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説明責任

私はよく新人教育などで

 「信用」「信頼」

について説明していますし、ここでも何度か取り上げてきました。

もちろん、それぞれ異なる意味を持つ言葉ですが、こと「信頼」に限って言えば、説明責任を正しく果たせるかどうかによって培われる部分が非常に多くを占めているような気がします。

今どきの言葉に置き換えると、説明責任のことを「アカウンタビリティ」と言いますが、こういったことは社会人かどうかに関わらず、他人と関わり、影響を与える立場になる以上、"当然"のように果たさなければならないことなのです(厳密には、アカウンタビリティと説明責任は別物なんですけどね)。

説明というと、報連相とはまた違ったコミュニケーションのように見られますが、基礎技術的な部分は大きく変わりません。相手が求める事実情報を、相手が望む形で説明するのであれば"報"となり、相手に必要な情報を伝達し、共有するために説明するのであれば"連"となります。

しかし、上司と部下の関係で求められる報連相とは異なる形で説明責任を果たさなければならないケースも多々あります。

一般的に、社会において相手から、あるいは周囲から"信頼"されたければ、ホワイトボックスであることを心掛ける必要があります。内実のわからない(ブラックボックスになりがちな)結果だけでなく、説明責任を果たすことは必須と言ってもいいでしょう。そして、"信頼"の上に積み上げるように実績を残さなければ、"信用"されることは絶対にありえません。

たとえば、私たち「社会人」であり、かつ「会社人」の場合であれば、説明責任を果たす相手…つまり、利害関係者となる相手とは、

 ・「経営者」⇔「株主」
 ・「外注」⇔「自社」⇔「顧客」
 ・「責任者」⇔「消費者」

と言った関係となることでしょう。ここで必要となるのは、基本的に報告の一端を担う説明責任を果たすことであるのは間違いありませんが、通常の報告とは勝手が違います。

こうした対外的な説明責任を果たす場合には順序・手順と言うものが欠かせません。もちろん、一般的な報告にある「最初に結論から話す」と言う常識も通用しない場合があります。

説明責任を果たす場合には、一般的に次のような文章構成が必要です。

①道理を説明する

「道理」、「理」と言うと難しく聞こえますが、要するに「なぜ、そうなったのか(したのか)」と言う根拠を、個人の想いを含むことなく、事実として述べると言うことです。

注意すべきは3点。

 ・「○○だと思う」と言った、主観は絶対加えない
 ・「○○らしい」と言った、見聞は一切加えない
 ・法やルールなど、行動や決断の基となる根拠/背景を明確にする

特に、判断や決定には、個人の勝手なものがあってはなりません。企業である以上、個人が経験則等で勝手に判断するのではなく、常に仕組みやルールに照らし合わせて「それが適切であるか?」を客観的に評価できなければなりません。

逆に言えば、上記の3点を無視した説明しかできない人は、その立場、役割でいること自体が疑われると言うことです。その疑いを晴らす責任が求められているのです。


②裏付けを説明する

今は、情報氾濫時代です。

少々、Google等で調べれば事例の大半が出てきます。しかも、それが正しいのか間違っているのか。正しい答えは1つだけなのか、それとも複数あるのか。昔と違い「情報」がありすぎて、逆に混乱します。

自分がそう判断し、行動したことが正しいと裏付ける根拠を提示しましょう。世の中で認められ、通例化しているものや、判例など過去の経緯があるものなどは非常に強力なツールになります。

②を添えなくても、説明責任は果たせますが、有ると無いとでは、説明内容の厚みが全く異なります。実際には理路整然と説明できていても、感情的に納得しない人が出てくる可能性もあります。

たとえば、「有名な某○○でもやっている」と加えるだけで、権威等に弱い人は、道理を無視して納得することも珍しくありません。①で納得いただけない場合は、逆にこのような説明の仕方にしてあげなければ理解が追い付かない場合もあるのです。残念な人を相手にするため、やや回りくどくなるかもしれませんが、2度3度も説明させられるよりは遥かにマシでしょうから、相手のレベルに合わせてあげましょう。


③そうすることのメリット/デメリットや、そうしないことによる悪影響や責任を考慮したことを証明する

①②を説明しても納得しないような相手もいることでしょう。

本来であれば、精神的に大人になって正しく評価すべきところですが、世の中には精神的に大人になり切れず、感情をただ振り回すだけの人も少なくありません。そうした相手のためにも、「なぜそうしたのか?」について

 「そうすることによって、○○と言った効果が期待できるためです。」
 「そうしないことによって、○○と言った問題が出た時にあなたなら
  責任が取れますか?」

と言う括りを付けてみるのも有益です。

もちろんケンカ腰になる必要はありません。相手が正しい認識を持って、反論や指摘をしているのであれば、それは真摯に受け止め、組み込めばいいだけのことです。

しかし、相手が道理や論理で理解してくれる人ではない場合、メリット/デメリットやそうしないことによる影響は、先を見据え、俯瞰する視点を代わりに教えてあげないと、考慮していないまま話が進んでしまいかねません。「リスクを検討し、そこまで考えた末に今に至っているのですよ」と教えてあげましょう。


まとめ

説明責任にはこうした構成を用いて、相手にとって、自分が「信頼に値する人(会社)だ」と思っていただかなくては、商談も契約も、プロジェクト推進も、ただのギャンブル扱いになってしまいます。

ギャンブルで経営や運営をしていると、たまたま成功し続けている間はともかく、小さな失敗から大きな失敗まで、ほんの少し積み重ねてしまっただけで、あっという間に信頼も信用も瓦解してしまいます。なぜなら、その失敗が起きた時に

 「なぜ、こんなことになったのか!?」

と問い詰められても、「説明責任を果たせないような状況で運営していたからだ」…とはいえず、あやふやな回答しか用意できないからです。

しかし、責任をどのように果たすかを予め説明し、相手を納得させ、安心してもらいつつ、足元を固めて進めることは、失敗しても

 「まぁ…じゃあ今回は大目に見ようかな」
 「次からはその失敗も組み込んで対応してくれるって言うし」

と言う強い信頼が構築されているため、多少のことでは揺らぎません。つまるところ、計画をしっかり立て、それを関係者に説明し、関係者全員の安心と信頼を得て遂行することが非常に重要となる、と言うことです。

ちなみに、これは問合せや苦情等でもまったく同じです。

他人への働きかけには、他人を動かす(従える、誘導する、けん引する)都合上、そのアクションが妥当であることを保証(証明)しなければなりません。ただ感情に任せ、なりふり構わず暴れまわるのは獣か子供のすることです。

もし、取引先や外注、あるいは他部門に対して働きかける際にも、働きかける側の都合をただ押し付けるのではなく、上記と同様に

 「なぜ、そうしようと思ったのか」

について、道理、裏付け、メリデメ等が説明できなければ信じてもらえませんし、できない場合は、個人の感情に頼ったただの迷惑行為でしかなくなってしまいます。

コミュニケーションとは、相互の情報のキャッチボールによってしか成立しません。一方的にだけ押し付けるものであってはならないのです。「問合せ」も「クレーム」も、そして「説明」も、そういうコミュニケーションの1種でしかないことを忘れないようにしましょう。

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