裏打ちされる直感

耳から入ってきたものが、頭の中で凄まじい勢いで弾けた後の感想は「これは、とてつもない逸材かも知れない…」というものだった。

元々自分はラジオっ子であったと前述した。
最も古いラジオとの記憶は、赤いナショナル(現:パナソニック)製のトランジスタラジオから流れてきた今は亡き愛川欽也の声である。(自分の記憶と各種記録を照らし合わせると、文化放送の「キンキンのサタデー歌謡ベストテン」ではな無いかと推察される。)
幼少期は長期間入院することが多かった。当時は今みたいに病室の各ベッド毎にテレビなどは無く、基本的には娯楽は本を読むか、カセットテープなどで音楽を聴くか、ラジオをイヤホンで聴く程度あった。そのようなこともあり、自分の傍らには必ずラジオがあった。
学校もよく休みがちだったため、テレビを見るより横になりながらラジオを聴いてたりしていた。従って今では伝説と言われている番組もオンタイムで聴いていたこともあり、鼻(この場合は耳だろうか)は利くと自負している。

その配信をしている一般人の少女(もちろんラジオ配信なので少女がどの様な容姿かは全く想像だにつかない)が逸材だと思った理由を挙げていく。

1:映像も無く、且つ権利関係で音楽などもかけられないという状況の中、1人で無音の空白を潰すように喋りをするというのは簡単に出来るものではない。試しに何でも良いから1つテーマを設定して、そのテーマについて1人で3分間喋ってみて欲しい。大抵の人は何を喋ろうかと考え込んでしまい、1分も保たずに言葉が出なくなるのではなかろうか。ラジオにとって「喋っていないというのは、その場に存在していないものと同様」である。それを難なくこなしているという点。

2:「SHOWROOM」などのライブ配信サービスの多くは、リスナーのコメントがリアルタイムに表示される。そのリスナーからのコメントをほぼ全て拾って、返していたのだ。それもほぼ漢字の読み間違えもなくである。単なるYES/NOではなく、ちょっと聴いている方が笑ってしまうようなコメントを絶えず返し続けているのである。相当な反射神経とボキャブラリーを持ち合わせていないと出来ないという点。

3:ラジオパーソナリティの資質の一つにどれだけ自分をさらけ出せるのかという点があると考えている。パーソナリティが単なる進行役で終わってしまう番組の殆どは味も素っ気もないものとなってしまう。あえて「パーソナリティ」というくらいなので、喋り手の個性が重要なのだ。その点においても、彼女は「泣く」ことで自分をさらけ出したという点。

配信を聴いていくと、何故泣いて配信をしていたかが後から乗り込んできた自分でも徐々に分かるようになった。
どうやら、オーディションの詳細が書いている書類が部屋の中で見当たらなくなり、その紙が無いと今後の進め方が分からず不安になり泣きながら部屋中を探しまくり、そして何とか見つけることが出来、不安から安堵の涙となったらしいのだ。そして彼女は意図していないだろうが、自分の感情移ろいをエンタテインメントまで昇華させてしまったのだ。(リスナーの殆どはそのあまりの滑稽さに笑いながら見守っていたのである)

今この瞬間、泣きながら凄まじい勢いでリスナーのコメントを拾って話をしている少女は自分にとっては間違いなく逸材であり、彼女に引き込まれてこのままずっと聴き続けていたいと思うのは必然でしか無かったのだ。

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