須田光彦 私の履歴書12
宇宙一外食産業が好きな須田です。
さて、中学でサッカーを始めてからというもの、全く勉強などというものはしなくなりました。
別に不良でもなかったですし、悪いことをしている仲間は沢山いましたが、その連中とビッタリと付き合っているわけでもなく、ただなんとなくやんちゃな側面はありました。
バカにされない、なめられない、そんな中学生の男子がいだく感情が、ちょっとだけやんちゃっ気を出していたように思います。
時代が、そんな時代だったと思います。
先輩でタバコを吸っていたのもいましたし、タバコを吸えと強要されたこともありました。
手を出せと言われて、手のひらに火のついたタバコを押し付けられたこともありましたが、決してタバコは吸いませんでした。
私はタバコが大嫌いで、原因は父です。
公務員の父は毎日決まった時間に帰って来て、晩酌をしながら相撲を見て巨人戦を見るのが唯一の楽しみの人でした。
晩酌しながらテレビを見て、タバコをくゆらすのが毎日の刊行行事でした。
子供の私はその横で夕飯を食べるわけですが、副流煙をずーっと吸わされていました。
中学の時についに堪忍袋の緒が切れて、父親に怒鳴ってしまいました。
タバコを吸うのを止めろ、飯食ってるんだか煙を食ってるんだかわからない、子供のころから我慢してきたと、怒鳴ってしまいましたが、父はムッとはしていましたが、全く無視されてしまいました。
今は法律が変わり、ほぼ全ての場所が禁煙になっていますが、それまではプライベートでお店を利用する時に禁煙のお店を探すのは、本当に一苦労でした。
中学でどんどん勉強をしなくなり、それなりにやんちゃにもなり、いよいよ高校受験という時期が近づいてきましたが、予想通り自分の学力では大した高校には入れません。
というか、下から数えた方が早いランクの高校にしか行けないと、担任の先生にも烙印を押されてしまいました。
そんな冬の手前のある日、授業中に突然、職員室に呼び出されました。
私だけが呼び出され、瞬間的にひらめくことが多々あり、適当に悪いことをやって遊んでいた仲間と目くばせをしながら、職員室に連行されると、見たことのある真っ黒い顔の怖そうなおじさんが、無理に作った作り笑いで私を迎えてくれました。
「須田君かい? 決勝で決勝点を取った須田君かい?」
中学のサッカーの大会で、ありえないプレーで決勝点をとってしまった私ですが、その結果、地元の強豪校の高校のサッカー部の監督の目に留まり、スカウトされてしまいました。
見たことある怖い人は、高校のサッカー部の監督でした。
話しを聞くと、高校に来てサッカーをする気はあるかを聞いてきます。
勿論、続ける気でしたのでそう答えると、入学試験を特別扱いしてあげるというではありませんか。
試験は受験して答案用紙に名前はちゃんと書きなさい、手続きはそれだけだから、それだけで高校に入れるから、その変わり3年間サッカーを続けるようにという提案でした。
すっかりバカになっていた私ですから、一応親と相談するがほぼ了承した旨を伝えました。
教室に戻ると、どれがバレタのか、どんな処分になったのか、チクったりはしていないだろうな、そればかりを聞かれました。
しかし、この高校は私立でしたので、お金が沢山かかります、それだけが心配でした。
親に相談したところ、滑り止めとしてならいいと、出来れば公立の一番いい高校に行けと、何を言ってもこの繰り返しでした。
でも、一応滑り止めとして中学浪人をしないためには良いだろうと、何とか妥協はしてくれました。
いよいよ受験となって、私立の高校、その後公立の高校の順番で受験でした。
先にサッカー部に入ることを条件に受けた受験では、3教科だけでしたが一応ちゃんと答えも書きました。
3教科300点満点で恐らく150点は取れたと思いますが、勿論、まともな受験ならば落第する点数です。
公立校に至っては全く何が何やらわからず、こっちの答案用紙が名前だけみたいな感じでした。
当然のこととして落ちてしまいます。
この時、この公立高の受験で落ちたのは、私一人でした。
同じ中学から受験した生徒は全員受かりましたが、私ひとりだけ落ちました。
試験結果の発表後に受かったみんなと食事に行きました。
一人だけ暗い気持ちで、でもここで帰ると皆が気を使うなと思い最後までいましたが、この出来事の10年後ぐらいに、当時弁護士事務所で働いていた同級生と飲む機会があり、
「あの時落ちたのは須田だけで、実はみんなでどうしようかって相談してたんだけど、普通に最後まで一緒にいてくれたよな あれでみんな助かったんだよ」と、言われ、感謝されたことがありました。
ただ、気まずい雰囲気になるのが嫌で、帰るタイミングがわからず早く終わってくれと思っていただけだったと伝えましたが、一方的に感謝されました。
この時、公立校に落ちたことを母に伝えると、母から帰ってきた言葉は、
「何やってるのさ、落ちたのはお前だけかい、お母さんが恥かくべさ、バッカでないの全く!」
というものでした。
当然の受験の結果です、でもそれなりにショックを受けていましたが、母からは電話越しに罵倒され、ガッチャン切りされてしまいました。
その気分のまま、受かった連中とご飯を食べに行きました。
受験の結果、必然的に私立の高校に入ることになりました。
入学前にサッカー部の監督が家に挨拶に来てくれました。
両親に挨拶をして、
「光彦君をシッカリと指導しますので、安心して預けてください」
手をついて挨拶してくれましたが、この時に父が言った一言が忘れられません。
「先生、どうかお手を上げてください。
息子をお願いします。
ただ一つだけ注文があります。
こいつをサッカーバカにだけはしないでください。
サッカーしかできない、そんな生半可な“かたわ”な男にだけはしないでください。
それが約束出来るのならお任せします」
普段は何も言わない父ですが、シッカリと監督に釘を刺しました。
驚きと共に嬉しかったのと、余計なこと言うなよ!という、複雑な気持ちでした。
この後30年以上が経って、監督が勇退する時のパーティーがありました。
勿論大切な恩師ですから帯広に戻ってパーティーに出席しましたが、2次会の会場で飲んでいる席に監督が来てボソッと、
「須田、覚えているか? 俺が初めてお前の父さん母さんに頭下げた時の事、あの時、お前の父さんからサッカーバカにはするなよと釘を刺されてな、あの時、ハッとさせられたんだよな。
確かに俺はサッカーしか教えていないかもしれんって、もっと人として大事なこと教えんといかんのじゃないかと、あん時心底思ってな」と。
あ~、先生も覚えていたんだ、普段は何も言わない父ですが、やっぱり凄い人なんだなぁと、この時も思いました。
そんなこんなで、高校にサッカーで入学できることとなりました。
今、このような仕事させて頂いており、ある程度の役割を務めさせて頂いておりますが、普段の打ち合わせの席で、大学を出た頭の良い若者が沢山英語を使ってお話しをしてくれます。
その時、わからない英語や専門用語が出てくると、パッと手を上げて、
「すみません、私は高卒で、しかもその高校もサッカーで入って、ボールを蹴とばしてたら入れた高校なんで、こう見えてバカなんですよ。
今の英語、どんな意味か正確に日本語で解説してください」と、お願いしています。
本当です、何人も聞いたことと体験なさった方がいらっしゃると思います。
サッカーバカにはなりませんでしたが、難しい英語や専門用語は難解で理解できません。
恥ずかしいという感情は全くありません、それよりも知ったかぶりをしてスルーしてしまう方が恐怖です。
バカで良かったです、何でも聞けますから。
でも、この時面白い現象が度々起こります。
この横文字の意味を解説して頂くのですが、多くの場合、参加者の多くが、なんとなくのニュアンスで理解しており、会議の参加されている方々内での認識が統一されていない場面に頻繁に出逢います。
上司が、意味合いが違うだろうと怒鳴ったこともありました。
私のバカさぐあいも、たまには役立つようです!
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