男は困惑していた。 宿場町の茶店にいて、目の前に粟餅が置いてある。 見覚えのある店だった。 男が子どものころ、奉公していた旅籠屋の近くの茶店だった。 腰の曲がった婆さまが働いている。 男が九つのとき、亡くなったはずだ。 茶店の前を通るたび、粟餅を蒸すにおいにひかれて、何度、立ち寄りたいと思ったことか。 奉公人で、子どもだった男には粟餅を買う金を持っていない。 いや、一度だけ、茶店で粟餅を頼んだことがあった。 お使いに出た先で、思わぬ小遣いをもらい、帰りに寄り道をした。 粟餅を
もう五十年ほども昔の話だ。 私の育った海辺の村は毎年恒例のように台風に襲われた。 台風の夜には停電がつきもので、どこの家でも日の暮れる前から早寝を決め込んでいたのだが、そんなに早い時間から無闇に眠れるはずもなく、台風は怖いながらももう運を天にまかすしかすべもなく、雑音入りのラジオに耳を傾けながら、暇を持て余していた。 そうなると私の出番なのだった。 まだ小学生だった私は、懐中電灯を片手に村に一軒だけある食料品店へと雨風の中を踊るように走っていく。 祖母が
私は、夕焼けを売ってるんです。そんなものが売れるのかって? 買う人はたくさんいますよ。おや、夕焼けなんてタダだとおっしゃる? とんでもない。あなたも生きて来た中で、いちばん綺麗だった夕焼けってあるはずです。それが人生の財産ですよ。でも不思議なもんでね、たとえば同じ夕焼けを見ても、人によって見え方が違うんです。同じ夕焼けを見ていても、心に響かなかったり、涙がとまらないくらいに美しく見えたり。夕焼けってそういうものなんですよ。 誰が買うのかって? 夕焼けが見たい人に