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新型コロナウイルスに対する政府の施策とその賛否がどうにも腑に落ちない

以下、ジョン・ホプキンス大学の最新情報サイトですね。


とかく、「これが正解だ!」と呼べるものはないと思いますので、政府の施策そのものもそうですが、それに対して批判するのもどうかと思うのは確かです。

私自身、「他人の意見に批判だけするくせに、代替案1つも出せない奴なんて最っ低」と思っているので、自己都合、主観的意見で批判しかしないその他大勢については、まったく共感できるところはありません。


とはいえ、私自身にも今、政府の中にどんな権限と、どんなカード、優先度、etc.…あるのか正確に把握しているわけではありませんから、大して有効な施策が代替案として述べられるわけではありません。

ですが、今回の件については、まだ対策の途中であって、賛否をするには早すぎると思うのです。そう言う意味で、否定/批判をするのもどうかとは思うのですが、同様に賛同するのもどうかと思っています。

そういう意味で、私は賛否する方々に対して、1つのアンチテーゼを述べたいと思います。


気になったきっかけとなったのはこの記事。

1. 目的と合致しない対応

特に、学校という場所は感染拡大のエンジンとなることがわかっている。子供たちの活動は激しいので、接触感染や飛沫感染が広がるのだろう。100年前に大流行したスペイン風邪においても、軍と学校が感染エンジンになったと言われている。

ゆえに学校を一斉休校にするということは、爆発的感染拡大を抑える効果がある。

これってどうなんでしょうか。

そもそも100年前の学校や、それを取り巻く環境を比較対象にする理由は何でしょう。と言うか、この理屈で言えば、なぜ『軍』は休職させないんだって話になりませんか。

それとも、軍内部は感染エンジンとして残り続けてもいいと?

そして、軍関係者のご家族(子供たちを含む)は感染してもいいと?

政府の、安倍総理の言う

 「子供を守るため」

と言うキャッチフレーズを目的の第一義としたのであれば、軍関係者の子たちを見捨てると言うことにはなりませんか?

私は、学校自体を休みにしたこと自体は、決して悪いことだとは思っていません。

卒業式がどうとか、親の負担がどうとか、思い出がどうとか、そんな個々人の自己満足を優先して、万が一にでも「子供たちを重篤にしてもいい」「子供たちを殺してしまうかもしれないけどそれでもいい」と言うのであれば、休校に反して批判なりなんなりすればいいでしょう。そうではないから、こうした対策をするわけです。その意味では、休学対策そのものには賛成です。

が。

 「それは他の施策等をすべて検討したうえで、
  『休学することが最善である』
  と言う根拠に基づいているのですよね?」

と言う説明責任を明らかにしてほしいとは思っています。リスクコミュニケーションがどうとかではなく、単純に施策の「根拠」と「妥当性」を明らかにして欲しいのです。なぜなら、私はこれだけでは『不足している』のではないかと感じているからです。

先ほど少し触れたように、橋本さんの言うことが正しければ、感染エンジンは学校と同レベルなものに『軍』があります。同じレベルの危険度であるにもかかわらず、軍を休職させない理由は何でしょう?

もしも、「軍は100年前とは違う」と言うのであれば、それを明確にすればいいでしょう。もしも、「軍では〇〇と言う対策をしている」と言うのであれば、なぜそれを学校でも徹底しないのでしょうか。疑問は深まるばかりで、とても橋本さんの言う根拠が、的を得ているとは思えません。どちらの根拠も不明瞭で、ちぐはぐなのです。


2. 本当に感染エンジンは「軍」と「学校」だけか?

ちなみに。

今回の対策は、主にこういう内容であったかと思います。

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また、集団ワクチン接種の研究で明らかになったことだが、学校での集団ワクチン接種をしっかり行うと、学校内での感染が抑えられるだけでなく、高齢者や基礎疾患者の死亡数も抑えられ、逆に、集団ワクチン接種が行われないと、学校内の感染が広がるだけでなく、高齢者や基礎疾患者の死亡数も増えるという事実が明らかになった。

このように、一斉休校は「子供たちを守る」というよりも、国全体の爆発的感染拡大(ピーク)を抑えたり、高齢者や基礎疾患者を守ったりする「社会防衛的な措置」である。成人の活動を抑制するのは経済的にダメージが大きくなりすぎるので、そのダメージの少ない子供たちの活動を抑制するのである。

この話が本当であれば、休学したことによって国全体の感染確率は大幅に低減したと言えるでしょう。

ですが、大前提を履き違えていませんか?

そもそも、なぜ100年前は「軍」と「学校」だけが飛び抜けて感染エンジンと言われていたのでしょう。それ以前に、感染エンジンとなりやすい環境条件とはいったいどのようなものでしょう。

もう少しわかりやすく言いましょうか?

 「公共交通機関」「職場」を含む他の"人が密集しやすい状況"は、
 100年前の感染エンジンと同じ条件を満たしていませんか?

もしそうであるなら、なぜ『学校』だけの対策で良しと断定できるのでしょうか。「映画館」「フィットネスクラブ」「飲食店」「遊技場」「(貸)会議室」等、領土の狭い日本という国において、一つひとつの施設は、空間の有効利用を最大限生かす作りにするため、様々な工夫をされてきましたが、その代わり、

 基本的に専有面積は狭い

傾向にあります。人口密度的な問題で言えば、学校以上の場所なんていくらでもあるでしょう。そして、その中には休学することによって、外出し、友人知人と遊ぶ場所の候補の中にもたくさんあるのではないでしょうか。

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さらにいえば、親たちがウィルスを家庭内に持ち込んでしまったら、休校した意味ってまったくないんじゃないですか?

職場だって、フリーデスクな環境では隣人との距離は2m未満となるケースだってあり得ます。これは濃厚接触とは言えないのでしょうか。

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結局、帰宅した後の家庭内で感染してしまっていたら、自宅自体が安全ではありません。「子供の安全」も守れませんし、子供が起点となって高齢者や基礎疾患者にまで被害が及ぶという言すら避けられません。

もし、本当に、そして今でも子供が起点となって高齢者や基礎疾患者にまで感染が広がってしまうものだとして、その子供たちに感染の魔の手が及ばないようにする施策として、休学措置"だけ"で済ませることが本当に正しい判断だったのでしょうか。

その意味で、私は『まだ』政府の施策としては不十分だと思っています(内容がダメなのではなく、不足していると言うこと)。

言ってることは間違ってない。批判する人たちの気持ちだけならわかってやれる。だけど、どっちもどっちで、こんな不完全な状態の現段階で賛否する人たちの浅はかさがどうしても気になってしまって、モヤモヤするのです。


3. 子供に焦点を当てすぎて、子供が危険になる

そもそも、軽度な症状の陽性反応者に対して行われている「自粛」って自宅待機ってことですよね。

その自宅に家庭があって、奥さんがいて、子供がいて、なんだったら二世帯住宅で老夫妻も一緒に同居してたり、あるいは基礎疾患者が家族にいたりしたら、そんなところに陽性検出された軽度感染者を『自宅待機』にさせておくって一家心中しろってことになりませんか?

そこで、家庭内感染が発生し、基礎疾患者をはじめ、老人や子供などに被害が拡散、重篤患者が出たり、死亡者が出てしまったら、半ば殺人幇助みたいな感じになりませんか?

このケースの場合、なまじ子供を「休学」にさせたことによって、より子供のリスクが跳ね上がっていませんか?


たしかに、回復率の高い軽度の患者まで病院に押し込んでしまうと、病院側が大きな負担を抱え込むことになり、他の重篤患者の治療まで手が回らなくなる恐れがあります。

その理屈はわかります。

わかるだけに、なぜその一方的な理屈だけで良しとしているのかがわかりません。医療機関や、既に入院している重症患者のために、その他を犠牲にしていい…と言う判断になっていませんか?

なんかこう…シーソーゲームのように扱っていませんか?

少なくとも、医療従事者や政治家、地方自治体であれば、両立の道を探りませんか?

情報も集まるでしょうし、権力もそれなりに高かったりするわけじゃないですか。それらを駆使しても、何も可能性は見いだせないですか?

たとえば、PCR検査にせよ、他の検査方法にせよ、手順を分解していけば「医療機関でなくても実施できる」部分ってないですか?たとえば、DNAを取得する作業や、何かよくわかんないけど温度を上げ下げする作業なんかは別に医療関係者ではなくても、手順や機器操作を教育された市職員とかでもできるような気がします。最終的に判断するのは専門家に頼る必要があるかも知れませんが、それでも多くの負担が軽減できはしないでしょうか。素人発想ですけど、それくらいは安易にイメージできます。

児童保育、学童保育の受け入れなんかをしているところもありますけど、それでは家族全員が助かると言うわけではありませんし、所詮助かるのは日中だけです。さらに言えば、休校対象となっている小中高のうち、「高校生」を対象にした保育なんて無いでしょう。

一部ではすでにリモートワークが進んでいます。個人やベンチャーに近い人たちが中心に進んでいるようにも見えますが、日立製作所なんかも、工場など場所の制約がない社員は、エンジニアから事務まですべて在宅勤務化していますね。(できるのに)していないのは、投資を嫌う企業や、昔ながらの経営の仕方しかできない企業だけかもしれません。

ですがこれも「感染者が出ていないご家庭」ならではの施策です。既に陽性反応が出ていて、軽度なために自宅待機している人がいる場合、リモートワークなんて強制されたら、逆に大黒柱を含む家族全員が危険に晒されます。

その点については、どうするつもりなのでしょうか。

もし、陽性が出て、自宅待機を要請された感染者がいるご家庭の場合、そこに子供や老人、基礎疾患者がいる場合の対策については、私はまだ聞いたことがありません。


4. 根拠は絶対に必要

また、一斉休校の判断について明確な根拠がないと安倍さんは批判を受けている。この点も、政府のリスクコミュニケーションがうまくいっていない。

前号では大規模イベントの自粛について論じたが、それと同じく、明確なデータがそろってからの一斉休校では遅いのである。

とも記事では書かれていますが、別に『根拠』ってのはデータを揃えろと言うことだけではないでしょう。仮説検証をするのが本来の論理的な考え方です。根拠とは、

 『そう判断するに至った明確な理由』

です。事実に基づいて提供される根拠は、たしかにデータが無ければなりません。ですが、今回のような未知の問題対策の場合、手探りで進めざるを得ないからと言って「なんとなく」「これが良いと思ったから」「検討するの面倒だから」ではダメです。ここでも根拠が必要です。

少なくとも個人が察したであろう「気配」や「嗅覚」はダメです。それは独裁者の考え方です。如何に権力が大きくとも、民主主義国家でそれをしていい道理はありません。スピードはあるかも知れませんが、その判断が誤っていた時に国は責任が取れませんし、「責任さえとれば失策してもいい」と言う制度にはなっていません。

そもそも、100年前の(現在と比較対象になるべくもない)データを持ち寄って検討するのではなく、ここでは"普通に"考えて、起こりうる可能性をブレストで洗い出すことが必要ではないでしょうか。そして、一つひとつに優先度をつけ、対策を実施するストーリーを作るのです。

有識者の委員会があるみたいですが、こんなの10人もいれば、大筋でパターンを洗い出して、グルーピングし、グループ単位で優先度を決めるだけなら半日もかからないでしょう。マインドマップなんかを使えば脳内の整理も簡単にできるはずです。

安倍総理が「休校」の判断を下すまでに、どれだけ思い悩み、どれだけの時間をかけたのか知りませんが、そんなものを一人で背負う前に、明確な根拠を作るべきだったと私は思います。

論理的思考、仮説検証、推論なんてのは、常日頃から行ってしかるべき思考方法です。いざと言う時が起きてからでは遅いため、性悪説に従い、社会的な予知保全をしっかり行うべき立場の人間であれば、それは当たり前でなくてはなりません。

トラブルプロジェクトの火消しとして参画する機会が多かった私に言わせれば、プロジェクトは焦げ付き始めた時点で、ありとあらゆる可能性を想定し、優先度をつけ、すべての可能性に対して対策を講じつつ、目の前の消火に当たる…と言うことが常に求められるべきです。

プロジェクトマネージャーであれば、そもそもトラブルを起こさないために、想定しうるすべてのリスクを洗い出し、そうなる可能性や背景に根拠を仮説として加え、優先度をつけて、対策を講じるのは、リスクマネジメントの基本中の基本です。

であれば、政治家や地方自治体の責任者などが、震災、自然災害でもそうですし、人災であっても、火災や犯罪なんかも、国のマネジメントとして、地区町村のマネジメントとして、同じようにするべきなのではないでしょうか。

常に『問題』は大きくなると、予期せぬことが合わせて生じるものです。常に最悪のリスクを想定し、「リスクが顕在化しないように」「仮に顕在化したとしても最小の被害に抑えられるように」と考えるのは、責任者の務めです。

リスクコミュニケーション…と言うより以前に、リスクコントロール、リスクマネジメントそのものができていないように思われます。だからコミュニケーションも疎かになるのだと思います。


5. 建前はいいから、本音で話そう

もちろん、この手の話をすると「経済を止めると、国が、企業が、個人の生活が破綻する」と言う話題に行きつきます。つまり、政府としてはあまり大っぴらに言いませんが、

 子供の安全
 経済の保全

両方をなんとかしたいわけですよね。本心としては「経済」の方をこそ何とかしたいのでしょう。ひょっとすると「こともの安全」なんてただの政治的ポーズなのかもしれません。だから、中途半端な対策で停滞しているし、大人たちのビジネス領域については何も言わないし、何もしない。感染者が出たら軽度な場合は自粛要請をするだけで、それ以上について何も触れないのではないでしょうか。


私は、本音で全てを語って欲しいです。すべての情報が知りたいです。

私も、情報が規制された今の現状で、家庭を持ち合わせていないがゆえに実際の苦労も知らず、

 政府にどんな選択肢が用意されているのか
 どんなしがらみや軋轢が生じているのか
 各家庭はどんな苦労があるのか
 どんなパターンのご家庭があるのか

可能性だけは模索できますが、それぞれの軽重などを測れる立場にありません。多くの識者も、同じようなところで止まって、同じようなところで

 悩んだり
 決めつけて発言してみたり

しているのだと思います。なんとなくですが、全ての情報を手に入れることができれば、そこから多くの人が more better な回答を検討することはできると思うのですが…。本当に悩ましい限りです。

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