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面接では相手の何が推し量れるのか

現在でも至るところで行われている面接・面談

評価や採用はもちろん「人」を推し量る際には必ずと言っていいほど用いられている手段の1つですよね。

ですが、その手段を採用するリスクというものをみなさんはご存じの上で用いているのでしょうか。ただの評価者の自己満足の場になってはいないでしょうか。本当に公平・公正に判断できているのでしょうか。

たとえば「人」を推し量るという過程においてAさん、Bさん、Cさんの3人を評価しなければならないとしたとき、面接や面談をする人たちは本当に公平・公正な評価ができるものでしょうか。

おそらくは感覚的なものに頼っているでしょう。
おそらくは評価する人によって、基準はそれぞれ異なっていることでしょう。
いかに組織として基準めいたものを作っても、おそらく評価する人たちは早々に守る気もなく形骸化させていることでしょう。

なぜそんな乱暴なことが言い切れるのか。

それは「人」そのものを面談や面接という手段を用いることで客観的な評価を行うことが不可能だからです。

たとえば陸上競技や体力測定、筆記試験のように一律同じ条件を課して、定量的に評価できる手段を用いるのであれば客観視することも可能かもしれません。しかし、面談や面接では人間性等を確認することはできても、評価する人たち一人ひとりの価値観や評価基準が異なりますし、仮にそれを抽象的な基準を設けたところで解釈や歓声が異なるため一律同じになることはありません。

結果、Aさん、Bさん、Cさん3人それぞれに対する評価はどれもこれも同じ基準で比較すること自体、意味のないものとなってしまうわけです。いわば

「トマトとキュウリとナス、どれがこの世の中で一番おいしい?」

と聞かれていると思ってください。おそらくみなさんは「もし自分なら…」と客観視を捨てた判断しかできないことでしょう。当たり前ですが、トマトにもキュウリにも、もちろんナスにもそれぞれ良いところはありますし、悪いところだってあるにきまってます。

じゃあ「その中でたった1つ選ぶとすれば?」と言われたら、客観性を持った判断などできるわけがないのです。

しかも、評価する側の人を見る目というものもまた定量的に測れません。

なんとなく偉そうな人や偉い立場になった人に評価させるのでしょうけど、そもそもそういった人たちの多くは人を見る目があるから昇格したわけではありません。企業の目的に大きく貢献した人、売上や利益などで大きく貢献した人が選ばれているはずです。そういった才能や実力はあるのかもしれませんが、ただそれだけといった人も多いことでしょう。

 「ピーターの法則」

よろしく、4~5人程度のプロジェクトマネジメントまでなら安定して成果を出せていた人が、10人規模の管理職になった瞬間から無能化した…なんてことも珍しくありません。

にもかかわらず、肩書きだけで「人を見る目」のない人が評価者になってしまったら、当然面談や面接という手段に期待されている効果をあげることはまず無理です。

評価ができるのは「評価をする能力」が高い人だけであって、肩書が上がればおのずと評価ができるようになるわけではありません。にもかかわらず客観的に評価するすべを持たないまま、

 「目の前の人を適切に評価してください」

と言われてもできるわけがありません。

なかには直観でうまく評価できる人もいるのかもしれませんが、そういう方法は企業などの組織ではあまり推奨されるべきではありません。されるとしても極小規模の零細企業までです。

評価対象となる人が増えれば増えるほど、そうした主観的な評価方法は「不公平」を生み出すからです。逆に言えば不公平を絶対に生み出さない方法があるのであれば、主観/客観の差は考えなくてもいいかもしれません。

しかし、私の知る限りそんな方法はありません。

もしも面談・面接の評価基準に曖昧な、あるいは抽象的な表現が全く存在しないのであれば見てみたいとも思います。たとえば

  • 形容詞
    「ただしく〇〇されていること」
     …何をもって正しいと判断するのか?

  • 副詞
    「ハキハキと話せていること」
     …どこからがハキハキで、どこからハキハキではないのか

  • ビッグワード
    「明確であること」
     …どこからが明確で、どこからが明確ではないのか

このような評価基準は、とうてい基準とも呼べません。
結局、読み手の解釈の仕方でどこまでも自由度があるのですから。


冒頭で「本当に公平・公正に判断できているのでしょうか」というお話をしましたが、もちろん企業や組織によってはそもそも公平・公正に評価しようとしていないかもしれません。それは評価側の都合で決めていいことですので、何も問題はありません。

ですが、公平・公正でないことで抱えるリスクというものは必ずあります。

それは

 「優秀な人材を見抜く基準がハッキリしない」

という点です。
そもそも面談や面接に何を期待しているかというと、そこからより優秀な人材を見極めることです。それは採用においてはもちろん、人事評価においても同じことがいえると思います。その際に、一律公平性を保った評価ができなければ、正しく「優秀」と評する方法がないに等しいということになります。評価者の主観的な判断で

 「あの人はいいと思う」
 「いや、私はあの人はダメだと思うな」

といった勘や感覚にたよってバラバラの評価しかできません。中には一番地位の高い人の判断に身をゆだねて忖度する人も出てくることでしょう。そんな自由度を許容するような評価基準では優秀な人材を逃してしまうばかりではなく、逆に企業や組織にとって害となる人材を受け入れてしまう可能性だってあります。

たとえば「人柄」や「ネームバリュー(前職や学歴等)」だけで期待値を感じ判断してしまえば、

 「人柄は確かにいいんだけど、仕事のパフォーマンスがほとんどない…。」

なんてことになりかねません。
もしその人の年収が1000万だったと仮定してみてください。純経費なわけですから、無駄に支払わなければそのまま純利益に還元できた金額になります。

みなさんの企業の利益率って何%ですか?
粗利でも営業利益でも、経常利益でも構いません。

仮にその値が10%だとすると、1000万の経常利益を叩き出そうと思ったら1億の売上をあげるプロジェクトで成功をおさめなければならない…ということになりますよね。人一人採用するというのはそれくらいの投資をするということなわけです。いくら評価者が偉い立場にあろうとも、ロクに客観的な基準も設けず遊び感覚で湯水のように垂れ流していい金額ではありません。

評価者の主観的な価値観に依存するというのはそれほどに危ういのです。

そういったさまざまなリスクを勘案したうえで検討・解決されているのであればまだしも、そうでないのであれば面談や面接を用いた「人」の評価はただのギャンブルと何も変わらないのだということを肝に銘じておきましょう。

評価者の満足感を得ることはできるのかもしれませんが、ギャンブルでは企業や組織に貢献しているとは言えません。パチンコやパチスロで知識もスキルもないままに、ただ確変を待っているだけの所業と何も変わらないのです。

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