答えは複数でなければならない。如何なる答えと言えども万能ではない。
P.F.ドラッカーの有名なセリフですね。
著書なんでしたっけ。「イノベーターの条件」だったかな?「プロフェッショナルの条件」だったかな?まぁ、どこで書いてたかはどうでもいいんですけど。
私は"にわか"でドラッカー読んだ子です。
アレですよ、なんだっけ。「もしドラ」?アレが出た頃に読み始めた系です。とりわけ経営学とか学んでたわけじゃないです。
アレから、一通りドラッカー…というか、上田惇生さんの対訳本を網羅し、MBAなんかもちょっとかじって…でも別に企業経営がしたかったわけじゃなく、「経営者の本音を知りたい」とか「良い経営者と悪い経営者を見極めよう」とか、そんな底意地の悪い用途にしようとしたり、あと「プロジェクトマネジメントも規模や器が違うだけで、経営してんのはほぼ同じだから、勉強するかー」みたいなノリで色々手を出しました。
おかげで"にわか"感のハンパないこと。
どんなに知識が増えても、私の根拠はプロジェクトマネジメントや企業内の部署運営の域を出ないものとなっています。まぁ、多くて40~50名くらいの運営レベルですかね。
自分なりに解釈した結果
で。
冒頭の、というかタイトルの言葉です。
重要なのは「唯一解」と勘違いして、こだわりすぎないことですね。
世の中、たくさんの答えが存在します。けれども、more better(より良い)ものは比較していけばたくさんあるけど、best(これ以上ない)ものって無いんですよ。今、この瞬間は best だと思った答えでも、1秒先、1分先、1日先、1年先までも同じ best とは限りません。
学校のテストの解答のように、「唯一それだけが正しい」という答えにはならないのです。
ですから、私はいつになっても、いつまで経っても、『答え』に貪欲です。
自分の中にある more better な回答以外のものに出逢うと、まず色々な視点から比較して、メリット/デメリットを洗い出します。その時のシチュエーションで求められているmustな条件によって、都度選択肢は異なりますが、私は少なくとも、私の中に持っている『答え』に絶対的な信用を置いていませんので、もっといい『答え』が出てきたら、いくらでも上書きします。
もしも、偶然にも「唯一解」と言えるような真理に出会ったらラッキー、くらいなものです。私もいくつかの真理に出会いましたし、そういうものを収集してため込んでおきたいとは思いますが、なかなか出会う機会はありません。
「真理」っていうとなんかこう…厳かな気分になりますが、難しいことじゃないです。私の言う「真理」は
時代が変わろうと、立場や状況が変わろうと、
変化することの無い(不変的な)絶対解/唯一解
みたいなものです。あくまでイメージですが。たとえば、「1+1=2」は真理かと言うと、そんなことありませんよね。小学算数で教える範囲では正しいんですけども。でも、小学生でもわかることですが、
みかん1個 + りんご1個 は所詮「= みかん1個」
なんですよ。永久にみかんが2個になることはありません。なんちゃらの公理だか定理だかで決められた最低限の条件(自然数の加法)が成り立っている場合に限り、2になります。つまり
みかん1個 + みかん1個 = みかん2個
というわけです。この辺の難しい話はとりあえず置いときましょう。
あまり哲学方面に進むつもりはないので、あくまで私自身の見解と言う意味で言えば、「=」で挟んだ数式を、右から読んでも左から読んでも成立するものが、私の中で真理であり真実であると考えています(変数が介在しない計算式は不変ですものね)。
たとえば、「後悔先に立たず」。
後悔 = 先に立たない
後に悔やむ = 先に悔やめない = 後悔
「ハッ!?これって真理じゃね!?」みたいな。そんなノリで良いと思います。別に学術的にナニするアレとか、興味ないので。
ビジネス上の答えは1つではない
さて、大きな脱線からやっと本題に戻ってきて、世間ではよく言われていることですが、学生時代の試験問題とビジネス上の問題の違いは
「ビジネス上の答えは1つではない」
と言う点にあります。以前もどこかの記事で書きましたね。「唯一解」が用意される学校のテストと違って、ビジネスにおける成功には無数のルートがあって、どれを選ぼうが成功に辿り着きさえすれば、問題ありません(モラルに抵触するものはどうかと思いますが)。
ちなみに、この時、最も「楽なルート」を模索する努力を、効率化、生産性向上活動と言いますよね。私も「楽」をするのは好きなので、常日頃から、「もっと楽できる方法はないか」を模索しています。
学生時代の試験は単純化されていて、常に1つの解に誘導されるよう設定されています。教師が稀に誤って「解釈が曖昧になる」ような問題を作らない限りは、必ずそうなっています。だって、点数つける方も大変ですし、答えの選択肢が増えれば増えるほど、授業で教えることも増えますしね(だからこそ、学校で学ぶ「テストのため」だけの学問は、社会では応用が利かず、役に立たたないと言われがちなのですが)。
けれども、ビジネスでは問題1つに多くの答えが存在する上、どれが正解かはやってみなければわかりません。シチュエーションや条件が少し変わっただけで、more better な答えも毎回変わります。1つの業務に対して、成功も失敗も含めて経験できるルートなんて10もないでしょう。さらに状況が変化すれば正解が誤答となることもあるし、もっといい答えが現れることもあります。
だからこそ、1つの成功で過剰に自信を持つ…すなわち自惚れてはならないのが大変なのです。
ドラッカーは社会、社会活動、社会問題のすべてがあまりに複雑になっているために、「唯一の正しい答え」はもはやありえなくなった、と指摘していました。
「これだけしかない」
「これ以外にありえない」
と固執するのはただの妄執であり、独断でしかありません。いわば愚者の行いです。もし、経営者がそんなこと言いだしたら、おそらくその企業のビジネスモデルはその時点で(変化することを止めた、と言う意味で)死に至るのではないでしょうか。
常に
「本当にもっといい回答はないのか」
「他にもあるはずだ」
と、既知の思い込みや過去の経験則だけに振り回されず、別の答えを追及する姿勢と態度が重要です。
コツは自分自身を信用しすぎないこと
私もよく周囲から質問や相談を受けることがあります。
その際に、大抵の場合は何らかの回答を返します。過去の経験を参考にすることもあるでしょう。ですが、成功体験を元にするのは「アドバイス」までです。私が経験した時と、今とでは時代から条件から、そこにあるリソースから何もかもが違います。似ていたとしても、同じではありません。ならば、参考程度にとどめるのが最良です。
その代わり、失敗体験を元にする場合は、「指摘」「注意」、ときに「指示」に及ぶことがあります。失敗は、数少ない条件を満たしてしまえば、再発させることが可能だからです。「成功」と言う大きな川の流れを見定めることはできなくても、その中の部分的な「失敗」と言う支流の流れを見定めることは可能なのです。
また、ある正解の1つが、時間が経過してもずっと同じと言うわけではない点も、ビジネスではよくあることです。私も、その時は正解の1つであると言う自信を持っていたとしても、それが永続的に正解のままであると思ったことは一度もありません。だから時間がたてば、言ってることが全く異なる…なんてこともあるでしょう。
「いつ」「どのタイミングで」とは一概に言えませんが、私は、私が持っている知識や判断の全てを信じているわけではありません。
抽象化し、本質的に落とし込んだ回答がブレることはありませんが、その時、その時ごとの最適解となるかどうかは別問題です。ですから、都度最新の情報や状況を確認し、現時点でも問題がないことを確認します。答えを出すときも、まずは「本当にそれでいい?」「過去の実績に自惚れてない?」「明確な根拠は?説明できる?」と自問自答を繰り返します。
そして、場合によっては、自分が持っている考え方や判断をまず改めるところから始め、改善し、最適化した後に回答します。
ビジネスモデルに、万能はありません。
なぜなら、成功するのは、その時たまたま成功するための条件が整っていたからであって、時間が経過し、条件が満たされ無くなれば、その方法では成功しないことを意味するからです。そして、その条件とは、常に市場の変化に影響を受けるもので、ずっと変化しないということがあり得ません。
ある企業で成果を上げたモデルを万能であるかのように誤解して、二番煎じでそのまま自社に導入すると、多くは失敗に終わります。自社に合うように知恵をつけ、改善を加えてこそ効果が出るのです。
この改善を「テーラリング(仕立て直し)」と言います。
ファッションの世界では、「仕立て」する人を"テーラー"と言いますよね。同じです。既製品をそのまま使うのではなく、個々人の体形や個性に合わせて仕立て直しをすることをテーラリングと言うように、各企業ごとの特徴や個性に合わせて改善することも、同じ言葉を使います。
私がいるIT業界、なかでもB2Bで受注開発をしているようなところも、「既製品では、自社のビジネスモデルに合わないから、完全オーダーメイドで作ってほしい」というユーザーのニーズに応じて存在しているようなものですしね。既製品でいいなら、パッケージ製品を買えばいいだけです。
重要なのは、
既成の答えに固執せず、選択肢の1つとしつつも、
TPOにあわせて「最適解」を選択しなさい
ということです。常に自分の中の常識を疑い、自問自答し、根拠のある最適解を作り出すことです。
たくさん考えることが「仕事」になる
現代では、たくさん考えることが深く考えること、考えつくすことが仕事です。ただ手を動かすだけの機械的な業務、仕組みとしてルール化、手順化できるような業務は、遅かれ早かれRPA(Robotic Process Automation)や、AI(Artificial Intelligence)といったコンピューターの処理機構に奪われていきます。
私に言わせれば、設計や製造を主とするエンジニアやプログラマーの仕事もいずれ無くなると思っています。アルゴリズムのように機械的に構築できる手順、基準、ルールがあれば、誰でも同じ結果になる…と言うのであれば、間違いなく、その仕組み自体がプログラム化できるはずだからです。
縦に深く考えるのを「ロジカルシンキング」
横に広く考えるのを「ラテラルシンキング」
客観的に考えるのを「クリティカルシンキング」
と言いますが、多様な考え方を持つことは、視野を広げ、視座を高く持つことであり、その結果として様々な問題に対して、多角的な解決方法を思いつき、仕事がスムーズに回ることにもつながるのです。
『考える力』は、圧倒的なパワーを持っています。
昨今、「考える」ことを嫌う人が増えている…とよく言われており、私の周囲でも、自分で考えようとはせず、すぐに答えを欲しがり、簡単なテンプレートやフレームワークがあれば、それに飛びつきすぐに楽をしようとする人が後を絶ちません(別にそれ自体は効率化に貢献するので悪いことではありませんが)。
機械的な『作業系』の仕事であればそれでもかまいませんが、『考える系』の仕事には安直に答えが転がっているわけでもありませんし、テンプレートやフレームワークは数が多すぎてどれが最適なのかもわかりません。それでも、楽をしようとして考えることを止めてしまうと、仕事は運に左右されたギャンブルにしかなりません。
このことからもわかるように、過去の成功や実績に捉われて、いつまで経っても状況の変化を無視した判断をするようでは、そもそもマネジメントとして毒にしかなりません。決断根拠に「前回はそれで上手くいったから」と添えるケースにもあてはまります。
こうしたケースが蔓延すると、どんなに多様な考え方や意見が提出されても圧殺されてしまいます。これまでやってきた「唯一解(と思い込んでいるもの)」以外の答えなど求めようとしなくなるからです。
これが、人や組織が「保守的になる」「老化する」「退化する(成長しなくなり、市場の変化との差が開いていく)」ということだと思っています。
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