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中津川 昴の「超常現象」日記

「見えない物が見えてた頃」

 皆さん、こんばんわ。子供の頃から超常現象遭遇体験の多い中津川が通ります。僕の生まれは岩手県と青森県の県境に近い、二戸市という雪深い田舎町に生を受けまして、風光明媚な森や川、牛や馬が闊歩する田舎道がごく普通の地方でした。記憶にあるのは、7, 8歳頃には引っ越しをして、県南の父方の実家近くに移り住んだ頃からですが、ごく一般的には見えない物、聞こえない物を見たり聞いたりしていましたから、それはごく普通の事の様に思っていました。

 家の周りは田んぼで、父方の祖父が田畑を耕作し、稲を育てつつ、電気工事業などを垣間見た時代でした。よく屋根裏の少女と話をしたり、時折訪ねてくる叔母の話を聞いたり、母方の祖父母と温泉に行ったりしていました。


「時はUFOブーム!!」

 小学生になった頃、世の中は丁度UFOブームで、家に帰れば6時台のNHKでは子供向け情報番組で、時折、UFOやネッシー、マンモスや恐竜、学校の怪談話で湧いていました。怖い話は大好きですが、怖い目にあうのは大の苦手でした。学校から帰ると、兄弟や母と連れ立って、鉄道脇の森や林に行っては虫を取ったりその季節の食べられる野草を集めたりしていましたから、今でも機会があれば、野草を集めて鑑賞したり、料理に使ったりしています。

 小学生の高学年になる頃、父の転勤で、県央に引っ越して、もっと田舎の学校に転校しましたが、そこでの約4年間は子供心には忘れられない日々の始まりでもありました。両親ともに教育者だったので、当時から教育には熱心なあまり、厳しいしつけと学校でも家でも勉強していた記憶があります。中学二年の頃、母が癌を患い、入院が決まってからは、台所に立って、父の代わりに調理を始め、弟たちの面倒も見ていました。中学では始めの年に陸上部に入っていましたが、色々あって、科学部(帰宅部)に転向しています。自宅では望遠鏡を自作などして、友人と星ばかり見始め、カメラの撮影ばかりしていました。


「クラブ活動でオリジナリティーを発揮」

 文化部でしたが、北上山系の鍾乳洞探検、昆虫採集、微生物観察、化学実験などありとあらゆる理科の実体験や野外実習などを行っていました。理科の教師とは家が隣近所でしたので、ほぼ毎日化石の話に湧いていました。それから友人たちと泥だらけになりながら洞窟の中を匍匐前進していた思い出があります。中学を出ると、再び転勤の為、一時期、県南の町に住み、工業高校で3年ほど化学を勉強していました。

 どちらかと言うと、北上川沿いの半導体工場なんかに集団就職してしまう世代だったので、生徒会などでの活動や課程で常に一番を張り通した結果か、大学に推薦応募したのは僕が最初だったのですが、運よく新潟の理工系の大学に入れた訳です。


「オカルト雑誌で目覚める!!」

 高校時代にできた友人に借りたオカルト雑誌の影響で、理学、工学に加えて、精神分野や超自然・超科学、超古代文明、陰謀論、異星人、幽霊、超能力、永久機関の発明などに目覚めて行ったのです。もちろん大学ではこの手の話は、一切されていなかったのですが、趣味の世界で繋がっていた時代でした。

この続きはまたどこかで。僕がアカシック・レコード・リーダーや超常現象研究家になっていくその土壌が形成されていた前半生と行ったところでしょうか。

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