ルワンダ中央銀行総裁日記を読んで学びになったもの箇条書き
1965年日本銀行の日本人がオランダ人の初代総裁(着任後すぐ病気になって何もやってない)のピンチヒッターとしてルワンダの中央銀行2代目総裁になる(ルワンダは1962年独立)
独立前はベルギー領コンゴの一部として財政は何とかなってたが目立った産業がないままコンゴに独立されてしまって、赤字続きの状態になってしまっていた
ベルギーは旧植民地だったからという義理だけで援助していて援助に熱意がなかった
アメリカも援助していたが、援助の理由は資源の多いコンゴが国内内乱を始めてしまい、コンゴ国外に安全地帯が欲しいからという理由で援助をしていたが、それ以外に魅力はなかった
総裁お付きの運転手は副総裁の甥でガソリン代ちょろまかすヤツだった
副総裁は銀行について全然喋れないくらい銀行の知識がなくひどかった
金融政策についての議事録がいっさいなく、昇給や建築の話、総裁・理事どっちが上かという不毛な議論は毎回やってた
中央銀行の職員なのに気の向いたときしか仕事しない人間しかいなかった
外国人の方が税金が安く、ルワンダ人から税金をとってた
総裁が当時の大統領にどんなルワンダの将来を理想としているかきいたところ、ルワンダ人の福祉が第一だときくことができ、それをもとに中央銀行のありかたを決めることができた
大統領と総裁が腹を割った話ができたから、どういう行動をどういう過程でとっていくか大統領が決心することができた
隣国のブルンジの中央銀行は立派で、行員もベルギー領時代の中央銀行行員がそのまま流れてきていてしっかりしていた
中央銀行内や議会ではヨーロッパ人の提案に従順になるだけの形式的な役職を持ったアフリカ人ばかりだった
ブルンジは首都だけ立派でその立派な首都を維持するためにその他の地域の国民を搾取しているようにみえた
これまでなかった人事評価テストでの免職昇給昇進の基準をさだめ、遅刻無断外出などしにくいシステムにし、外国人顧問による教育訓練を週4回行うなどに大幅に環境を変えた
列強国の間では資金の貸し借りを融通してくれるがルワンダのような小国には簡単に資金援助をしてくれないことを痛感した
ルワンダには民間銀行が外国人経営のルワンダ商業銀行一行しかなく自由通貨相場を独占操作していたので、市場の景気で相場が動いているのではなく商業銀行の利益がでるように相場を操作していた
ベルギーで政治力がありルワンダ商業銀行の共同出資元のひとつの銀行であるランベール銀行と服部ルワンダ中央銀行総裁が、ルワンダ商業銀行の相場操作について直接会ってバトった
民間銀行がルワンダ商業銀行一行だけだと、商業銀行に政府の人間がお金を貸してと言ってきたら断りにくく政府の人間を優遇することになる
最大輸出品のコーヒーの出荷に備えてある準備金が、コーヒーを出荷しない8ヶ月もの期間商業銀行に留保状態になってしまうのは勿体無いので、国債を受け入れることによって準備金を使わずとも国債を使って民間企業に融資をし、その融資から利益を得られる状態にして、商業銀行が自由通貨相場を操作して利益を得ようとする感情をなくしたい
ランベール銀行総裁は中央銀行が商業銀行に規制する権限があると認めつつも、ルワンダ商業銀行を閉める自由もこっちにはあるんだぞと捨て台詞を吐くくらいにはヒートアップしたものになったが、服部総裁の勝ちのような雰囲気でやりとりは終わった
この件で唯一の商業銀行が無くなっても中央銀行が商業銀行を兼営できるとは思っていたが、途上国においては先進国のやり方に耐え続けることで発展するのかもしれないと思い、日本人がでしゃばるべきじゃなかったのではと少し反省した
途上国における欧州人の傲慢な態度は他の国でもありそうだからアフリカは成長が遅いのかもしれない
緊急取締役会議ではルワンダ商業銀行の理事以外全員白人で、唯一のルワンダ人理事も銀行業務のことはぜんぜんわからず白人のいうことに頷くだけのイエスマンだったので終始白人ペースで物事が決まっていった
服部総裁は中央銀行が民間銀行に対する規制ができる権限があるにも関わらず、取締役会にわざわざ出席し協定という形で交渉しにきたのは中央銀行と民間銀行の間に信頼関係がないと国の財政は最良にならないと思っていると伝えた上で、自分はどういう目的があってどうしたいか話した
ルワンダ商業銀行の共同出資銀行のバンク・オブ・アメリカ、コメルツバンク、バンクナショナルドパリのお偉いさんは服部総裁の提案に納得した。特にバンク・オブ・アメリカの副頭取は今後こちらからもルワンダ中央銀行に相談をして一心同体でルワンダを建て直したいと言葉を発した
ルワンダ商業銀行は、コンゴの内乱の影響でルワンダにも戦禍が及んだがゆえに元々あったベルギー系の銀行がなくなってしまったところ、ルワンダ蔵相がランベール銀行にお願いして設立したから、ランベール銀行はルワンダに貸しがあるとおもってデカい顔をしていた
この取締役会後、商業銀行は中央銀行に積極的に協力するようになった
他のアフリカの途上国で国際通貨基金がどの国にもおんなじ様な資金援助をしていたが失敗続きだったので、国際通貨基金はアフリカのそれぞれの国の実情を知らずに援助しているのではと思った
ルワンダ人の農林相が米を植えて国民の食を豊かにしようと提案しているのに、外国人顧問は自分のことしか考えていないので綿花を植えて外国に売れるようにしろと言ってくる。
外国人顧問はルワンダ国外に目を向けて動いていて、ルワンダ人の大臣はルワンダ国民に目を向けて動いているので、立場の強い外国人顧問の言うことを聞いてしまってルワンダは中から成長することができなくなってしまっていた
税金の歳入の内訳がルワンダ人から78%、工業をやってる外国人からは20%しかとってない外国人優遇の税制であった
輸入商人も外国人が独占していて輸入品に対して割高でルワンダ人に売ってた
総裁が直接ルワンダ人に聞いたところ、ルワンダ人にも商人魂があるとわかり、外国人商人だけが大きい商売をするのではなくルワンダ人商人にも大きい商売ができるよう戦略を立てることにした
植民地時代に強制的にコーヒーの樹を植えさせたせいで農民はコーヒーばかり作らされ、他の農産物が手に入りづらい状況だったが、コーヒーの生産価格の水準を定めたことで農民に自分の土地はコーヒー栽培に適しているか判断する水準を与えたことによって、適してないと判断した農民が他の農作物を作るよう誘導した
途上国の人民は確定申告という難しいことはできないので、累進課税ではなく間接税中心に税収を取ることにした
ルワンダのように経済再建計画を自国で考案し提出して資金援助を要請してきた国がアフリカでは稀だったので資金援助要請された通貨基金は戸惑っていた
ワシントンに出張することが多い→色んな国の偉い人が定期的に国の偉い人はワシントンに集まっているんだなー
ルワンダ人を自作自農の自活生活から余剰農産物を作る意欲を上げ商売をする生活に持って来させたい
昔は色んな種類の鍬があったが、農具販売を独占していた輸入商人が手間省きのため1種類の鍬しか輸入しなくなり農具のバリエーションはなくなった。しかもその口実でルワンダ人はこれしか使おうとしないとルワンダ人のせいにして汚ねぇ商売してた
ルワンダ内の商売ルート→ 輸入商→卸(アラブインド)→小売(アラブインド)
外国人商人の間でもヨーロッパ人インド人アラブ人で鍔迫り合いがあって、ヨーロッパ人が有色人種をバカにしてきた歴史があったが、服部総裁の通貨改革宣言でそういう機運が薄まってアジア人側は総裁に協力的になった
自活経済の弱点は稼ぎが広がらない以外に天災に弱いことがあげられる
ルワンダ商業銀行の資金貸出先はほとんどが外国人商人で、これから増えるルワンダ人商人に資金貸し出しするのは否定的でありそうな気がしていた。ルワンダ商業銀行は服部総裁にはその場しのぎ的に協力するが、退任後はルワンダ人に協力する感じではなさそうだった
通貨改革を実施しようと思い、前段階として為替取引やルワンダ税関を止めたにもかかわらず、通貨基金が理事会で忙しいからという理由で資金援助開始を2回も延期した
貧乏な新興国に関する事業は、通貨基金が忙しい時は事業開始を後回しにする傾向があることが露呈した
服部総裁はアメリカの大使に直接抗議し、通貨基金から開始の返事をもらうことができた→直接文句言わないと動かない
植民地時代からの複雑な制度を廃止し、働けば稼げるという簡単な制度にするために通貨改革をした
赴任してから中央銀行の中を固め、ルワンダ大統領を固め、ルワンダ民間銀行を固め、民間銀行の親会社を固め、ルワンダ内の商人を固め、ルワンダ内閣を固め、ルワンダ国会を固め、と説得力のある説明で段階的に味方を増やしていった
通貨改革で商品が専売から自由商売になり、ヨーロッパ人だけ売ってたものがインド人始め全員仕入れて売ることができるようになると、今まで30フランで売ってた原価18フランのものが価格競争で徐々に値引き合戦になり、最終的にインド商人は原価18フランのものを16フランで売るまで価格競争が激化した(インド人商人は16フランまで値下げる間に充分儲けたから在庫的にもう満足できるまで稼げたが、ヨーロッパ人はインド人より在庫が多く持っていたから原価で売らなければいけない量が多くなり結果的にヨーロッパ人の損失の方が大きくなった→インド人商人は日頃から白人商人をよく思っていなかったので気が晴れた)
外国人商人との食事でルワンダ人が商売の才能がないから通貨改革はルワンダ人にとって死刑宣告のようなものだと言われたが、2年後、ルワンダ人商人との取引は10倍増え、参加していた外国人商人の4分の3はルワンダから撤退していたざまぁ→服部総裁的にはいち早く外国人商人を廃したかったが、ルワンダ人商人が育つまでは物資のやりとりをして欲しかったから敢えて外国人商人が商売を続けられる環境を残していた
ルワンダが今アフリカでも発展している方なのは通貨改革のおかげかも
そんな中、昔コンゴ動乱の影響でルワンダ内の銀行支店を閉鎖した銀行がまたルワンダに銀行を作りたいと申し出てそれを承認、キガリ銀行が誕生(取締役はルワンダ人)
1968年政府55%出資でルワンダ開発銀行が設立し、経済開発における金融の土台が完成した
援助以外の外資獲得の3分の2がコーヒーで、農民の所得の3ぶんの2がコーヒーからのものであったルワンダのコーヒー局理事に服部総裁は任命された
コーヒー局の中にコーヒーについて詳しい人がいなかった
コーヒー局議会 議長(農林大臣)、副議長(商工大臣)
この議会で服部総裁はフランス語ができず白人から疎まれ、コーヒー工場を4つ持っているインド人商人と近づくことができた
白人経営の商社と提携したインド人経営の工場は、利益の多いところだけ白人商社に持ってかれて危険なことは工場にやらせるスタンスが気に入らず、コーヒーの品質や量に関する調査ができないことを逆手に取り過小報告をしてごまかしていた
ルワンダ農民が作っている農業品で輸出品とされたものはコーヒーしかないようなものだったが、政府で様々な農業品の最低価格を設定したりして、農民に扱う農産物の選択肢を増やせるようにし、米、砂糖、小麦、落花生、野菜の生産が輸出品として扱われるくらいに成長した
赴任前は庶民の市場にはわずかな品目の食べ物しかなかったが、改革後市場規模は5倍くらい膨れ、肉や魚が露天市場にでるような種類豊富な食生活を庶民が送れるようになった
通貨改革後1年は、自発的にルワンダ人商人に行動してもらい、ルワンダ人は怠惰だと外国人商人に信じられてる間はルワンダ人に有利すぎる政策を出すのはやめた
ルワンダの生活はルワンダ人が1番わかっているので、ルワンダ人商人の方が儲けるようになってきた
資金力的に貯蔵する倉庫と運送するトラックが外国人商人にしか持てなかったことで、ルワンダ人商人は食料商売には手を出せなかったので、ルワンダ倉庫株式会社をつくった
輸入トラックが外国人商人のせいでバカ高かったので、ルワンダ人の会社にトラックを輸入販売できるようにしてルワンダ人商人が運送能力を持ったら急速にルワンダ人商人の商業力が上がり、1番の儲けがしらのコーヒー集荷もルワンダ人商人が全体の3分の1を占めるようになった
外国人は自家用車を持っていたがルワンダ人は週2回のバス便しか遠くへ行く手段がなかった
刺激や国としての一体感を上げるには交通や通信が国に広がっていないといけない
バス公社を開発銀行がやることになった
今まであったバスは外国人商人がオンボロのマジルスバスを高い値段で売っていた惨憺たる状態
これを日産のディーゼル車20台で運用することにした
これと時間通りの定期運行のおかげで乗客は飛躍的に伸び結局さらに20台追加発注することになった
ルワンダで優秀な学生は大学からヨーロッパに留学をすることができ、食事も宿舎も政府持ちかつ毎月官僚レベルの小遣いがもらえるほど優遇されているが、ささいなことで学問をせずストライキをするようになってしまいルワンダの税金を無駄にするヤツが多かった→こういうやつがルワンダの特権階級に後々就くのでそりゃ良い国になるわけない
欧米の国では若者が兵役のかわりに途上国で技術援助をすることができ、それでルワンダにやってきたものが多かったが、社会経験がないので理想主義的で現実が見えず、外国人商人の手玉にとられ汚職するようになり、何の技術の援助をしてくれないのでなかなか国の発展に繋がらなかった
ベルギーは旧宗主国だった義務感で限られた予算から技術援助員を送らなければならなかったので、俸給が芳しくない技術援助員がたくさん送られてきた
ベルギーでポンコツなやつがルワンダの要職についているので、何もできないのにルワンダ人は怠惰だから俺がいないと潰れるという戯言だけは欠かさず言って回ってた。それに対してルワンダ人は植民地時代の名残りで白人には従うものという感情があるので打破せずにいた→白人でも黒人でもない、支配されたことのない日本人だからこそこの状態でを打破できたのでは
独立から蔵相をやっていた有能なルワンダ人がいたが、服部総裁主導の通貨改革の成功をみて蔵相としての自信が薄れてしまった。政治家は自信がなくなると終わってしまう
国内の物価安定(国民と国内銀行)と国外との貿易(海外の企業、海外の商人)と国外からの援助(IMFのような世界機関)を調整して、国が経済的に安定して機能するようにするのが中央銀行の役割
自分たちの潜在的な国力以上に発展することを望まないのであれば中央銀行はいらないが、外国とのやりとりをして潜在的な国力以上に発展したいのであれば経済的な中間役(銀行、商人、国際機関など)の中間役である中央銀行が不可欠
ただ単に経済を発展させたのではなく、外国人主体だったルワンダ経済をルワンダ人で回せるようになったことが重要
下級層の生活が見すぼらしくなくなっていることが重要
他のアフリカ途上国では首都の商業施設などの不動産は大体外国人のものだがルワンダは半数以上がルワンダ人のもの
始めはルワンダ勤務は5ヶ月の予定だったが、通貨改革実行を決意し落ち着くまではということで契約更新したり大統領にまだいてくれと頼まれたりで最終的に6年いることになった
ルワンダ人がルワンダ中央銀行総裁になるのが相応しいとおもっていて、ルワンダ人の政党の綱領が自分が作った経済再建計画の内容と似ていたことをみて、ルワンダ人が経済の発展の仕方を会得したと感じ、ルワンダを去ることをきめた
いつでも疑心暗鬼の心を忘れずにルワンダで生活していたが、中央銀行の同僚はもちろん、大統領を始めとした政府、商人、村長から惜別の言葉や民芸品を受け取り、いかに愛されていたか知ることになる
ルワンダに来た外国人もみんながみんなポンコツではなく、中央銀行で一緒に働いた外国人顧問は実に良い働きをしてくれた(2名除く)
水需要に水道局が耐えられず断水したり、水にダニが浮いてたり、濾過されてない赤い水が出たりで途上国生活は日本のように生活できない
それを対処するのは妻であり、そういったことや腹を割って話せる友達が出来づらいことに耐えられなくなった妻が夫に腹いせしたりすることが駐在員生活にはよくあるので、服部総裁はそうならなかったのは有り難かった
戦に勝つには兵の強さが重要、戦に負けるのは将の弱さが要因→ルワンダ人の潜在能力を引き出す環境をつくり、実際引き出せたことが発展に繋がった。それまではルワンダにおける要職に就いていた外国人が弱かったため発展できなかった
服部総裁がいた時期の経済推移 数字が上がっていることがわかる
↓
ルワンダを去って20年余りでルワンダ動乱が起こった
それまでに何回かルワンダを訪問したり、ルワンダ政府の人間と会って話をしていたから、ルワンダがアフリカ最貧国から経済再建のロールモデル国の中堅国家になったことを知り驚いていた
ルワンダ動乱で難民が度を超えて一地方に集まってしまうと生活環境が劣悪になり飢餓やコレラや赤痢などに罹ってしまうリスクが上がってしまう
ツチ族フツ族が仲良く暮らしていたところに列強が支配しに来て植民地時代はツチ族が優遇されフツ族は迫害されていた。
その後独立気運が上がった際、多数派のフツ族が逆にツチ族を迫害し、一部ツチ族が国外に亡命した。しかし服部総裁在任中は中央銀行内にツチ族がいたし、あまりわだかまりを感じることはなかった。亡命ツチ族がたまに小規模で侵入してきたりはした
ツチ族は少数がゆえフツ族支配による恐怖からフツ族を虐殺し、フツ族は長年の迫害や虐殺への復讐心からツチ族を虐殺する泥沼状態だったが、当時アメリカなど海外メディアは両成敗の態度ではなくツチ族に同情気味で公正さを欠いていた、フツ族政府の陰謀でツチ族が殺されていると報道したりしてた、フツ族民衆がツチ族殺した武具は農具ばかりだったので政府主導ではなかったであろうに
亡命ツチ族がルワンダの発展をみて、発展した国家を武力で乗っ取ろうと、亡命先のウガンダと協力して、フツ族が過去にツチ族にしてきたことを正当理由としてルワンダに侵略してきた?
大統領が清廉でも大統領周りが権力を誇示して私欲を尽くしてしまい、それに対して国民が批判運動を起こし大統領が引責で辞任というパターンがあってしまう
平和、平和と一国で祈っていても平和はこない
ルワンダ中央銀行総裁の後は世界銀行に転職し、アフリカ周りの職を歴任し最終的に副総裁となった30年以上途上国周りの仕事をした
9割が農民だった時代はみんな等しく貧乏だったが、発展するにつれ中産階級、都市居住者と農民の間に格差ができてきてしまう
アフリカは独立準備が不足していたので外国人中心に国を回していたが、東アジア諸国は現地人が中心に立って先進国の援助を使って回していたから、国に合った政策が早めにできたことで発展することができた
また、輸出できる品物、しかも農産物のような利益率が低いものを生産することに重きを置きすぎて、国内の食料や物資、道路設備が不足し国民の働く気力が低くなり、自活経済でいっかと農民がなってしまったことが要因の一つとして考えられる
物事が進まなかった1番の原因は資金や技術を援助するときに人種偏見と蔑視を持つことである。アフリカ人がすぐに理解できないとアフリカは遅れているからで片付け自分でやろうとするのは、発展の妨げになる→日本人には欧米人に理解されなかった経験があるからアフリカ人に対する偏見に共感することができる
これを肯定すれば何事も説明できるが、アフリカ人と理性的な会話ができなくなり発展の可能性を潰れてしまう
感想
日本人がアフリカの貧困国の経済を根本から改革した事実にただただ感動した本だった。
何かあればすぐヨーロッパではこうだ、アメリカではこうだと言う人間が多いが、欧米人はなんだかんだで白人が1番身分が高いと考えている人間が多いよなと思っていたことをより確信させる本だった。
非白人の先進国出身だったからこそできた改革だなと思い、やはりこう言うところにこそ今後日本人が活躍できるところなのではないかと感じざるを得なかった。
とても誇らしい。
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