コミュニケーションの本質
「コミュニケーション(Communication)」が
伝達
という意味だけでなく、
通信
という意味でも用いられ、世の中ではITだけではなくICTという言葉が使われているのは、それは
生き物同士のコミュニケーションと
インターネットによるコミュニケーションが
まったく同じ手順を踏んでいるから
です。
図にするとこうなります。
基本的に、送り手が相手に対して「どんな形で表現するか」を決めます。これをシンボル化と言います。
そして、何らかの伝達手段を用います。この手段をチャネルと言います。
そして、相手(受け手)にちゃんと届いたら、それを受け手は内容を確認し、読み取り、脳内で解読し、理解します。
送り手は送っただけで満足するか?というとそんなことはありません。少なくとも「届いた」という情報が無いと困ります。送達確認でもいいでしょうし、受け手から「ありがとう」「わかりました」などの返事があってもいいでしょう。これにもシンボル化とチャネルを使うことになりますが、この応答のことをフィードバックと呼びます。
この一連の流れがあって、初めてコミュニケーションが成立します。
一方、インターネットでは「シンボル化」と「チャネル」がある程度特定されています。もちろんいくつか選択肢はありますが、シンボル化は「プロトコル」と呼ばれるルールや基準等によって細かく定められており、その定められたルールに従ったデータになっていないと、送ることはできません。
プロトコルにはいくつか種類がありますが、一般的にインターネットを用いる際はTCP/IPを用いていると考えていいでしょう。この形に変換してくれるのがモデムです。
また、相手に送るためにはネットワークというチャネルを使うしかありません。無線/有線の違いがあったり、プロバイダによって出せる速度の違いがあったり色々微妙な差はありますが、
「プロトコルが一致していない限り送れない」
というルール自体は変わりません。そして受け取った相手は同じようにモデムを使い、プロトコルにあわせて変換(復号化)し、PCで読み取れる形にしたのち、実際に読むことができるようになるわけです。
ネットワークがしっかりとしたルールや基準を持っているのは、
そうしないと、コミュニケーションが成立しないから
です。もし、テキストで送ったデータを、画像データとして解釈されても読み取れませんよね。テキストで送ればテキストに。画像で送れば画像に…と解読しないと、そもそも送った人と受けた人で解釈が異なってしまいます。
こんなことは至極当然のはずなのですが、なぜか
人間同士のコミュニケーション
になるとこの大原則を忘れてコミュニケーションを図ろうとしてしまいます。たとえば、
「おう、アレやっとけよ!」
「ねぇねぇ、アレどーなった?」
と言われて、誰もが「アレ」が何のことを言っているかわかるでしょうか?…わかりませんよね。わかるわけがないんです。
英語の関係代名詞のような使い方をされれば、わかるかも知れません。ですがそうでない限り、送り手と受け手の間に必要な情報が足りていない状態で、正常なコミュニケーションは成立するはずがありません。
日本ではこれを「空気を読め」という言葉で一蹴する癖がありますが、それを続けている限り、コミュニケーションロスは一生なくなりません。
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