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「専門性」と「経験」を持たないことがいずれ足枷になる

「資格」はたしかに有用です。

すくなくともある水準に達していることを証明できると言う点で役立ちます。目に見える「形」として証明することも可能です。

しかし、それだけで実力があると勘違いするのは危険です。この点は資格やキャリアを持つ者として意識しておかなければいけないことでしょう。

そのひとつは、そもそも「資格」とはコモディティにすぎないということ。もう1つが、コモディティであるからこそキャリアの階段を上がるためには何かとの「掛け算」が重要となるということです。

コモディティとは、すなわち

 経済価値の同質化(あるいは同質化されたもの)

を意味します。「一般化」「汎化」されたものと言ってもいいでしょう。

1つ目の「資格はコモディティである」ということはどういうことでしょう。考えてみてください。

そもそも資格があるということは「正解」が存在し、その「正答率」によって資格が取れるかどうかというジャッジが可能であることを前提としている
ということです。

つまりは、「誰がやっても同じこと」をベースにしているということになります。これは、学力や学歴なども全く同じです。学校のテストは、基本的に解き方や回答が1種しか用意されていません。そうしないと、同じ基準の中で学力を評価できないためです。


「イノベーションに優れた企業は、
 人のつくったものは遅かれ早かれ、
 通常は早く陳腐化することを知っている。
 競争相手によって陳腐化させられるのを待たずに、
 自ら陳腐化させ、廃棄することを選ぶ」
 ─────マネジメント・フロンティア  P.F.ドラッカー

ありとあらゆるすべての仕事は、

その職に就ける人の数が少ない①ニッチの状態から、誰にでもニーズが明らかになって需要のイスが増える中で数少ない有識者、有資格者として②スターの状態となり、そしてニーズが大きいがゆえに定型化の圧力が生じる③ルーティンワークの状態を経て、いずれ自動化、機械化、IT化などによって人の介在するイスが④消滅に至る

…というライフサイクルがあるという考え方で成立しています。このサイクルを主体的に行い、常に新陳代謝している企業が最も強い企業であり、最も先を進む企業であると言えるでしょう。

たとえば、GAFAMなどがそのいい例と言えます。自ら打ち立てた新しい商品やサービス、事業であってもそれに胡坐をかかず、常に新しく、常に高みを目指し、自らが作り上げたものさえも陳腐化していく姿勢だからこそ、他の企業はそれらに追いつくだけで精いっぱいとなり、抜くことができなくなっているのかもしれませんね。

ここで重要なのは、

 たとえどれほど高度に見える仕事であっても、
 定型化されてしまった時点でコモディティにすぎない

ということです。なかでも資格がなければ就くことすら許されない「士業」になるためには多くのコストを払わなければなりません。

つまり、かなり厳しい言い方をすれば、「資格を取る」という行為は、

 相当高いお金を払って
 すでにコモディティ化された技術を手に入れようとしている

とも言えるわけです。まず認識すべきは、資格といえども、いやむしろ資格化可能であるからこそ、それは既に陳腐化されたただのコモディティに陥る可能性があるということです。

それは即ち、手に入れたとしても、既に仕組み化、機械化やIT化が可能となりつつあって、人が運用しても形骸化するようなものになりかねない、ということでもあります。

そこで、2つ目の「掛け算」が重要になってくるわけです。

これは実は士業だけに限った構造ではありません。たとえば、外資系の戦略コンサルについて考えてみましょう。彼らはいわゆる「プロフェッショナルファーム」で働き、高度な専門性を備えていると考えられています。

しかし、情報の収集の仕方、ロジカルシンキング、ラテラルシンキング、クリティカルシンキングとか、分析の技術、パワーポイントを作る技術は、そのファームにいる時点で「持っていて当たり前」の能力です。つまり、定型化された技術と言えます。

結局、キャリアを上がれるかどうかには営業力やコミュニケーション能力、直感的な判断に優れているなど、定型化された業務以外の部分がおおいに影響します。

また建築士の方なども、その事務所にいる限り、建築に関するスキルだけで上に上がっていくのは難しいでしょう。成熟してしまった産業には、高い専門性を身に着けた先輩がたくさんいるからです。

先ほどの話で言えば、③ルーティンワークされることで空いたイスに座れずなかなかチャンスをもらえなくなる可能性が高いと言えます。

専門性の証明

『資格』によって、専門性のごく基本的な部分…すなわち、コモディティ化が容易な部分について、最低限身につけたことを証明できるようになったらその椅子になにがなんでもしがみついて満足するのではなく、自らの『経験』によってキャリア…実績を積み、自身の積み上げた知識やスキルが正しかったことの証明をしましょう。

『経験』が伴わないただの『資格』は

 ・絵に描いた餅
 ・机上の空論

でしかありません。到底、実践で使えるものではないのです。

キャリアについては、

 「20代は専門性、30代は経験、40代では人脈をとれ」

とアドバイスしているところも少なくありません。これらの手順を踏まず、20代のうちに逃げ回って「専門性」を培うこともなく、その専門性を持たなかったがゆえに30代になって「経験」させてもらう機会を失い、そのまま40代に突入してしまうと、その後の人生は非常に苦しくなっていくことでしょう。

35歳あたりを過ぎると、放っておいてもリーダーシップの発揮を求められるようになってきます。みなさんも聞き覚えがありますよね。IT業界では昔よく言われた

 35歳定年説

これは専門性からの卒業を意味しています。もちろんすべての人において同じとは言いませんが、リーダーシップやセルフマネジメントに優れたエンジニアは本人が望む・望まないに関わらず、エンジニアであることを諦めさせられ、(名ばかり)管理職の道に引きずり込まれる人が出てくるのは確かでしょう。


キャリア形成に役立つ経験とは何か?

わかりやすくいえば、リーダーシップをとる、プロジェクトをマネジメントする等、「人をまとめる」経験を積むのが、シンプルだが有効な方法です。

しかし、専門性も持たずに「アレやれ、コレやれ」と言っているだけで、自分は何一つ矢面に立たず、責任も負わず、旗振りだけしかしていないようなケースでは早晩失脚することになります。

「リーダーシップ」「マネジメント」はそれ自体で結果を出すものではありません。「リーダーシップ」「マネジメント」によって実際に"結果"を出すのはその下にいるメンバーや部下です。

「リーダーシップ」や「マネジメント」は"結果"をより確実に、より効率よく出させるための支援能力でしかありません。ですから「リーダーシップ」や「マネジメント」が下手だと、その下で働くメンバーや部下が理想通りに動けず、期待した結果は伴わないようにできているわけです。

ここでいう"結果"とは、直接的な売上や利益のことではありません。

売上や利益も結果の一部ではありますが、本当の意味で求められる結果とは、

 「成功する」
 「成功を収める」

ということです。「成功する」とは、第三者が勝手にそう思うものではなく、

 自他ともに成功であると認識したもの

を指します。「自」とは、活動そのものに直接関わったメンバー全員です。仮に上司だけ、一部の人間だけがそう思っていても、関わったメンバー全員がそう思っていなければ成功ではありません。

そもそも一部の人間しか思っていないと言う状況を生んだ時点で、そのチーム内で『不公平』や『不平等』が蔓延していることを指します。意識の統一もままならないチームで、本当に成功したと言えるのでしょうか。

「他」とは、会社や顧客です。活動そのものに直接関わっていないステークホルダーです。「自」だけでは思い込みで終わる可能性があります。第三者的に見ても「それが成功である」「成功した恩恵を受けている」と言う状況でない限り、ただの自己満足にしかなりません。自己満足は相手があって成立する『ビジネス』とはかけ離れた存在だからです。

このことを理解したうえで成功しなければ、正しく「キャリアを積んだ」「経験した」とはなかなか言えません。どんなに経験自体を積み重ねても、すべて失敗ばかり繰り返してきた…と言うのであれば、それはただ「やってきた」というだけでキャリアとはいわないのです。

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