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いじめの記録〜大学生活

 少し間が空いてしまった。最近は鬱で、何をしても楽しくないし義務感がすごい。
やらなければ、必要だから、習慣だから、そんな言葉が雲のように頭を覆って、全然太陽の光が差し込まないのだ。

 さて、大学生活について書いていこうと思う。大学に入るとほとんどみんなが新しいスタート、地方から来た人もいて、新しい友達を作る競争が始まった。
まずは、学籍番号が近い人と親しくなる。何かと初めの行動を共にすることが多いのが理由だ。そこから輪が広がっていくのだが、私はわずか二、三日でしくじった。長い時間同級生と一緒にいることを体が拒否するのだ。

午前中のオリエンテーションで少し話したり集団で行動したりした後、「お昼ご飯を学食に食べにいこう」と誘われたのだが、もう逃げたくて仕方ない。一人になりたい。自分の中の人に気をつかえるキャパシティを超えていた。「用事があるから」なんて適当な理由をつけて逃げる。そんなことをしていたらあっという間にぼっち大学生が仕上がった。

真面目な性格なので講義はきちんと出席して単位を取らないと、と必死になっていた。一人でもなんでも出席して大講義室でも前の方に座って講義を受けた。講義が終わると疲労困憊で即帰宅。もちろん通学も一人。「同じ空間に同じくらいの年齢の人が沢山いる」という状況だけで疲れ切った。できることは単位を取ること。それだけで十分だと思っていた。もちろんサークルには入らなかったし、バイトもしなかった。だって、疲労困憊なんだもの。そんな風に一年生を過ごしていたら成績上位者で表彰された。トロフィーと賞金をもらった。なんだか笑えた。

 「上位者になるくらいだからもっと手を抜いても単位は取れるんだ」と理解した私は次第にサボりを覚えていく。根っからの夜型人間なので、一限の講義に出るのが本当にしんどかった。適度に休んで単位は落とさない。絶妙な線を攻め、見事四年間で大学を卒業した。

大学での思い出は講義以外はほとんどない。三年生になるとゼミ配属になったので内輪の小規模な飲み会に二回ほど参加したが、一回目なんてつまらなくて料理も不味くてろくに食べられず、我慢が切れて解散のベルと同時に急いでエレベーターに乗り込み、走って帰った。お店の前で集合写真を撮ろうと周りが言っていたのも無視して駅に走った。これ以上集団の中に居続けたらどうにかなってしまうと心の中で警報が鳴ったのだ。今思い返せば変なやつだったなと思う。

そんな風だから、ろくに友達もできずただただ賢くなった大学生活だった。ただ一人だけ、今でも連絡を取ったり遊んだりする女の子が一人いる。その子とは講義のグループワークで一緒になることが多く、大学内では唯一親しい存在だった。しかし、大学時代に遊んだことは一回もない。大学卒業記念で袴を着て遊びに行ったのを機に、仲が深まり、卒業してからやっと友達らしくなった。この件をとってもやはり、「集団の中で人間関係を構築できない」という特性が私にはある。これは間違いなく、中学時代に受けた「いじめのトラウマ」だと思っている。

 次回は社会人になってからについて書こうと思う。社会人になってから、私の性格や考え方はかなり変わった。学生の時よりも大幅に生きやすくなったのだ。その点からも、教室という狭い枠に縛られ、近い年齢の人間しかいない中で生きていくことが「いじめに遭った私」にとってどれだけ困難だったかということがわかるのだ。

 あと一、二回でこの「いじめの記録」についてのnoteも終わりを迎えそうだ。ちなみに22歳、大学卒業までを書き終えたのだが、友達がろくにできないのだから恋人だってできていない。あまりにも偏った人生を歩んできたわけだ。普通の人が当たり前にしていることができず、当たり前に乗っている波に乗れず、ひたすらもがいて生きてきた。

 そんな私が報われる日は来るのだろうか。

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