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メールでおろそかになりがちなビジネスコミュニケーション

ちょうどいい反例がありますので、参考にしてみましょう。

細かいことをいうなら日本語としても微妙なのですが、今時そこまで細かくツッコむのもごくごく一部の神経質な方々だけでしょうからここでは割愛いたします。

ここで問題視したいのは『内容』です。

コミュニケーションを図る以上、その意図や目的、目標、適切な判断や行動を促すために必要な情報が共有されていなければなりません。「つー」と言えば「かー」と返ってくることはないのです。

この内容の場合、

 「連携していただきたい」
 「共有をお願いします」

のこの2点がこちら側への依頼事項であり裏を返せば受信側のタスクとなりますが、見ての通り"抽象"的すぎて、要するに

 「何を」「どうする」と良いのか

一切わからず動けません。

もちろん思い込みレベルでよければ、"連携"する方法と"共有"できる方法がいくつか頭に思い浮かびますが、それが相手にとって理想的であるかどうかわざわざ確認を取らなければ正解かどうかは分かりません。

思い込みで仕事をすれば誤った方向へ進んでしまい、相手が意図しない成果物を提出して再提出の指摘を受けることになるでしょう。時間の無駄遣いも生じ、スケジュールが圧迫すれば他人へ迷惑をかけてしまうことにもなりかねません。

ビジネスに限った話ではありませんが、コミュニケーションにおいては常に"具体"性が必要な理由がお判りいただけましたでしょうか。

こういったことが他人事でしか見れない人は

 「だったら確認すればいいじゃん」

と口をそろえて言うことでしょう。
しかし、そういう人に限っていざ自分が同じことをされると感情的になって怒り出すのです。いや、それ以前に確認する工数だけ無駄が生じているはずです。そもそもは「確認しないほうが悪い」のではなく「わざわざ確認しなければならないようなコミュニケーションしか採ろうとしないほうが悪い」に決まっています。どんなにエラそうにしていても冗長工数を費やさせて、収益に悪影響を与えているという事実は変わりません。

コミュニケーションは最初にも述べた通り、常に相手がいなければできません。

ですから、相手の立場に立って「どうすることが良いのか」表現や言葉の選び方1つ取っても慎重である必要があります。相手がそれで正しいと思ってしまっている以上はこちらから確認するしかないのですが、根本的な問題はそこではありません。

こういう自分本位なコミュニケーションを継続することが、互いの信頼関係を損ねるということにあります。

そのことに向き合わず、「確認すればいいじゃん」で事なきを得ようとするのは、プログラム上でたとえるならば

値が異なってしまうバグが発覚したけど、不良自体は修正しないで、
別のプログラムでもう一度正しい値に修正する…プログラム追加で補完した

というあまりにもバカバカしい謎対応こそが正しいあり方だと思い込んだ、おかしな価値意識を持った人と言えるでしょう。

バグは、バグの根本的な問題を解決することでしか品質を保証することはできません。そしてこれは成果物品質のバグだけでなくプロセス品質のバグも同じです。

そして、こうしたバグはおおもとから根絶しない限りかならず再発し、ほかでも同じように悪質な影響を及ぼします。プロセスにおいては必ず「時間」が犠牲となることでしょう。そしてその時間は、スケジュール的には遅延を生み、ビジネス的には金を失わせることになります。遅延させた分を残業で取り返そうとすれば、ますます金を失わせるでしょうね。

もちろんこれは会話においても同じことが言えるのですが、やはり顕著なのはメールやチャット等の簡易伝達手段でしょう。

 目の前にいないからこそ
 容易に聞けないからこそ

また

 「いつ読むか」「いつ返信するか」がわからないからこそ

メールやチャット等の簡易伝達手段を用いる場合は特にコミュニケーションを疎かにすべきではありません。ほんのちょっとした相手への配慮が仕事の質を高め、集団活動を円滑にするのだということ、そしてそれを疎かにするということは自らが集団活動…いわば組織における癌細胞となりかねないのだということを常に自覚しておきましょう。

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