは凄まじく、1992年にスタートした日本アニメの大型イベントの「アニメエキスポ(Anime Expo )」ではすでにタイトルに使用されています。
90年代半ばには、ほぼ「ジャパニメーション」から取って代わりました。日本アニメが本格的に米国で普及した2000年前後には、「ジャパニメーション」はほぼ滅びていたと見ていいでしょう。

 ■日本に発見された「ジャパニメーション」

 一方で90年代の日本では面白い現象が起きています。日本国内で「ジャパニメーション」が積極的に使われだしたのです。
1995年には『キネマ旬報』で「ジャパニメーション・スプラッシュ!」、96年には『ユリイカ』で「ジャパニメーション!」と有力雑誌で相次いで「ジャパニメーション」を冠した特集が組まれています。
90年代以前、初期の米国アニメイベントなどに触れた人に、「ジャパニメーション」はリアルでした。これが時差を持って日本で紹介されたわけです。
ただし『ユリイカ』では『ジェノサイバー』が海外でヒットになった大畑晃一監督は「アメリカでは単にアニメと呼ばれてます」と記しています。当時から国内外の受け止め方の違いは感じられていたようです。

 2000年代になっても、『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』(2006)、『オタクinUSA 愛と誤解のジャパニメーション輸入史』(2007)、『ジャパニメーションの成熟と喪失 宮崎駿とその子どもたち』(2021)といった書籍が刊行されたように日本のメディアは「ジャパニメーション」の言葉を好む傾向があります。
2018年には「電通ジャパニメーションスタジオ」という組織が大手代理店で立ち上がっています。むしろ「ジャパニメーション」は、日本でこそ市民権を得ているように見えます。

 ■「ジャパニメーション」の終焉

 ではなぜ「ジャパニメーション」は米国で使われなくなったのでしょう。
代わって「アニメ」が用いられたのは、単純に文字数の少なさもあったかもしれません。発音のしやすさ、書き易さは言葉が普及する重要な要素です。
もうひとつは初見で「JAP」+「ANIMATION」が想起されたことが影響したとの指摘が多数あります。「JAP」は差別用語のため、人種問題に敏感な米国で避けられたとのことです。 

ギークカルチャーの老舗メディア「IGN」の2000年頃の古い掲示板で興味深い書き込みを見つけました。
「ジャパニメーションと書かれると残念な気分になるんだよね」。

2000年頃には、「ジャパニメーション」は少なくとも一部のファンから恥ずかしいと認識されるようになっていたのです。この頃には「ジャパニメーション」は古びた印象を与えると同時に、エロ、グロ、バイオレンスのイメージも強くなっていました。一般的な印象の強い「アニメ」が積極的に選択されるようになります
もっともポルノアニメは別の単語「HENTAI」に引き継がれています。こちらは今でも18禁のサイトではしばしば見られ、「ジャパニメーション」よりむしろ生き残った単語です。 

本国ではほぼ使われなくなった「ジャパニメーション」が、日本で生き残っているのも不思議なものです。
ここでも言葉の選択の合理性が影響しているかもしれません。日本アニメスタイルを指す米国の「アニメ」ですが、日本ではアニメーション全般を指す一般名詞なので区別がつき難いのです。なので「ジャパニメーション」のほうが、海外における日本アニメの文脈で使いやすいわけです。

もうひとつはポジティブとネガティブが相半ばする米国に較べ、日本では「ジャパニメーション」は世界で活躍する日本アニメを象徴するとポジティブな意味が強くなります。海外での格好いい日本アニメを連想させる言葉としてメディアで用いられました。それは00年代以降の行政や企業によるクールジャパンブームとも連動しているようにも感じます。

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