【アラサー独身】心が狭くなってきた件について-コンビニにて


東京に勤めて、暮らして、8年くらいになる。

働く場所も、住む場所も、変わりはない。

ほぼ毎朝寄る会社近くのコンビニも、ずっと変わらない。


しかし最近、そのコンビニで違和感を覚えることがある。

そこのアジア系外国人女性店員たちが使う声の掛け方が、コンビニっぽくない気がするのだ。なんとなく。

「はいお客サマ〜、コチラどぞ〜お客サマ〜」

客が去った自分のレジに次の客を呼ぶ、
是非私のレジに来て、というような健気さの圧さえ感じる、流れ作業の中の工程の一つ。

きっと彼女たちはこれを最初にコンビニではなく、胡散臭いレストランとか、
スナックだとか、
なんなら風俗みたいなところで覚えて、

日本ではいつでもどこでも客はこうやって呼ぶものだとインプットされているんだろうな。


勝手に彼女たちがここに辿り着くまでの過程を想像して、
勝手に残念な気持ちで並んでは「ハイお客サマ〜」
で、レジに辿り着く私。

この違和感を成仏させる道を思いつこうとするも、こういうのを迂闊にSNSに呟くと
「外国人」「アジア人」「女性」(アジア人女性という点は自分自身も該当するが)差別とかで
炎上しかねない、、なぜなら、、
こんな偏見、見下しのような発言は
非常に失礼、極めて遺憾なことなのだろうから。
的な、
自分の中で国際的、社会的問題にまで飛躍しかけた。


だけど結局は、
言葉づかいから連想するイメージやニュアンスが発する側と受け取る側で違っていたから産まれた違和感なのだろう。


日本語って日本人って日本って面倒くさいよね、
いや私がアラサー独身女とかって捻くれたせいで
面倒くさいってことよね、
と、最終的には主語を自分にして責任を取ろうとするくらいにして、
全体的に面倒くさいで片付ける。

そして私は責任を取って信号を渡った反対側のコンビニに行くようになった。



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