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時間感覚の無い人の歴史解釈は危険

変な文章です。

天災や疫病がはやり、帝は全国に寺を作った。・・・何故?

鎮護国家、つまり現実逃避ではなく、解決の手段として寺を作った筈です。

ではどの様に解決するのか?

歴史を語りながら、時間感覚が無いので、その時代に出来る解決法はなんだったのかまで考えられていない。これでは意味の無い政治をして国民を苦しめた馬鹿者と勘違いするでしょう。

別のHPでは、祈祷でもすりゃ治療した気になってんじゃないか?なんて乱暴な人もいました。阿呆です。阿呆僧な輩というべきでしょうか、僧でしたから。

真面目に考えて下さい、解決策は在ったはずだと、だから、為政者の徳が天変地異に関わると信じられる時代でも、暗愚な暴君とは記録されていないんだと。

まず、当時の僧は、官許を受けた僧と私度僧に分かれますが、派遣されるのは、都で勉強して官許を受けた僧です。

ではその勉強とは何か?

大陸からもたらされた最新の文化や科学。仏典を読もうとおもうと、漢字の読み書きも勉強します。仏教経典以外の仏教関連知識、官僚でもあるので、それ以外も唐のあらゆる書物を読むのが僧侶の修行です。

土木工学。後年、弘法大師と付き人が唐から技術を持ち帰って、鉱山開発や貯水池の開発をしたことは伝説にまでなっています。この時代も同じで、仏像、仏教建築だけでは済まず、新技術を輸入しています。災害対策、復旧指導として派遣されるのに意味はあると思います。

そして医学。”僧医””悲田院”という言葉を検索してみて下さい。医学も唐から輸入された新技術です。この時代、全国に病院が在るわけじゃ在りません。医大も各県にはありません。国分寺は国立病院の役割もすると考えるのが自然です。地方では地方豪族が地方公務員の役割をしていて、派遣される国家公務員の数は現在よりも少ない。ならば、中央から派遣される僧侶は保健所の代わりの最新の衛生指導も仕事になります。疫病の記録と合致します。地方豪族と違って、必要に応じて全国を移動できるのも中央官僚の強みです。文字が書けるので、中央への疫学的な報告や有効であった治療方法もできる。

医師や保健所員が充分いる現在では、下の様に役割が違ってきていますが、これを、そのまま奈良時代に当てはめるのは、誤解のもとになって危険です。

僧医のイメージをつかめるのは

医師の側からの言葉です。より具体的です。

この知識を組み合わせると、

災害疫病が続くからこその国分寺国分尼寺設置だと理解できます。

実は、他にも現代に無い寺の役割として、官舎ホテル代わりというのもあります。

奈良時代にはホテルも旅館もありません。国司の公邸官舎以外に、中央から派遣された官僚・僧が任地に着くまで旅行中に宿泊出来る施設は、街道の駅と寺になります。宿泊しながら・科学者同士の情報交換もする。

現代常識をはずすと、見える景色が違ってきませんか?

これが歴史をふりかえるのに必要な時間感覚です。生まれつきの才能かもと思うくらい無い人もいるので、解説しても意味がわからない人は居るでしょうが、大抵の人はなんとなく想像出来ると思います。

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