勘違いリーダーシップのポイント
一口に「ダメなリーダー」といってもそのダメさは大きく分けて二通りあります。
ざっくりいえば
「人間性そのものがダメなリーダー」
「責任者を理解していないリーダー」
です。
後者はただ「まだ早かったのかな?」というだけで済むこともあります。もう一度メンバーに戻して経験を積ませれば解決する可能性もあるでしょう。あるいは本人が自覚し、改める気概さえあれば改善される可能性も残っています。
しかし前者は完全にダメです。ほぼ手遅れといってもいいでしょう。リーダーになるべき人物ではありませんし、何を勘違いして「自分はできる」と思ってしまったんだろうと不思議に思います。
三つ子の魂百まで
という言葉もあります。それらしく改善したように見せることは可能でしょうけど、本質的な部分は決して変わることはないでしょう。
とはいえ、どちらも現時点ではダメであることに変わりありませんし、場合によってはチームや部署、組織が傾く可能性の高い問題です。いくら人選に問題があったとはいえ、その責任は後程問うとしてこのまま放置しておくわけにはいきません。
チームや組織が破綻する前に一刻も早く解決しなければなりません。
「人間性に問題がある」リーダーシップ
性格的、人格的に社会人あるいはリーダーとして不適合となるのがこのタイプです。
元々そういう性格だったのか、リーダーになってからそういう人になってしまったのかはその人それぞれですが、成功(と勘違い)してそこから評価されるようになった人や、見た目天才肌の人に多いタイプです。
先ほども言いましたが、「三つ子の魂百まで」という言葉があるように人間性そのものはなかなか変えることができません。これらについては「いずれ改善を期待する」ではどうにもならないことが多いのです。
自分ファーストで「俺のモノ」意識が強い
そもそも人間性に問題がある人の多くは「自分中心的」です。自己中とはまた異なりますが、判断基準や価値基準のすべてが自分を中心に考えがちなのは変わりません。
相手目線が理解できていても、そう言う考え方を率先してしようとしないのです。
このタイプの人は「○○(チームや部署)は誰のもの?」と聞かれたら、社員とか、株主とか、顧客とは答えず
「その組織のリーダーである自分のもの」
と考えることでしょう。すべてが自分の意志通りにコントロールができる…そんなポジションがリーダーなのだと勘違いしています。ですから自らが長となっている組織に関するすべては自分の支配下にあると考え、すべてを自分色に染めようとします。
「自分が間違っているか」
「相手がどう思うか」
は関係ありません。二の次ではなく考える対象ですらないのです。
口にはしなくても
別に部下から尊敬されなくても良い。
自分の下で働かせてやっている。
俺がイヤならお前が辞めればいい。
という考え方を持っています。
この考え方は既に組織の一員として『末期』です。
正当な手続きで所有権を得たもの以外を「自分のモノ」と誤認した時点で、相当マズい感性になっています。部下や周囲を道具としか感じず、利用することしか考えていませんから、場合によっては組織内分裂やハラスメントに発展しかねません。というか、すでにその予兆は出ているのではないでしょうか。
ハラスメントに対する意識が無い
自分の行いに対してパワハラ、モラハラという意識がまったくありません。
たとえば、部下や肩書が下の相手を名前で呼ばず「おい」「お前」と呼んだり、女性社員や時短勤務の方に対して「女はダメだ」「アイツはダメだ」と決めつけたり、人前で社員を大きな声で叱責したりすることに何ら疑問を感じることがありません。
ひとことで言えば他人を自分と同じ「人間」とは思っていないのです。
肩書さえあれば、あるいは人事権を有していれば、他人の人格を否定するような言葉を平気でぶつけもいいと考えているので、精神的に追い詰められて辞めていく社員が後を絶ちません。
会社単位であればともかく、部や課単位で毎年離職者が安定して出てくるようであればもう手遅れです。会社はよほどの不祥事がない限り、一度昇格させた人を降格することはありません。
自分たちに「人を見る目がなかった」と認めたくないのです。
ですから一度そのような人が組織のリーダーを務めるようになってしまったら、消化できないほどの大きな問題にでもならない限り、改善されることはないでしょう。部下やメンバーはそんな組織に居続けても、未来はありません。
イエスマンの取り巻きしかいない
人事評価の軸に「上司にとって居心地がいい人材を評価する」という項目を置いている企業はないでしょう。
しかし、いざ上司になるとそういう人を優遇する傾向が見られます。
実際、前職ではそういう方がいらっしゃいました。
自分をチヤホヤしたり、常に意見に賛同してくれる人間を周りに置きたがるので、いつしか取り巻きはイエスマンだらけになっています。反対に、会社を良くするための進言を嫌い、評価を下げ、そういった発言をする社員を辞めさせる方向に持っていこうとします。
経営学の父、P.F.ドラッカーはそう言うイエスマンだけしかいない組織に警鐘を鳴らしています。
イエスマンたちは自分の保身が第一です。
会社のためなんて考えていませんし、リーダーのためとも思っていません。
しかしそういった人たちばかりが不正なルートを使って評価されていくと、いずれまともな人材はいなくなってしまいます。そして、そんな歪な組織に見切りをつけた優秀な人材はどんどん会社を去っていくことになります。たった1人のクズを優遇し、その人に権限を持たせてしまったために会社の業績は傾いていくことになってしまうことも起こり得るのです。
思いつきや気まぐれで周りを振り回す
リーダーや管理職など、その組織のトップである自分が大好きで自分の一言で組織が動くのが楽しくてたまりません。えらい立場にいる自分が好きだから要所要所で
「何か言いたい」
衝動に駆られ、ちゃんと思案したわけでもない半ば行き当たりばったりの思い付きで発言するようになります。思いついたことを深く考えずにやらせたり、指示をすぐに撤回したり、忘れて放置し続けたりします。
もちろんそんな思い付きや気まぐれに長期的な運営ビジョンがあるはずもありません。ひどいときには自分が言ったことを忘れていたりします。
ですから、それらに振り回される部下たちは疲弊するだけでなく徐々に心が離れていくことになります。実際、私の身の回りにもそういう人がちらほらいましたし、そういう人たちから逃げるために転職したこともあります。
クズのために自分の人生を浪費するなんて、絶対にしたくありませんよね。
自席、自室へのこだわりが強い
自席、自室、自分専用というのが大好きで強いこだわりを持っています。
内装やデスク回りを自分好みにしたがり、特に広さや大きさ、豪華さと言った虚飾を求めます。他の社員とわざわざ差別化を図ろうとするのです。
もちろん役責に見合った環境は必要です。
快適に執務ができる場所であるべきですし、リーダーの威厳を表したり、場合によっては来客者をもてなすケースもあるのでキチンとしておくべきですが、クズなリーダーの目的は『自己アピールと自己満足のみ』で執務や来客者のためではありません。
当然、オンリーワンの何かを与えたところで、その提供に見合ったパフォーマンスやバリューがあがるわけではありません。ただの無駄遣いにしかならないのです。
「責任者として問題がある」リーダーシップ
優秀なリーダーから引き継いだだけの二代目であるとか、上司に取り入り、気に入られることで出世したリーダーに見られることがあります。そもそも実力以外の要素でリーダーシップを求められるようなポジションに就いてしまった人です。
組織運営そのものがダメなのは仕方がありません。
組織運営がダメなわけですからチームや組織の、場合によっては会社の存亡に直接影響を及ぼすことになるでしょう。
決断力がない
決断力が無く、自分で決めることができません。
そのため大事なタイミングを逃してしまうことも少なくありません。
決断力がない人は多くの場合「論理的に考える」ことを苦手としています。
論理的に考える癖をつけると、感情の入り込む余地がなくなります。
いえ、感情によって決めたことであってもそれを論理として組み込むため、決断ができずに悩むということがありません。
たとえば
こうした感情的なことであっても、論理として…つまり「心」ではなく「頭」で判断することが可能になります。日ごろから行き当たりばったりや思い付きばかりで済ますのではなく、自分と向き合い、自分自身が常日頃からどのように考え、どのように判断しているのかを客観視する習慣をつけておくのです。
そうすれば、そもそも判断や決断で迷うことはありません。
それは未知の課題/問題であっても同様です。
たとえば、次のように準備しておくことは可能なはずです。
これは新しいことを始めるときでも、事業を撤退するときでも同じです。
リーダーでも、管理職でも、経営者でも同じことです。
決断ができない…日ごろから決断するための情報収集と脳内整理をしておこうとしないから引き際を決断できないために損害を大きくしてしまっているにすぎないのです。
リーダーシップ力がない
組織のリーダーには大きく分けて2つのタイプがあります。
一方は
「自らがトッププレイヤーとして社員を引っ張っていくタイプ」
もう一方は
「普段は部下に任せ、いざという時は自分が会社のトップとして責任を取るタイプ」
です。
どちらのタイプもリーダーとしての心構えがあり、部下や協力会社にとっては心強い存在ですが、ダメなリーダーはそのどちらも持ち合わせていません。どちらでもないために部下や他社のメンバーからの信頼が一切ありません。
・頼りない
・尊敬できない
・存在感が薄い
・関わりたくない
・ついて行きたいと思わない
そんな邪魔な存在になってしまっています。
労働環境に無頓着
従業員満足度を意識できないリーダーは、それだけで大きなハンデを背負っています。
業績を上げるには
『社員の健康を保つ』
『働きやすい環境を用意する』
『もっともパフォーマンスが出しやすい条件を整える』
のも大事なことです。そのためにルールが邪魔であれば、ルールから見直そうとします(もちろん必要なルールまで軽視するのはだめですが)。
組織にとって最も重要なのは
「組織のパフォーマンスを最大化する」
ことであり、リーダーの好みの形に強制することではありません。逆に組織のパフォーマンスを最大化するために障害となるルールや手順は、最適な形へ見直す必要があります。
しかし名ばかりでダメなリーダーはそれに気づきません。
・業績を上げる方法は売上をあげるしかない
・評価を上げるにはとにかく馬車馬のように働かせるしかない
・自分の言う通りにしないヤツが悪い
・パフォーマンスが上がらないのは部下の能力が低いから
と考えます。なんだったら「労働時間が長くずっと会社にいるのが優秀な社員、有休をとる社員は怠け者」というくらいの考え方で「効率を上げる」とか「リフレッシュさせる」などの発想がありません。
そう思っている自分が一番パフォーマンスが低い…なんてことに気づきもしません。
「家族的」にこだわりすぎる
「労働環境に無頓着なリーダー」と正反対のタイプです。
会社を大きな家族と考えるのは悪いことではありませんが、社員の生活が会社を中心に回っていると信じて疑いません。彼らにプライベートがあることを考えようとしないのです。
会社のなかだけで完結し、会社の中の家族のために死ぬ気で働けと言っていることに、当の本人が気づいていないのです。会社のレクリエーション行事や「飲みニケーション」に重きを置きすぎて、部下やメンバーにも家庭や生活があるということを無視し、他人の都合そっちのけなことばかり考えています。
ある意味で「自分中心型」なのでしょう。こういう人は自分の価値観を他人に押し付けているだけだということにはやく気付くべきです。
本業に誇りを持っていない
投資や資産が生む価値が本業の業績を上回り本業がおろそかになる会社は、バブル時代(~90年代)にたくさんありました。
もちろん時代や流行に合わせて組織の主力戦略を変えたり、顧客層の転換を図ったりするのは組織運営として当然のことです。市場の変化に速やかに対応できない企業は長続きしません。
しかし、ただ流行りに乗って本業とはまるで違うものに手を出したり、安易に業種を変えたりして「本業」を見失うのもダメなリーダーの一つの特徴です。
舵取りといっても、船が鋭角に曲がったりすることはできないのと同様、いくらリーダー権限で命令・指示したところで許容限界を超えた急な変化には誰も対応できないのです。
責任を取らない
売上が目標を下回ったり、事業が上手くいかなかったりするとその責任を自身ではなく部下にに押し付けるリーダーは意外に多いものです。
本来、全ての指揮決裁権を持つ組織の長がその責任を取るべきですが、自分は組織のトップにこれからも居続けたいと考えているので部下の粗探しをして責任を取らせようとします。
ダメなリーダーの下で働き続けると、いずれ心身に支障をきたして自主退職するか、責任を押し付けられて退職に追い込まれる羽目になってしまうことも多いと言います。
そうなる前に、『ダメな部分』を改善することが当たり前の認識を持ちましょう。
責任を負わない
そもそも「責任を取る」ような状況になるまでチームや組織を誘導している時点でリーダー失格です。そうならないようにチームや組織をコントロールするのがリーダーの役責のはずです。
今ある立場に立つ以上、そこに立った瞬間から責任を負い続け、「とる」事態にならないよう役目を果たせない無責任なリーダーには、他人を従える資格はありません。
最後に
少なくとも(過去はどうあれ)現在がダメな部分において、言い訳をするだけで一切自己改善しない、しないことを正当化するような組織では、結局その下の組織が腐るか傷むかして崩壊していくだけです。
『ダメな部分が目立つリーダー』は周囲も不幸にします。
中長期的に見れば企業にも損害を与えることになります。
リーダーだけに限った話ではありませんが、「人の上に立つ」以上は自分だけじゃなく、他人の人生も背負っている覚悟が必要ということです。
それができないならば人の上には立たないことです。
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