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なぜ、教員を目指したのか。

こんにちは。こんばんは。かわちゃんです。
今、私は教員として働いておりますが、なぜ教員を目指して教員になったのかというのをお話しできたらと思います。興味ない方も最後まで読んでくださると嬉しいです。

1.幼い頃から志していた。

私がこの夢を追いかけ始めたのが幼稚園の頃です。当時担任してくださっていた先生がとてもかっこよく、楽しそうに遊んでくれていて、ギターが上手く夏でも冬でも一緒になって汗を流し、子どもたちと楽しく遊べる仕事っていいなぁと幼いながら思っていました。その時は、幼稚園の先生になりたいと思っていました。

2.小学校時代

小学生の頃は、小学校の先生に憧れていました。その理由も単純明快、憧れから入りました。授業もとても興味惹かれるものがありました。レクリエーションも豊富でとても楽しかったのを思い出します。あと、自身が転校が多く、その時に転出、転入両方でとても暖かい対応をしていただいたのも1つの要因です。小学校の中学年の時、当時の養護学校の生徒と一緒に遊ぶという経験をし、少し特別支援に興味を持ち始めました。


3.中学時代

中学時代は、水泳をしていました。部活動にも所属はしていたので、そのときの教員になりたい動機は、「部活をしたいから」という今、考えるとありえない話ですが、当時は教員の働き方などはほぼ知らず、仕事しながら体動かせるのか!だけ思っていました。そして、中3の受験の時に、放課後勉強しているときに職員室に質問をしに行っても嫌な顔一つせず、質問に答えてくださいました。今、考えると時間外でここまで教えてくださる先生方には頭が上がりません、、、。

4.高校時代

教員になるためには免許が取れる大学に通わないといけないのですが、そこで一つ大きな壁にぶち当たりました。高3のセンター試験で第一志望の大学に出願するのを躊躇うほどの得点率だったのです。そして、他の教育学部の大学も受かるか怪しい感じでした。そこで、当時の担任に相談したところ、大学志望校を大きく変えようということになり、教育学部以外でも免許が取れる大学も希望に入れ、受験することになりました。そしてその時に教育学部以外でも免許が取れるということを初めて知りました。
入試本番。教育学部2校と教育学部ではないが免許を取れるところを1校受け、後者のみ受かりました。とても悩みます。正直行きたいところではなかったし、どのような仕組みで取れるんだろうなどさまざまな不安はありました。浪人しようと思い、高校に合格の報告に行ったら、教員は現場で実践積むのが大事だから!早く大学に行きなさい!と言われ、教育学部ではない大学へと進学します。


5.大学時代

4年間通いました。最初びっくりしたことは教職科目が卒業単位にほぼ含まれないこと。卒業に必要な単位プラス教職の単位を取らなくてはいけず、とても大変でした。そのなかで、社会科の指導案を作ったり、教員、教育とはということを学びました。それ以外にも特別支援に関することを実際長年教員されていた方から学ぶことができたり、卒業に必須な福祉に関する授業もいくつか取りました。そのなかで小学校へボランティアに行ったり授業の中で支援学級の生徒と触れ合うことができました。そして大学4年の時。自分は、社会で受けるか特別支援で受けるかとても迷いました。自分が受けた自治体は、特別支援の試験に合格すると、特別支援学級に行くことがほぼ確定されていたからです。特別支援学級を学ぶことは大学でもほぼ経験がなく、不安でいっぱいでした。しかし、大学時代に私は、1人残さないような教育をしたいということを目標に掲げ、採用試験に挑みました。そして、採用試験を突破し、今に至ります。


とても長くなってしまいました。最初は憧れから入った教員という仕事への興味。そのあと、少しずつ子どもたちと触れ合い、自分の中で少しずつまとめて形にしていきました。しかし、現場で働くと大学時代までの綺麗事では済まされないことも多く、思っていたこととリアルのギャップに悩むことも多いですが、少しずつ埋めれたらと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

いいね、コメントいただけるととても嬉しいです☺️かわちゃんでした。

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