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失った自信を放置しておかない

人間はもともと元気です。

元気とは人が本来持っている活力であり「自らの未来の可能性」を信じ行動しようとするエネルギーです。元気は自信があるとあふれ出て、自信を失うと出なくなるという性質を持っています。

たとえば、お乳を求めて泣く赤ちゃんは元気そのものですよね。

 「…自分は本当にお乳が欲しいんだろうか」

と自問自答する赤ちゃんはいません。というかシュールすぎます。欲しいことになんの疑いもありません。元気が満ちあふれ、自らの欲求を満たすことに対して自信満々です。

しかし時間とともに成長し、子供の頃からたくさんのことを経験する中で、誰しもが成功もすれば失敗もしていきます。そして、苦い経験や辛い体験をしたりしたときに、

 「初めてなんだから、こういうこともあるさ」

と軽く受け流し「じゃあ、次はこうしてみよう」と再度チャレンジして、成功したり失敗したりを繰り返していけば、本来元気は損なわれず、繰り返しチャレンジしていく中で成功にたどり着くことができれば自信も育っていきます。

ところが、たった一度の失敗や衝撃的なほどつらい体験をしたときに、

 「あんなことさえしなければ、こんな目に遭わずに済んだのに」

と考えて、心の底から「行動すること=危険なこと」と思ってしまうと大変です。元気の出口にフタをして封じてしまい、行動できなくなるのです。そのまま元気を取り戻さずに行動しないでいるといつまでたっても失敗を返上することができません。

そして時間を置けば置くほど心の中で失敗が肥大化していきます。


世の中で起きるうつ統合失調症などの精神疾患に至る仕組みに似ています。初めて経験したこと、初めて重い責任の職務を果たそうとしたことなどに対し、その最初の一歩目で躓いてしまった場合、

 「自分は必ず失敗する。なぜなら、一戦一敗。
  これまで、100%の確率で失敗してきたのだから」

と、感覚的に思い込んでしまいます。確率的には何度もチャレンジしてようやく統計的に正しい確率がわかるというのに、行動しないと不完全な確率が心の中で固定化してしまうわけです。

いつの間にか『失敗の信奉者』になり、ついには自信を喪失してしまいます。自信の喪失はこれが原因です。

んー…メンドクサイ。

個人的には奇数回、かつ複数データ…と考えると、最低でも「3回」。公平を期すためには「5回」。時間的余裕などがあれば「11回」は自信の有無なんて全く考えずにPDCAを回しながらチャレンジしたいところです。

自信がなければ、自分の未来に対する積極的な行動がとれません。

負のスパイラルが加速して行動できない人になってしまうからです。そして失った自信を放置すると失敗が怖くなり、何をするにも行動が制限されてしまうのでどんどん生きづらくなっていきます。


失敗と言うのは一般的なバグと同じです。

事象に対して必ず原因があるものですし、その原因を特定し、是正し、再発防止すれば、次からまったく同じ失敗は絶対にしません。さらには同じ原因と思われる類似観点の見直しまで行ってしえば、他のシチュエーションにおける失敗も根こそぎ解決します。

これはほぼ100%、論理的に解決が可能です(実現手段が面倒なケースはあるかも知れませんし、「人の心」に起因する場合は、原因を特定するにあたって、支障が出るケースもありますが)。

大抵の場合は1人1人に固有の失敗があるのではなく、誰もが同じような原因で、同じような失敗を繰り返しているだけです。ですから必ずと言っていいほど、解決法は既に世の中で確立されてしまっています。

世の中の多くの人が経験してきた数え切れない失敗とその原因を知れば、私たちまで同じ失敗を踏襲しなくても良いのです。

それができないのは自分や他人の失敗から何かを学ぼうとする謙虚な姿勢がないからでしかありません。裏を返せば失敗によって自信を失うだけしかできない人というのは、世の中や周囲に対して「謙虚さ」が足りないだけなのかもしれません。

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