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全体主義は何がまずいのか / 「ヒトラー 〜最期の12日間〜」

Das war ein Befehl! Der Angriff Steiners war ein Befehl!
(あれ命令だったの! シュタイナーの攻撃はメイレイ!)

Der Untergang

「我が闘争」を初めて読んだのは高校生の時だった。僕は「魔の山」や「車輪の下」を既に読んでいたので、これらの文学に親しんだドイツ国民が同じ時にNSDAP(国民社会主義ドイツ労働者党、俗に言うナチス)をドイツ議会の第一党に選んだ理由を知りたくなった。
「シンドラーのリスト」から「ワルキューレ」まで、ハリウッド映画にはナチスを扱う作品が非常に多い。それは俳優などの映画関係者にユダヤ系が多いという事実も然ることながら、ヨーロッパの人たち、つまり白人にとって、破竹の勢いで自分達に襲いかかってきたのがフン族でもなければアラブ人でもなく、白人(ゲルマン民族)であったという前代未聞の事態に慄いたのだ。
ゆえに、アフリカはともかくヨーロッパの大部分にあまり影響を及ぼさないうちに降伏したイタリア王国やムッソリーニは、ナチスのように毛嫌いされることがない。選挙によって合法的に権力を手に入れたヒトラー率いるナチス・ドイツは、ヨーロッパ大陸にとどまらずイギリスからロシアまで攻め込んだ。この強力な攻撃の源を知りたくなった世界各国の人びとは、戦後にエルサレムで裁判にかけられたゲシュタポの幹部、アドルフ・アイヒマンのあまりにも"普通のおじさん"ぶりに腰を抜かすことになる。
ナチス=悪、日本軍=悪、のような知性のかけらもない人たちはともかく、戦後に欧米のインテリたちが辿り着いた全体主義の姿とは、任務あるいは職務に忠実な人たちが、その任務を遂行することを最優先にし、任務そのものの是非について検討する余地がなくなってしまうと歯止めがかからなくなる、ということだと思う。
イギリスにせよアメリカにせよ、開戦前から議会で揉めまくり、チャーチルもルーズベルトも常に"困っている"状態だった。それに対して全体主義では、ヒトラー総統の理想の実現であるとか、大東亜共栄圏だとか、そうしたものに突き進んでしまい、反対する者は処刑されるか軍法会議である。つまり、全体主義と呼ばれる政治のあり方は何がまずいかというと、その政治の全体を動かすような反対意見が全く通らない、すなわち議論の機会が失われてしまうということだ。
アイヒマンのような幹部一人ひとりが悪魔のような人間だったのではなく、ナチス・ドイツの掲げる理想の実現に対して"忠実"だっただけである。従わなければいいじゃないか、と全体主義に生きる人に言えるだろうか。これが教訓である。
日本人は職場において"真面目"という評価を大切な価値であるかのように考えているが、真面目と評される人間は、言い換えれば、反対意見を述べるような知性も度胸もない、忠実が取り柄のマヌケとも言えるのだ。大日本帝国は敗れたものの、この列島の精神はいまだに全体主義の海に浸かっている。コロナ騒動を思い出せばいい。
戦後長らくドイツはナチスの反省とショックから、文学や映画の界隈があまり盛り上がらず、テクノなどの音楽が栄えた。インターネットで大流行した、激怒するヒトラーの映像の元となった映画「ヒトラー 〜最期の12日間〜」(原題は Der Untergang)は2004年の作品である。この"フィクション"を撮るまでに、戦後にナチスの失敗を教育してきたドイツは60年かかった。昭和天皇と大本営の失敗を描く映画なんて、いったい完成することがあるのだろうか。
つまり、議論する機会が必ずいつもあること、決まったことでも再考する余地を必ず残しておくこと("決まったことだから"を必殺文句にしない)、こうしたことが全体主義から逃れる方法である。いずれも日本列島で滅多に見かけない光景である。
「ヒトラー 〜最期の12日間〜」という映画は、権力が集中するとどういうことになるのかという教訓を示してくれる。だから欧米諸国は三権がきちんと分立しているかどうか、注意を払っている。"日本も三権分立だよね"と思う方は、僕のnoteなんか読んでいないで、MARVELの映画でも観ることをお勧めする。

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