昭和の暮らし:(23)電子ジャー

米屋のことは書いたが、お米をどんなふうに炊いて保存していたのかは書いていない。

小学校に上がる前の60年代、我が家ではガスで炊飯して、残ったら冷や飯として食べるか、焼き飯にするなどしていたのかと思う。

70年代になると、保温ジャーという電化製品が出てきた。ガスで炊飯した米を保温ジャーに移し替えると、温かいごはんを食べることができる。

家事をする人にとっては朝昼晩と米を研いだり炊いたりしなくてよくなったのは大革命だっただろう。しかし、この保温ジャーに数時間入れられたご飯は、黄色っぽく変色して、独特の匂いがする。物心ついてからずっと米好きだったのに、保温を境に米嫌いになった。しかも、家族、特に両親はこの独特に匂いに鈍感だったのか、あまり気にならなかったようで、私だけがわがままな子みたいに扱われて、不本意だった。

その後、炊飯ジャーという、炊飯と保温機能が一体となった製品が出てきて、うちにも導入された。新しいジャーのほうが匂いに関してはいくぶんマシになったが、それでも「臭い」と思いながら食べていた。

電子ジャーの独特の保温臭から解放されるのは、その後何年も経て電子レンジで温め直しができるようになってからである。残念ながら、我が家に電子レンジが導入された時期が一般家庭よりもかなり遅かったので、私の米飯生活の苦しみは学生時代を通して長く続いた。高校や大学になって一家団らんしながらの食事に束縛されなくなると、自分で炒飯にしたり、おかゆにしたり、いろいろ工夫して保温臭対策をしていた。

いまも、炊飯ジャーの保温機能は一切使わず、少量づつ炊飯して、炊けたらすぐにオフにして、密閉して冷蔵からの電子レンジと、できるだけその日のうちに消費している。米は好きで、ブランド米の食べ比べをしたり、季節によって買う米を変えたり、楽しんでいる。