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僕のアメリカ横断記⑤(フラッグスタッフ1日目)

■8月24日(水)
 予定より30分ほど遅れて、アリゾナ州・フラッグスタッフ駅に到着した。フラッグスタッフは、僕がこの町を訪れた目的であるグランドキャニオンや、巨大な隕石孔・バリンジャークレーター、パワースポットとして知られるセドナなどに近く、こうしたアメリカ屈指の自然観光地への拠点となっている町だ。
 とはいえ、このときはまだ朝の5時過ぎで、外は真っ暗だった。予約しておいた「グランドキャニオン・インターナショナル・ホステル」という宿も7時からのチェックインだし、こんな明け方にオープンしている店があるはずもなく、行くあてがない。
 しかし方向音痴には便利な側面もあるものだ。一応、宿の方へ歩き出したのだが、例のごとく道に迷い、右往左往しているうちに時間が経過してくれた。道中、こんな早朝にもかかわらず路肩に停車していたパトカーを発見し、車中の警察官に道を訊いたりもした。えらいもので、警察官だろうが誰だろうが、人に道を訊くのにはもう一切抵抗がなくなっている。
 ようやく空が白みはじめると、数軒のレストランや衣料品店、ネイティブアメリカン風の雑貨屋、少し怪しげなパブなどが目に付くようになった。『地球の歩き方』によれば、一応このあたりがダウンタウンにあたるようだが、昨日まで大都市・ロサンゼルスにいたこともあってどうしても少し寂しく見えてしまう。「ノスタルジックな街並み」という表現も何かで見かけたが、よく言えばそんな感じだ。

 辿り着いた宿は、バナナ・バンガローとは正反対の、山小屋のような地味な外観をしていた。

グランドキャニオン・インターナショナル・ホステル(写真はTripsdvisorより)

 中に入ると、木の温もりを感じるこじんまりとしたロビーがあり、奥にはいくつか部屋も見える。宿自体は7時より少し前に開けてくれていたようだが、チェックインの手続きは時間きっかりにやるようで、フロント(と言っても小さなカウンターだが)の前で数名の宿泊客が僕より先に待機していた。
 ロビーの椅子に並んで座っていた男女数名は僕以外全員白人で、知り合いというわけではないらしく、隣同士で「どこから来たの?」とか「ツアーに参加するの?」などと楽しそうに質問し合っていた。
 そのときふと感じたのは、時折彼らが僕に送る妙に気まずそうな視線だった。その視線に滲む感情の正体を、僕はよく知っている。同質な集合体の中に混入している異物を前に、どう対処すればよいかわからないとき、ああいう視線になるのだ。3歳の頃、両親に連れられて韓国から渡日した僕は、まさにこの視線を浴びながら幼少期を過ごした。
 彼らは僕をちらっと見はするが、それによって生じた気まずさを打ち消すかのように、また”同質"な隣人との会話の世界にそそそくさと戻っていく。彼らは"異物"である僕との間に、目に見えない境界線をはっきりと引く。長じてからは久しく経験していなかったこの疎外感は、実はこの後も続くことになり、フラッグスタッフという町そのものの印象となって僕の記憶に焼き付いている。

 さて、ようやくチェックインを済ませることができた。睡眠不足で眠かったので、部屋で少し仮眠をとろうと思ったのだが、高齢のオーナーが説明するには、先客を起こさないために正午までは部屋のキーを渡さないルールらしい。正午まではまだ5時間弱もあるので面食らったが、風呂に入ったり、宿が用意したモーニングを食べたりして時間をつぶしてくれとのことだった。
 文句を言っても仕方がないので、とりあえず風呂に入ることにした。浴室のドアを開けてみると、よく言えば”年季が入っている”感じ。お湯を張ったバスタブに浸かると、垢で底がぬるぬるしていて弱ったが、気にしないように努めて汗を流した。
 浴室を出て、モーニングを食べに向かう。案内されたダイニングルームは6人も入ればいっぱいになる程度の広さで、中央のテーブルにトーストとオートミール、そしてコーヒーと紅茶のポットだけが置かれていた。バナナ・バンガローのモーニングはもう少しバラエティがあったが、まあ、本来のユースホステルはこんなものなのかもしれない。
 僕より先に、三人の白人女性がいて、二人は横並びに座ってトーストを食べており、もう一人は立って自分のオートミールをかき混ぜていた。僕が二人の対面の席に座ると、一つ席を空けてオートミールの女性が座り、向かいの二人に、”Where you from?”などと話しかけた。ところが、僕には質問はおろか、視線も合わせようとしない。まるで僕が存在しないかのように盛り上がる三人を横目に、テーブルの片隅で黙ってトーストをかじっていた。

 (つまらん)と内心でボヤきながらダイニングルームを出た僕は、誰もいないリビングルームを発見した。壁際にテレビとビデオデッキが置かれていて、ビデオテープも何本か並んでいる。その中に、バナナ・バンガローでも流れていた『サウスパーク』があった。
 ソファに座ってカートマンがカイルをからかうのをぼんやり観ていると、少し太ったアジア系の男が部屋に入ってきた。彼は僕の隣のソファに座り、イヤホンで音楽を聴いている素振りを見せていたが、こちらの様子を伺っているのがバレバレだった。彼は間違いなく韓国人で、ああして僕が韓国人かどうか見極めようとしているのだ。
 結局たまりかねたのか、”Excuse me, where are you from?”と僕に尋ねてきた。声をかけてくれたのは嬉しかったのだが、僕を品定めするようにチラチラ見ていたこの男を、少しだけ煙に捲きたくなった。
 ”I’m from Japan”と答えてみたのだ。
 彼は、同郷人ではなかったことに対する残念さと、でもそれを態度に出してはいけないという理性とを内心で闘わせながら、ぎこちない笑顔で、”I’m from Korea…”と言った。
 僕はそのわかりやすい反応を可笑しみつつ、韓国語でこう言って見せた。
 「僕は日本に住んでいますが、韓国人なんですよ。”海外同胞”というやつです」
 すると彼の顔は、ぱあっと明るくなった。
 キム・ドンハと名乗る彼は、韓国の航空大学校に通う一年生だった。大人びた見た目から同学年であることにまず驚いたが、軍隊を出ていることもあって年齢は僕より3つ上とのことだった。二年生に進級する前に一年間の休暇を取り、グレイハウンド(※アメリカ全土に路線網を持つ長距離バス)でアメリカの名所を周っているらしい。
 また、彼は大のサッカー好きだそうで、先日のキリンチャレンジカップで韓国が日本に完敗して悔しかったとか、日本の選手の中では遠藤が上手いと思うとか、そんな話を熱心にしてくれた。僕はサッカーに疎いのでふむふむと頷くばかりだったが、おかげで、気がつくと正午になっていた。

 ひとまずフロントでキーを受け取り、部屋に入ってみた。誰もいない。(さすがに正午までは待たせすぎだよな・・・)と思ったが、まぁ仕方がない。部屋の左右に二台の二段ベッドがあり、右側のベッドの上段以外は、すでに宿泊客の私物が置いてあった。左側のベッドの下段には、なぜかXboxが置いてある。僕はリュックを下ろし、貴重品だけ持って部屋を出た。
 ドンハ氏をランチに誘うと、彼は妙に嬉しそうに応じた。なんでも、一人で店に入るのが恥ずかしいせいで、これまでレストランで食事をしたくてもできなかったのだと言う。ずいぶん勿体ないことだと思ったが、後に知り合いの韓国人から、日本人に比べて韓国人は一人で外食をする習慣がそれほど浸透していないという話を聞いた。
 そんなドンハ氏と、宿の近くにある小洒落たレストランに入った。テラス席もあったが、その日はひどく暑かったので店内で食べることにした。メニューに"Noodle"の文字を見つけ、日本のラーメンが思い出されて無性に食べたくなる。しかし料理名を見ると「THAIなんとかNoodle」となっているものばかりで、ラーメンというよりはタイの麺料理らしい。そういえばサンフランシスコでもロサンゼルスでも、"Noodle"といえばタイのものを指すことが多かった気がする。アメリカではそういうイメージなのだろうか。
 店員におすすめを訊くと、「ピーナッツソース」だけ聞き取れたよくわからないメニューを言われたので、それを注文する。ドンハ氏は久しぶりにカレーが食べたいと言って、チキンカレーを注文した。
 ずいぶん時間がかかって出てきた僕のプレートには麺料理が乗っていて、(これも麺なんかい)と思ったが、食べてみるとコクのあるピーナッツソースが癖になる感じで美味だった。ドンハ氏のカレーは不自然なほど明るい黄色をしていて、正直あまり美味しそうには見えなかったが、満足げに平らげていた。

 店を出るとまた強烈な日差しと熱気に襲われる。明け方、駅に到着した時は寒いくらいだったのに、ひどい寒暖差だ。
 『地球の歩き方』で紹介されていたローウェル天文台に行ってみないかと提案すると、ドンハ氏は、「そうですか・・・。いつもは観光とかあんまりしないのだけど、今日は行ってみますか」と言い、サムスン製のスマートフォンでマップを確認しはじめた。
 住宅街を抜け、山のふもとまで来ると、樹木を切り分けて作った公園があった。何組かの白人の親子が遊んでいる。ドンハ氏は目を細めて、「人ってのは、本当に子どものときは天使のようにみえるものだね」と意味深なことを言った。
 公園の近くに立っている標識を見てわかったのだが、天文台は山の上にあり、ここから坂道を登っていかなければならなかった。僕は登っていってもよかったのだが、ドンハ氏がどうみても嫌そうだったのでやめることにした。それで、結局宿に戻った。

 ドンハ氏と別れ、自室に入ると、左側のベッドの前に背の低い白人の男が立っていた。短パンを腰のあたりまでずり下げ、やんちゃそうな雰囲気だ。この宿に来てから、白人というだけで嫌な予感がしてしまうのだが、僕もずっと受け身ではいけないと思い、"Where are you from?"と訊いてみた。すると、幸いにも彼は笑顔を見せて自己紹介をしてくれた。自分はこの宿のスタッフでジェシーと言い、もうフラッグスタッフに住んで4年にもなるそうだ。ラッパーのように早口で、「メーン」とか「クール」とかを頻繁に挟む話し方が特徴的だった。彼は僕に、「メーン、君は韓国人かい?」と尋ねた。「そうだよ」と答えると、「メーン、北かい?南かい?」などと妙な質問をしてくる。「もちろん南だよ」と答えると、「そうだよね、クールだ」と笑っていた。悪気は無さそうだったが、旅行の自由がないとされる北朝鮮の人民がフラッグスタッフくんだりまで訪れるはずもなく、頓珍漢な質問だ。そんな彼は日本のマンガやゲームがとても好きだそうで、ベッドに置かれていたXboxも彼のものだった。

 またドンハ氏と、宿から20分ほど歩いたところにあるスーパーまで夕食を買いに出かけた。道中、怪しげな雰囲気のパブやモーテルなどが続いたが、そのスーパーの周辺だけはガソリンスタンドや薬局、カフェ、ファストフード店など照明の明るい店が集まっていた。
 アメリカらしい広いスーパーで、ラザニアとシーザーサラダを買い、宿に戻った。
 部屋に、メジャーリーガーのような体格のヒスパニック系の男がいた。彼は僕を目にとめると、白い歯を見せて握手を求めてきた。彼はアンドリューといい、濃い髭面でわりと強面なのだが、笑顔が絶えないナイスガイだった。シアトルの出身で、僕と同じくロサンゼルスを経由してフラッグスタッフを訪れたらしい。
 買ってきた夕食を、ダイニングを出たところにあるテラスで食べる。一緒に食べていたドンハ氏が、「昨日、ワシントンで大きな地震があったらしいね」と言った。マグニチュード5.8を記録したこの地震は後に「バージニア地震」と名付けられた。バージニア州でこの規模の地震が起きたのは1897年以来だそうで、東海岸の人々は相当な恐怖を覚えただろう。幸いにして深刻な被害は発生しなかったようだが、2011年の日本を生きた者として、「地震」という言葉の響きに何も感じずにはいられなかった。
 部屋に戻ると、今度は金色の髭を顎にたくわえた白人の男がいた。僕とは初めて会うはずだったが、一瞬こちらをちらっと見ただけで、特に言葉を交わさなかった。その無愛想な感じから、(またこのタイプか・・・)と思った僕は、疲れていたこともあって特にこちらから接近することもしなかった。
 就寝前。他の三人に、明朝、グランドキャニオンのツアーに参加するから目覚ましをセットしても構わないかと尋ねると、意外なことに金色の顎髭が、「俺も行くから頼むよ」と言ってきた。「君も来るんだね!それは良かった」。彼からの反応が嬉しくて思わずそう言ったが、返事はなかった。
 僕はスマートフォンのアラームをセットし、(やれやれ)と思いながらベッドに横たわった。

【続きはこちら↓↓↓】
https://note.com/sudapen/n/ne9ab287a391a


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