昭和の暮らし:(12)幼稚園の思い出

私はあまり友達のいない子どもだった。
内向的な性格というのもあったけれど、近所の幼稚園ではなく少し離れたところに通っていたので、アウェイでの戦いだったからかもしれない。

そういうこともあってか、幼稚園が楽しかったという思い出はない。園児は大勢いて、しつけが大変そうだった。先生たちは怖かった。

入園の前に、一度幼稚園に説明会のようなものを聞きに行ったことは鮮明に覚えている。とにかく私が泣いて、帰りがけにも泣いていたからだ。
その日は、着いたときか、あるいは帰りのバスを待つバス停だったかの前にあったパン屋さんで、クリームが入ったパンを買ってもらった。それに味をしめて、機会があればまたそのパンを食べたいという希望を胸に抱いて幼稚園生活に入った。

トイレに行くのに、勝手にいくことが許されず、ちゃんとルールがあった。先生に「ご用に行ってきます」と挨拶して、スリッパに履き替えて・・・など手順があった。

幼稚園のスモッグは水色で、名札もつけていたし、帽子もあったと思う。しかし詳細は覚えていない。描いた絵も折った折り紙も覚えていない。覚えているのは、クレヨンで色分けして塗った白紙画用紙に、さらに黒を塗り重ねて、その上から割り箸か何か尖ったもので引っ掻いて絵を描く手法である。楽しくて家に帰ってもまたやってみた。

お昼ごはんはお弁当持参だった。何を食べたのか覚えていないが、私は隣に座る子たちと話もせずに食べていた。話題が何もなかった。
幼児の話題のひとつは、その日着ている洋服のこと、持っているハンカチのことなどだった。また母の話になるが、母は私に白ブラウス、紺のスカート、白い靴下、絵のないズック、真っ白なハンカチを用意していた。幼稚園の子どもたちは、リボンのついたワンピースやアニメのハンカチを持っていた。だから、他人の洋服の柄やリボンの話を聞くばかりだった。
偶然自分がリボンのワンピースを着せてもらった稀な日は、一日中そのことを誰かに話したくてうずうずそわそわして過ごした。

寺院の幼稚園だったけれどクリスマスには「きよしこの夜」を歌う練習をした。その歌を、家で母と妹に歌って教えた。

卒園するときのことも覚えていない。
団体生活は向いていなかった。
小学校に上がって、最初の日に校内で迷子になって泣いた話はまた今度。