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ドレスを着る時、ぶち当たるのは自分へのコンプレックス。

⁡コンプレックス
日本語にすると、"劣等感"


無意識に自分ではない誰かと比べてネガティブになるこの感情って、実は知らず知らずのうちにメディアや世論に刷り込まれている"つくられた美しさ"や"理想の固定概念"の場合も、少なくない。


自分ではない誰かと比べていることすら、気づいていないこともある、ということだ。



ドレス選びをしているとどうしてもぶつかるのは、自分へのコンプレックス。

でもね、そこを気にしすぎたって仕方なくて。

それより、これからも生きていく自分自身と向き合うことのほうが
この先の人生において、必要な時間なはず。そう思ってならない。⁡

✴︎

そんなことを言いながら、わたし自身コンプレックスの塊人間。


見た目も、性格、家庭環境なども含め自分への劣等感がいっぱいで、20歳のとき、人生かけて掲げた目標が"自分を愛する" だった

(最初は1年の目標だったけど、無理なことに気付いて、人生の目標にした)


美人の姉がいることもあり、いつも引き立て役だと思って振る舞っていた。自分の顔も嫌いだし、体も見せたくないところがいっぱいある。

今思うと、小学校の頃から撮ってもらった写真を見るたびに、姉と比べて「ほんと垢抜けないな、わたし」と思うことばかりだった。

中学、高校生になっても、好きな人と会うときは明るい場所で話すことすらできなくて、夜の公園とか、薄暗いライブハウスがメイン。


社会人になると、なぜか「かわいい」キャラや、女の子扱いされることも多くて、そのギャップにもすごく戸惑った。

見た目だけで、判断されてしまっているような気にもなって、私ってほんとはこんな人間じゃないのにって思いながら、生きている時期もあった。

演じなきゃ、と思う自分すら嫌いだった。


そんなコンプレックスから解放できたと感じているのは、本当にここ最近。

⁡ワタシの場合、紛れもなくファッションが劣等感から救ってくれた。

お気に入りのお洋服たちは着ただけで、グッと気分を上げてくれるし、メイクもしてばっちり整えた姿を鏡を見て「今日のわたしいい感じ!」そう思えた日って、1日自信を持って笑えたんだよね。

そして、ファッションは自分自身を表現するものだと理解してからは、自分のキャラクターを丸ごと表現するようにし始めた。

今日はちょっと女性らしくいたい時にワンピース。でもちょっと辛めのピアスをしよう、髪の毛は前髪を上げてマニッシュにしてみよう。。

そうやって、バランスをとれるようになってきた。

自分がどんな人間か?が自分で理解し、それを受け入れられるようになると、ファッションでの表現もすごく楽しくなったし、より自分のことが好きになれた。

ファッション意外にも、髪の毛をばっさりショートにすることも、自分を表現するためのひとつだった。
すごく心地いいと思ったし、いやらしさを感じる「かわいい」を言われることも少なくなった。


ファッションのパワーに執着しているのは、ただ自分の体験があるから。

こうやって変われることを知っているから。




これは、30歳記念に撮っていただいたブードアフォト。

photo akari kuramoto

恥ずかしいけど、勇気を出して
わたしを丸ごと撮影してもらいました。

隠さず。ありのまま。



コンプレックスを好きになったか?
と言われたら
100%yes!とは言えないけど

これがワタシ。

そう受け入れられるようになったことが
わたしにとって、またひとつ
ターニングポイントになりました🤲


自分と向き合う体験や、好きになる努力をすることは

ドレス選びや結婚式など
ここだけの話じゃなくて、この先の人生にもつながっていく。


"この先も、丸ごと自分を好きでいて欲しい"

これが、私がスタイリストをしている
大きな理由で、ダイナミックなテーマだったりする。

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