見出し画像

雨の夜のビリー・ホリデイ

「なんだか、気持ちが軽くなってとても安心できました。有難うございました。またお願いします」

1時間ほどのセッションが終わると、小さなお店を経営する女性はそう言って笑顔をみせた。

ただ、僕はモヤモヤしていた。何もしていない、何も役に立てていないという感覚があったからだ。

だから一ヶ月後、2度目のセッションの際には、いろいろとフィードバックをした。

「それはこういうことではないですか」
「その場合は、こう考えることもできますよね」

というふうに。

女性は「確かに、そうですね」と頷いていた。
けれど、もう一度僕に声がかかることはなかった。

7年ほど前。僕がまだコーチングを学んだばかりのころの話だ。

その後、僕自身もさまざまな「先輩」たちのセッションを受ける機会に恵まれた。その中には、本人が学んだコーチングの流派の考え方やテクニックでこちらを「なんとかしよう」とする人たちも少なくなかった。

ただ、そうしたノウハウ的なものは、そのときは「イイ感じ」に思えても、時間が経つとほとんど何の変化も生みださなかった。自称「世界最高水準」などと謳っている、業界でも有名な人の高額セッションも受けたが、それほどの差はなかった。

でも、そのなかで唯一、ただ話を聴いてくれる方がいた。僕がどんな状態のときでも、気持ちが荒んでその方に当たってしまうようなときでも、変わらずに受け止めてくれた。アドバイス的なことはひと言も返さず、いつも、ただ、そこにいてくれた。

その方との時間を重ねるうちに、鈍い僕にも体験として分かってきた。ただ聴く。相手の状態を受け入れる。そのために存在を提供する。それだけで充分なのだと。そして、そこにこそ、計り知れない可能性があるのだと。

***

「雨の夜のビリー・ホリデイ」という村上春樹のエッセイがある。彼が作家になる前、まだジャズバーをやっていたころに、実際にあった話を綴った短い作品だ。

そのバーにはときどき、背の高い物静かな黒人男性と、ほっそりとした日本人の女性が来ていた。カップルというより、親密な友だち、という感じに見えたという。

ときには、その黒人男性が1人だけで姿を見せることもあった。男性はカウンターの隅に座ると、決まって「ビリー・ホリデイのレコードをかけてくれ」とリクエストをした。レコードを聴きながら、男性は大きな両手で顔を包み込むようにしてすすり泣くこともあった。

2人の姿を見なくなってしばらく経ったある雨の夜、女性だけが1人で店にやってきた。その男性が本国に帰ってしまったこと、国に残した家族を思い出すとこの店に来て、レコードを聴いていたことを、彼女は懐かしそうに語った。

「彼がこのあいだ手紙をくれたんです。僕の代わりにあの店に行って、ビリー・ホリデイを聴いてくれって」

LPレコードを静かに聴き終えると、その女性はレインコートを羽織って帰って行った。

***

遠く離れてしまった相手に、もっとも思い入れのあるレコードを聴いてもらう。
遠く離れてしまった相手に代わって、そのレコードを聴く。

寂しさ、悲しさ、空しさ……それらすべてを含む、深い慈しみ。

「聴く」ということに意識を向けるとき、この話をよく思い出す。

村上春樹本人が選曲したジャズCDのライナーノーツに収められている、ほんの小さなエピソード。だけど僕は、彼のあらゆる作品のなかでこのエッセイが一番好きだ。そして読み返すたびに、「聴く」という世界をもっと深めたいと思い直す。7年前に話を聴くことができなかった、自分への恥ずかしさとともに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?