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【企画】忘れられない外国人のあのひと

みなさん、こんにちは。
今回もチェーンナーさんの企画、第二弾に参加します。

もっと早く投稿したいなと考えていたのに、あっという間に時は過ぎて気づけば息子は1歳になって、8月も終わりそうです。まだまだ暑い日は続くけど…

この頃はあまり体調がよくないせいか、仕事に対する情熱もちょっと消えかけていて、まずは自分の心と体を整えなきゃと思うことばかりです。

でも、ようやく時間が少しずつできてきて、また自分に向き合って発信や創作活動ができるのではないかと思っています。

少しずつ進みます。

今日は「忘れられない外国人のあのひと」ということでお話させていただきます。

▶ 出会いは小学生だった

小学4年生の頃だった。席替えをして隣の席になったのは、フィリピン人の男の子だった。(以下Tくんと呼ぶ)

おとなしくて、声が小さく周りから少し浮いていた印象がある。その時、クラスにはそのTくんしか外国籍の子はおらず、みんなはいつも少し距離を置いている感じがあった。

子どもは無邪気で無垢で時に残酷だ。

「どこから来たんだよ〜?」
「めっちゃ日焼けしてんじゃん」

そういうストレートな言葉を向けてしまう。当然本人は嫌そうにでも何も言えず、うつむいている。

私も実は小学生(中学も高校もだけど)の頃は大人しく、内向的な性格だったし、とにかく「周りから浮かないように」それしか考えていなかったような子どもだった。

だから

そんなことを言われているTくんを見ていられず、優しくしなきゃと思う反面、

Tくんとは距離を置いたほうがいい。

そうやって自分自身を守っていた。ずるいやつだ。

でもある時、Tくんは消しゴムを忘れた。

消しゴムは一個だったけど、ちぎってそっとあげた。

「ごめん」
「いいよ」

それだけだった。

▶ 「みんなと違う」は悪なのか

中学に入って、Tくんを見なくなった。

というのも、同じ学校ではあったけど人数が多くて、(一クラス40人の学年8クラスだから結構マンモス校だ) 校舎も東西に分かれてしまったので、見かけなくなったのだ。

自分の内気な性格は変わらなかった。

でも生きづらかった。

中学生にもなると、クラスにはたくさんの派閥ができていく。しかも、カーストのように、派手なクラスの中心の人たち・普通の人たち・大人しい人たち…そうやって自然に分かれていく。

真ん中の下くらいだったかもしれない。

「みんなと違う」

それは目をつけられると同義だ。

見た目でなんかキモい、一緒にいたくないんですけど。そういうことを平気でこそこそ言う。

特に女子が集まって悪口を行ったり、誰かのうわさ話で盛り上がったりそういうものにうなずくだけの自分がいた。

違うよって言えなかった。

ちょっと見た目が違ったり、目立ったりすると叩かれる。対象にならないように生きるので必死だった。個性なんかなかった。

▶ Facebookで連絡があった

高校大学と時は流れ、小学生の記憶もおぼろげになったときだった。Facebookで友達申請が来ていた。

Tくんだった。

ちょっと迷ったけど、承認を押した。

それからしばらくして、Tくんからメッセージがあった。

「ゆいちゃん、元気? 僕のこと覚えてる?今大学生なんだね。またよろしくね!」

びっくりした。口調がずいぶんと変わっていたからだ。

彼のFacebookの写真をあれこれ見ていると、中学高校を出て、多文化のサークルに所属してミュージカルの舞台で活躍しているようだった。

小学生の頃とは違う、そこには仲間と笑い合う姿があった。まぶしくてキラキラしていた。

メッセージには続けて
「あの時消しゴムをくれてありがとう」
そう書いてあった。

もう、「ごめん」じゃなかった。

彼は多国籍の仲間とともに一回りも二回りも成長していた。

同時に私は「ごめん」とつぶやいてしまった。

▶ 個性を認めること

彼はフィリピンルーツの3世だった。メッセージをくれるまでにおそらく色々な葛藤と戦いがあったに違いない。

でも彼はこうして乗り越えて生きている。

私は今まで恐れていた。一人一人の「個性」を。

「みんな違ってみんないい」

有名なこの詩を小学生で習ったけど、本当にそうやって思えていたのだろうか。いやできていなかった。それは私はもちろん、きっとみんなも難しかったかもしれない。

日本は閉鎖的でウチソトがはっきりした文化だと所々で感じる。

「違うものは排除しよう」
「出る杭は打たれる」

そういった考えがあると思う。

でも

学生から社会人になったこの数十年のうちにも、周りには急速に外国人が増えて、どこでも見かけるようになった。私の街も今人口の7%だそうだ。

根っこも
肌の色も
話す言葉も
身に纏うものも
食べるものも

違う人たちが自分の周りにいる。
見た目や考えが違っても、同じ空間にいる。

あの時、Tくんがくれたメッセージを忘れない。

大学で多文化共生の勉強をしている時、先日サマースクールで様々なバックグラウンドの子どもたちを教えた時、街の日本語教室の現状を見聞きしたとき、いつも思い出した。

Tくんは私に「個性を認めること」を初めて教えてくれた人だと。

▶ 個を尊重すること

今朝、化粧をする母の前で息子が興味津々でメイクセットを眺めていた。そんな息子を見て母が

「ねぇ、息子くんがメイクしたいって言ったらどうする。」

そう言った。

今は男性も肌に気を遣ったり、メイクをすることもあるからいいと思う。

「じゃあ本当は息子くんが心が女の子だったら?」

と、朝から色々2人で考えていた。

そういうことを考えるのも、個を大切にすることにつながるのではないか。

外国人だけではなく、LGBTや障がいなど色々な人が生きているこの社会。理解できない、自分とは違うと突き放すのではなく、理解しようとする気持ちを持たなければならない。

これからを生きていく息子には、それを伝えなければならないと思っている。

誰もが生きやすい社会を作るのは難しいかもしれない。でも偏見を変えるのは一人一人の気持ち次第。

▶ 今後のわたし

日本語教師として今、街の「多文化共生」に関わり始めたところだ。先日、交流協会の事務局長から聞いた話で、日本人と関わりたいけどそういう気持ちがなさそうとか、外国人でもコミュニティができていて、日本語は必要ないと思ってるとか、様々な問題があると。

地域の現状を見つめ、外国人と日本人が相互理解をし、尊重し合う社会になるように、活動していきたいと思う。

いつも心に留めたいのは
「自分の常識は相手の非常識かもしれない」
ということ。

▶ あとがき

Facebookが同年代に使われなくなって5年くらい経った。私も退会してしまい、それだけが頼りだったTくんとの接点はもう今はない。

彼は今どこで何をしているんだろう。
あの時みたいな笑顔で過ごしているんだろうか。

会えなくなっても、彼はきっと今でも私の日本語教師の根っこにいる存在だと勝手に思っている。

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