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学生と社会人にある見えない溝

『どこの企業でも「新社会人の扱い」はあまり大差がない』

というのが世間一般の認識です。

表向きは学生や新社会人に気に入られるための様々な取り組みをしている"風"なアピールをしている企業はたくさんありますが、残念なことに先輩や上司までそういったムーブには乗ってくれません。配属された後までは誰もフォローしてくれないのです。

結果、1~3年ほどで会社の旧態依然とした風土や文化を押し付けられて入社前後のころの輝かしかった待遇が幻であったことに気付き、絶望することになります。

とはいえ、実際には企業ごとあるいは部署ごとに細やかな教育を施していたり、フォローをしていたりと見た目以上に差があるものです。私が以前所属していた会社でも、新人教育については1週目後半からかなり内容の濃い情報を取扱っています。

というか私がしていました。
あそこまで濃い内容を説明する企業は全国を探してもそう多くはないでしょう。

もちろん、ただ量が多いだけでは教育として十分ではありません。情報を目的もなく垂れ流すだけでは、その情報を吸収した側(新入社員)の意志や判断に依存してしまって必ずしも企業が望む社員に育つとは限らないからです。


社員教育には「社員を成長させる」ことが目的にはならないことがあります。

目標としてはいいのかもしれませんが、その先にある目的は必ず「組織の目標に貢献できる」人材にすることでなければならないからです。企業にとって社員の育成は"投資"です。投資するからには、回収できる見込みがなくてはなりません。ゆえに、回収できる人材を育成することが目的でなくては教育をする価値が見いだせないのです。

つまり、”投資対効果(=ROI)”という観点から教育した結果、教育を受けた者は必ず企業にとって利益をもたらしてくれなくては意味がない、と企業は考えています。

翻って学校の先生の場合は、そこまで追い詰められて教育することはまずありません。
生徒が伸びても伸びなくても給料がもらえますし、不祥事でも起こさない限りクビになることはないからです。

もちろん成績によって自分の評価なども変わってくるでしょうから、成績を上げてもらう努力はするでしょう。しかし、上がらなくても即クビになることはありませんし(私立は別?)、その点で企業の教育担当者とは心構えや覚悟のスタートラインが異なります。

同様に、社会人になってからの教育はそれを受ける側にも同じだけの責任が圧し掛かってきます。教育にコストを費やす以上は、それに見合った成長が求められます。少なくとも業務時間中に教育コストを費やす場合であれば教育を受けつつ給料までもらっているわけですから、給料に見合った成果をあげなければ「仕事をしていない」のと同義になってしまいますしね。

学生の頃は、授業中に居眠りをしていても自己責任の範疇でなんとかなりました。

しかし、企業に属してしまうと経費や予算といった「お金」に関わる様々なことに対して常にシビアに考えられるようにならなければなりません。そう意識するように変わっていくことも教育の1つです。金はどこからともなく沸いてくるものではなく、誰かが汗水流して稼いできたお金で養ってもらっている状態なわけですから、そのことに甘えきっているようでは立派な社会人にはなれません。

研修や講義があって、参加しないだけなら「企業貢献する気がないヤツだ」と思われるだけなのでまだ個人の責任で済みますが、参加する以上はその時間中にも経費がかかっていて、且つ業務が進んでいないため売上が発生しません。人件費だけ積み重なることになるのです。まさにコストセンターの筆頭といってもいいでしょう。

であれば、その経費分の利益をその後に還元できるレベルにまで何らかの形で成長しないと、教育するだけ無駄な人材だったという扱いを受けることになります。

そう言った意味からも、既に学生と社会人の違いは顕著に出てきているのだと認識しましょう。


給料をもらうのであれば給料分、経費がかかるのであれば経費分は「最低でも」成果をあげなくては責任ある社会人とは言えません。

とは言え、新入社員~若手社員と呼ばれているうちは企業側の先行投資として見てくれていますから、そう見てくれている内に一定の成長を自らのミッションととらえられるかどうかが社会人の第一歩となるのではないでしょうか。

将来的に仕事の成果で還元できるようになっていけばいいわけです。

問題は

 「いつまでに企業に利益をもたらす社員となれるか?」

というビジョンを明確に持つか持たないか、の違いでしょう。

これを持てない社員はいつまで経っても自分が企業にとってあるいは社会にとって有益な人物かどうかを判断することも証明することもできません。

この判断ができるか否かは後々非常に重要となってきます。

たとえば、結婚などの家庭を持つ基準、社会的評価を受ける基準なんだったら転職する基準にも用いられるでしょう。企業内評価、社会的評価が低い状態では当然待遇や賃金などにも影響を与えます。生活充足度にも影響してくることでしょう。

こうした学生時代には決して考えもつかなかった「取り巻く環境に自分自身を適合させるための計画と努力と評価」について、真剣に考え、悩み、実行していく(いかざるを得ない)状況になっていくこともまた1つの学生と社会人の大きな違いと言えるのではないでしょうか。 

…まぁ、何よりこういうことを学生時代に教えてくれる大人があまりにも少ない…ということこそが一番の問題かもしれませんね。

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