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スケジュールは埋めるな

ビジネスにおいてスピードは非常に重要です。

限られた時間を有効活用する上で、スピードが果たす役割は非常に大きく、同じ成果あるいはプラスアルファも見据えた成果を出すなら、スピードが速い…すなわち生産性/効率性は高いに越したことはありません。

一方で、それゆえに陥りがちな罠として、実行計画の策定段階における"スケジュールの詰め込みすぎ"というものがあります。

余裕があるとどんどん詰め込む…ちょっと考えてみてください。

タスクマネージャー

たとえばみなさんがお使いのPCのタスクマネージャーを開いてみてください。

で、CPUでもメモリでもディスクでもなんでもいいので使用率を100%にしたらどうなるか想像してみてください。

はい。
多くの人がご想像した通りPCが固まります

再起動の必要があるかどうかはわかりませんが、しばらくは何をしてもうんともすんとも言わなくなるでしょう。

そう、何をするにしても「詰め込みすぎ」という状態はフリーズを誘発します。
コンピューターの機構や構造自体、人を模したものなのですから、当然ながら人も同じ結果となります。

短期的なもの、失敗したときに致命的とならないものであればまだしも、慣れないうちは個人レベルにせよチームレベルにせよキャパシティ(処理能力)の120%を使わないと回らないような計画を組むのではなく、状況にもよりますが6割から8割程度のキャパシティ利用度で済むように実行計画を立てるのが無難です。

スケジュールの詰め込みすぎは、大きく2つのデメリットを生みます。

1つは「立ち止まって考える時間が少なくなり、視野が狭くなる」こと、クリエイティブなことを考えるための余裕が取れなくなることです。先ほどの例の通りですね。

特に創造性は、ある程度余裕がある時に生まれやすいことが知られています。

ビジネスの場面では既存の前提に縛られない創造性は常に求められます。それが計画通りにいかない時に、効果的な方向転換に結びつくことも少なくありません。その芽を摘まないためにも、常に時間的なあるいは精神的な余裕は必要なのです。

もう1つのデメリットは、スケジュールを詰め込みすぎると「どこかでトラブルが発生した時に、かえって大渋滞が発生する」ということです。これは制約理論…つまり仕事の制約となる条件に注目し、スループット(全体としてのアウトプット量)をあげるための考え方などからも導けます。

工事現場でいえば、どこかの現場でトラブルが起きた時に他の現場に余裕があれば、人や機械を回して支援してあげたりもできるのですが、みなが一切の余裕もないパツンパツンの状態で動いていればそれができずに混乱や大渋滞を巻き起こし、全体の生産性を下げてしまうということです。

これらのデメリットを避ける上でも、適度な「遊び」やバッファを持っておくことがかえって効果的なことも多いのです。というか、ほんの少し余裕を持たせておくという発想は、最もコントロールしやすいリスクマネジメントの1種ですよね。

たとえば線路のレールや建築物なども、気温差によって膨張/収縮が起きても壊れたり歪んだりしなくてもいいようにほんの少し遊びを持たせていますが、全く同じ発想です。

こうしたことを何も考えず、とにかく詰め込もうとすればいざというときに…

熱膨張で歪んでしまい、事故を起こしやすい線路となってしまうわけです。
同じように、人にも歪みが生じます。

副次的にではありますが、スケジュールを詰め込みすぎると、

 「精神疾患にかかりやすくなる」

傾向もあります。なぜなら、心身ともに遊び(余裕)を設けられないわけですから、常に張り詰めた状態となります。詰め込みはすなわち"ストレスとの戦い"でもあります。

頑張って頑張って、それでもほんのちょっとしたことでスケジュール通りにいかない場合などに押し寄せてくる喪失感などによって、そこまで耐えていたストレスの負荷に押しつぶされてしまうケースもあります。

属人的に仕事を集中させてしまうこともこうした問題に拍車をかけることになります。

よく

 「できる人に仕事を集めたほうがいい」

なんて馬鹿げた理論を言い出す人がいますが、そう言うのはいつも「集められた側」ではなく、そうやって他人にすべて集めて「楽をしている側」だったりします。しかもそうやって集めようとするのは1人ではありません。「自分だけなら…」と甘えた考えで他人を利用しようとするのは勝手ですが、一人がそうやって自分の役責を自らの力で果たそうとせずに他人を利用すると、「あいつがやるなら俺も…」と思う人が5人、10人と増えていきます。

結果、「集められた側」の人は他人の5倍、10倍と詰め込まれていきます。しかも、日系企業の報酬制度の多くは時間に対して支払うものですから、同じ時間のなかで他人に丸投げするばかりで1しか成果を出さなかった人が5人いても、その5人分の成果をたった1人が押し付けられてすべて達成していたとしても、6人全員同じ報酬にしかなりません。

平等に評価はしても、決して公平な結果にはなりません。

前職でもそうでした。
1人でおよそ6~7人分の仕事を集中させられても、ほかの6~7名との差は1年で2~3万しか変わっていないのではないでしょうか。むしろ私は生産性が高すぎてほとんど残業しなかったので、私の1/7程度しか成果をあげていなかったとしてもとにかく残業しまくっていた人は私の1.5倍以上稼いでいたかもしれません(裁量労働だと、どうだろう…)。

本当に「できる人に仕事を集めたほうがいい」と思うのであればまずは完全な成果報酬制度にして、仕事量の差別化=報酬・待遇の差別化とするべきでしょう。それができなければただの口先だけになってしまいます。

なにはともあれ、ごくごく短期的なものであればまだしも長期間詰め込みっぱなしにさらされれば多くの人は耐えられないと思います。

 「真に優れたマネジメントにおいては、休憩や休みなども計画的である」

ということを忘れないでください。詰め込むだけで満足しているうちは何歳になろうがまだまだマネジメントのひよっこです。

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