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なんだかんだ腰が低いと敬意を払われる

「とても周囲に気を配る方です。スタッフにも丁寧に接してくれますし、現場で誰か困っている人がいないか常に注意している。そんな井ノ原さんのおかげで現場全体が“みんなのために”という雰囲気に変わっていきます。

この手のタイプはわかりやすい派手さがないのでなかなか適切に評価されにくいところがありますが、組織にとっては屋台骨だったり縁の下の力持ちだったり、地味に重要なポジションにいたりします。

でも、「派手さがない」というだけでなかなか評価されにくいんですよね。

こういう人は今後もどんどん報われていってほしいと思います。
実力も必要ですが、さらに組織をいい方向に改善していってくることでしょう。

こうした「低姿勢」を若いうちに身につけておくと、歳を取ってからの人生が非常に楽になります。なぜかといえば、

 「あそこまでのベテランなのに腰が低い」
 「あの人は若者にも丁寧語+“さん付け”で接する」

という、才能も何もいらず、その気になれば子供でもできる程度の単なる常識的な言動だけで親しまれるようになり、人の輪が構築できることで妙に高く評価されるからです。

その評価は勝手に広がっていき、自分にとって好意的な情報環境が生まれまることもあります。その評価を得るにいたった際、相手の若者が尊大な態度を取っていたりすると対比されてよい意味でのインパクトが強くなるので尚良しです。

もちろん相手次第ということもあるでしょう。

それでも良い人間関係を構築し、人の輪の中でビジネスを成功させたい人は、謙虚さを身につけておいたほうがいいでしょう。謙虚さを失った人がそれでも成功するとしたらそれはもうよほど

  • 運がいい

  • 実力がある

  • 金や権力がある

人だけです。
その意味でも、表面的なものではなく根っこから謙虚さを身につけるのであれば、若いうちから徹底しておくといいのではないでしょうか。


ですけど、年長者になればなるほど若者や周囲に対して横柄だったり乱暴な態度を取りがちだったりを平気でしてしまう人がいます。中高年はなにかと周囲への影響力も大きい分、周囲から嫌われたり、近寄りがたいと思われたりするだけで組織にとってとてもマイナスになることが多くなりがちです。

 「おい、〇〇!」
 「おまえなぁ」

なんて言葉遣いは論外ですね。
育ちの悪さ、教養の無さまで目立ってしまいます。

 親しき中にも礼儀あり

という言葉があるように、仲の良い間柄やちょっとした身内での会話に品格が見受けられない人はたいてい仕事の評価も高くありませんし、周囲から疎まれている可能性も往々にしてあります。

もちろんそういった人の内心的には、「未熟に見える部分があるから指導をしてあげようか」と考えているのかもしれないし、「ワシの時代はまだ終わっていない!」と思い込みたいのかもしれません。

ですが、本人がそう思っていたとしても関係ありません。
周囲がどう感じるかによって、組織的な活動に支障が出るかどうかが決まるからです。

やたらと呼び捨てにしたり、「お前」よばわりしてみたり、外部の人間であっても年下だったら「クン」と呼んでみたり…。それでも実力が伴っていて、今でも現役バリバリでしっかり成果が出せているのであればまだマシなのですが、社会一般では「はっ?お呼びではないのですが…」みたいな人こそこんな態度を取りがちなんだそうです。

だからこそ、世の中では「老害」という言葉が生まれてしまうわけです。

こうした態度はプロ野球のキャンプ時にも見て取れますよね。大物OBがキャンプには大挙して押し寄せ、現役選手に指導をしている様がテレビで報じられていたりしましたが、現役選手からすれば正直

 「なんで80歳の爺さんに教えてもらわなくちゃいけないんだよ……。
  近代野球をあなた知らないでしょう……」
 「俺の若いころは…なんて話が聞きたいわけじゃないんだよ」

と思われているかも知れません。

戦略的にも肉体強化的にも野球は10年もあればガラッと変わってしまいます。現在20代、30代の現役選手相手に2倍以上年齢差のあるOBが指導しても、そのまま利活用できるノウハウはほとんど無いと言われています。根性論ばかりを求められても困りますよね。

顔も名前も知らないかつての大物選手が横柄に「ちょっとこっちへ来い」なんて言って、帽子を脱いで神妙にしている様は明確な上下関係を見せつけられているように思え、ファンの人から見てもあまり気持ちの良いものではないでしょう。
(かつての大物選手が見れるのは嬉しいかも知れませんが)

いくら現役時代の実績があるとはいえ、

 「こっちはレギュラーを取りたいんだよ!というか、開幕一軍入りしたいんだよ!
  あなたの相手をしている時間なんてないの!
  あなたの時代、野球のレベルは今よりも低かったんです!」

と言いたくなっているのかもしれません。

とかく人々の感情というものは、社会に蔓延した"空気"によって左右されます。

日本の場合は「年長者を敬う」「上下関係は大事」という空気が存在します。
これ自体は、大陸から伝わってきた"儒教"的な思想に基づいているのでしょう。

たとえば、若い男が初老のタクシー運転手に尊大な態度を取っていたり、罵倒しているのをネット動画で公開でもされたら炎上するでしょう。いくらお客さまとはいえ、神様ではないのですからやってはいけないことです。

大企業の正社員が下請け会社の社員に対し詰問口調だったりしたら、「パワハラ」と感じることもあるでしょう。

居酒屋のバイト店員に敬語を使えず、呼ぶ時は両手を叩きあたかも池の鯉を呼ぶかのような態度を取るお客さまがいたら、同行した恋人から「この瞬間、彼との別れを決意した」と思われても仕方がありません。

謙虚さの欠いた人は様々なシチュエーション、色々なシーンで多くの人に嫌われます。

私も今年で48歳になります。

48歳にもなれば一般企業では管理職系、大手ベンダーならリストラの対象になっている歳です。そうなると、基本的に仕事で会う人々はほぼ自分よりも年下です。

大きな問題を起こしたプロジェクトの火消しに参加した時には年上の方も来られるかもしれませんが、たいていの場合は年下の方が相手をされると思います。そして、話すことよりも聞かれることが多くなりますが、大抵私を年輩と扱ってくれるためかみなさん低姿勢です。

「この人はキャリアが長い人だからな」という敬意をもって接してくれているのがよく分かりますが、こちらもそれと同様に低姿勢にしておくと「あの人は感じが良かった」という印象を持ってもらえ、次以降も何かしら問題が起きる前に話しやすくなります。

とはいえ、「低姿勢合戦」のようになっても意味はありません。

それこそ、上座の席を勧められたらいちいち断らないことや、飲み物の種類を聞かれた場合に「何でもいいです」と言うなどはしない方が良いでしょう。これらは無駄でしかありません。低姿勢とは別で、単にへりくだり過ぎているだけになってしまいます。


似たような言葉ですが、ここで一旦

 「低姿勢」
 「へりくだり」
 「卑屈」

の3つの言葉の違いを知っておきましょう。

低姿勢

高圧的にならないこと。丁寧であること。
相手に敬意を持つこと。相手と自分は対等であると思うこと。

へりくだり

相手を尊敬しているかのようにふるまうこと。
自分を下の立場の人間である、という立居振舞をすれば相手が喜ぶと勝手に思うこと。

卑屈

自分をあたかも価値のない人間であるかのような、
演技がかった過度な低姿勢モードに入ること。


別に低姿勢とは「自信を持つな」と言っているわけではありません。
自信を持ったうえであくまでも相手を立てましょう、ということです。
これが普段から出来ないと言うことは"尊大"であるということです。

人間は感情で行動が左右される生き物です。
見下されたくない動物です。

だから

 「一度会った人間から横柄な態度を取られた場合にもう一回会いたいと思うか?」

と聞かれるととても多くの人が「No」と答えるでしょう。
あるいは、

 「そんな人物を自分の同僚等に紹介したいか?」

と問われると、これもまた「No」と答えるのではないでしょうか。正直、そういった毛ほどの役にも立たないプライド持っていても一文の得にもならないのですが、そう言うものを持っておきたいお年頃の方がとても多いのです。

低姿勢でいつもいることが次の話をしやすくしたり、仕事の幅を広げたり、あるいは営業活動になっており、年齢の割には気さくで年長者ぶらないということで頻繁にお話やお誘いをいただくわけですが、それができなければ社会において対等な関係を構築することは非常に難しくなります。

中には、少しでも成功してしまうと過去の謙虚さを失ってしまう人がいます。

それまでは低姿勢だったと思っていたのに、実はそれは「へりくだり」か「卑屈」であったことが露呈してしまうわけです。そうと気付かれてしまった時点で相手は離れていってしまいます。

人生はこうした空気を読むことの連続で関係性を幅広く作っていくものなのですが、若いうちに他者への敬意をいかに持つか、己のうちにいかにして謙虚さを構築するか、ということが極めて重要になってくるようになります。

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