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事前と事後

デジタル時代だからこそ、デジタルでは割り切れないアナログの「気づかい」に悩まされる人もいるのではないでしょうか。

自分ではよかれと思って行動したのに裏目に出てしまい、恥をかいたり、かかせたり。

それだけにとどまらず、相手の期待を裏切り、信頼を失ったなんて経験をした方もいるのではないでしょうか。悲しいですが、自分の気づかいが必ずしも相手に喜ばれるわけではありません。

だからこそほんのちょっとした気遣いが大事になってきます。

 「美味しいパスタのお店に連れて行ってもらった」
 「仕事に役立つ本を教えてもらった」
 「子どもの成績をぐんと上げてくれる学習塾を紹介してもらった」

など、日常での「嬉しい」を紹介してもらえる場面があります。

たとえば、そうして紹介してもらった先で「これはいいな」「また来たい!」という素敵なお店に出会い、また別の機会にあなた自身が再度利用するとしましょう。そのとき、そのお店を紹介してくれた人に「事前」に連絡をしているでしょうか。

 「この前、教えてもらったお店に行ってきたんですよ」

と、事後報告する人が多いかもしれません。

ですが、これは損につながります。
人間には心証というものがあります。
人の顔を立てるには、順番が重要です。

「行ってきました」の事後報告よりも、「このお店、今度使っていいですか?」と事前に聞いておいたほうが相手は嬉しくなるものです。「使ってもいいですか?」と事前に確認した上でお店に行き、「教えてもらったお店に行ってきました」と報告するのがベストな気遣いです。

これは仕事でも、相当量の業務に同じことが言えます。

仕事の進め方について、上司やお客さまに対し

 「このように進めますがよろしいですね?」

と事前確認しておけば、認識の齟齬が出ることはそうそうありません。

たとえばレビューなどで他愛のないことをチマチマと指摘される人は、間違いなくその気遣いが足りていないと言っていいでしょう。

もちろん、レビューでそのような指摘が大量に発生する場合、レビューする側にも責任があります。あらかじめ

 「このような観点でレビューしますからね」

と通知していないのです。本来、レビューに限らずありとあらゆる承認行為、ありとあらゆる評価行為というものは『正解との比較』によってのみ真に正しい効果が発揮されます。その確実な正解があるからこそ、常にその正解と比較するからこそ、誤ることなく正しい判断、正しい評価を行えるのです。

これを属人的にしてしまうとどうなるでしょう。

常にその人、その時の価値観、感覚、感情、思い付き、思い込みなどで判断や評価にブレが生じます。工程の名前やレビュー名などからなんとなくみんなすべきことがわかっているはずだと思っていても、いざレビューが始まってしまうと気になるところがどんどん出てきて工程の示す観点に無いことでも次々と指摘しだす…そんなの、ただの『後出しジャンケン』でしかなく、指摘される側から見れば、ただただ卑怯ないじめにしか見えません。

私がプロジェクト活動でリーダーやマネージャーとなり、レビューする立場になる際、必ずと言っていいほど

 事前に何をレビューするか、具体的に言葉にし、周知
 (場合によっては文書やメールなどで明文化)

します(私に管理・監督権限がなく、支援として依頼された場合は、どんな意図、ルール、手順、基準等があって進めているのか把握するまでに時間がかかるため、その限りではありませんが…)。

たしかにやや面倒くさいかも知れませんが、卑怯者にはなりたくないならするしかありません。それができるマネジメントにしなければなりません。

なにより、そうしておけば実際にレビューする時、自分の役割がブレずに済みます。レビューを受ける相手、あるいはレビューした結果を受け取るお客さまの信頼を裏切ることもなくなります。

仮に観点やチェックポイントとは関係ないところで気付いた点があっても、補足や申し送り事項にするだけで、改善するかどうかは本人に任せ、計画性のあるチェックしかしないようにします。

仮に観点やチェックポイントとは関係ないところで気付いた点がとても重要なレビュー観点であった場合はその旨を説明して正しく評価したうえで、これまでのレビュー観点(比較元)に存在していなかったことが問題なのであればレビュー観点に追加し、周知します。

そうすることで、レビューを受ける側も、

 ・あらかじめ気を付けておくべきポイントがわかるので、作る際に気を付けられる
 ・レビュー前に自己チェックができ、手戻り工数を大幅に低減することができる

ようになります。安心してレビューに臨むことができますし、作りこみ品質事態が向上しているため、レビュー時の指摘数がぐっと提言します。指摘数…いわゆる欠陥や不良が減ればその分手戻りコストが減りますから、時間的にも、金銭的にも余裕が生まれます。プロジェクトにも、個人の私生活にも圧迫を加えることがなくなります。

事前に決めるべきことを決めておくと、何をするにしてもチームメンバー一人ひとりの効率性が向上し、業務一つひとつの生産性もグッと改善されるはずです。

「なんとなく」「とりあえず」

で、無計画・無準備で進めながら適宜調整と言うのは、図面も書かずに工作しているようなものです。必ず大量の無駄が増え、手戻りも大きくなります。

これは、相当に優れたベテランのマネージャー、エンジニア、レビューアで構成されでもしない限り、まず間違いなくそうなると言っていいでしょう。

また、レビューに限った話ではなく、他にも何かちょっとした依頼を受けた場合でも必ずと言っていいほど

 全体のうちのごく一部

をイメージや認識が間違っていないことを確認できる叩き台レベルで、事前に

 「先ほどおっしゃられた依頼ですが、
  こんな感じで認識しているのですが、
  そのまま進めてもいいですか?」

という意味を込めて早々に確認します。

今までもそうでしたし、今後もおそらくそうしていくと思います。

1ヶ月(20人日)かかるような仕事であっても、たった1機能、1ページ、1枚作ってざっくりとしたイメージあわせをする程度であれば、30分~1時間もあれば十分なはずです。

その後の19.875人日を1分1秒たりとも無駄にしないためには、さっさと事前摺合せしておいた方が良いに決まっています。

こうした気づかいに才能やセンスはまったく必要ありません。

本人にその気があれば大人から子供まで、100人いれば100人が実践できる代物です。大きな企業であればあるほど、冗長的に費やしてきた手戻りコストを低減させたときの利益貢献は大きいのではないでしょうか。

「損する」地雷を避け、「得する」方だけを実践していけばだんだんとそして自然と、

 「あっ、この場合は、こうしておいたほうがいいかな……?」

という感覚が磨かれていきます。AIと同じく、経験による一定のパターンデータを積むと自然と身につくようになっているのです。

自分本位で、主観的なものの見方しかできない人は、一生損したければそのままでもいいかも知れません。

乗れなかった自転車に、急に乗れるようになる。
そんな感覚が必ず訪れます。

気づかいは、そんなに難しいことではないのです。

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