自己紹介⑤ 水泳に捧げた人生
みなさん、今年もよろしくお願いします。かわちゃんです。
2024年初投稿になりますが、また自己紹介の続きになります。
前回の自己紹介は、下をご覧ください。
前回までは、小2で、スイミングクラブの選手コースに誘われたところで終わってましたね、、、。さぁ、ここから水泳を本格的にやり始めるのです。
1.飛び込み・クイックターンができない、、、
選手コースってなんですか?という人に説明すると、一言で言えば、「大会に出て、いい記録を出す」というのが、目標のコースなのです。そのために必要なのは、飛び込みでした。スタートの時に飛び込みをするのですが、どうしても落ちるようにスタートしてしまうのです、、、
イメージするとしたら、プールの水が割れるような音をしながら飛び込むのです、、これが3年くらい続きました。笑
それにみかねた当時のコーチからは、「飛び込みがない背泳ぎをメインにしなさい」と言われてしまいました。
そして初めての大会出場。50mクロールと50m背泳ぎに出場しました。
まぁタイムとかは、よくなかったのですが、初めてにしては頑張ったような気がします。
そして、そこからまた練習が再開されたのですが、次の課題が見つかりました。それは、クイックターンができないことです。
こういう形でするのですが、まぁ回れないこと。まず陸上部で前回りができるのかという話になり、やってみると不恰好だったんですよ、、、。なのですぐマット運動をやることに。(後々話を聞くと、前代未聞だったみたいで、、、笑)
と言いながら、身体だけは大きかった自分は、体力だけはあり、50mの競技もそこそこに、100mや200mの競技を小3からやり始めたのです。10歳の子が200mに出るなどほぼなかったため、自分で言うのもアレですが、そこそこ無双していました。北海道のブロック大会に出たり、大会新記録を出したり、、、。
2.毎日涙の日々
話は小5に飛びます。そのときに、場所が変わり京都に住み始めます。そこでは、全国大会に毎回5人程度出る選手コースに放り込まれます。コーチが2人いて、完全に実力で見たら下のチームだったのですが、何が理由なのか上のチームの最後に放り込まれました。まぁ、足を引っ張る存在ですね。完全に。今までとは桁違いに泳ぎこみ、最初はついていける練習の方が少なかったですね。へとへとで帰ってから何もできなかったような気がします。そして、怒られっぱなしで、一番ひどいときには泳ぐことすら許されない日々が続きました。そこから、「練習は常に全力に行うのが当たり前。」というのが、染みつきました。それを続けていくことで、少しずつ練習にも追いつくようになり、指導をしてくれることが少しずつ増えてきました。まぁ、飛び込みは相変わらず苦手でしたが、、、。
ですが、京都時代の厳しい練習もあって、長く水泳を続けたいと思ったし、練習への取り組み方が変わり、頑張ろうと思いました。そのときには、100m,200mに大会に出ることがほとんどでした。ずっと瞬発力がなく50mなんて、たまに出るくらいでした。
3.人生の転機
中学生になりました。かわちゃんは、熊本に住みます。そして、また場所が変わり、コーチの方針がまた変わります。今まで100や200ばっかりだったのを400にしてみないかと言われたのです。そのときの自分は、200のクロールでは太刀打ちできない状態でした。200の個人メドレーと何かもう1種目で大会に出る機会が多かったので、いい機会だと思って、出てみました。そしたら、最初にしてはそこそこだったみたいです。
さあ、文字ばかり並べられると嫌になりますね。今回はここら辺にしときましょう。
次は、中高の水泳人生と大学生になったかわちゃんは、どうしていくのでしょうか。
楽しみにしててくれるとありがたいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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