三菱UFJ信託銀行信託博物館に行って学んだこと箇条書き
場所
〒100-8212 東京都千代田区丸の内1-4-6 日本工業倶楽部会館1階
入館料金
無料
開館時間
10:00〜17:00
休館日
土・日・祝日
信託の歴史
古代エジプトやメソポタミア時代から財産相続の考えはあった(パピルスに遺言を書く、代理人に預けるなど)
古代ローマで制度がつくられた
日本では800年代、空海のころから信託的な発想があった
中世イギリス
十字軍の頃、戦いに向かう兵士が残された妻子のために財産(土地など)を受託(ユースよばれる仕組み)
「戦争に負けたら財産没収」という0か100か的なものを回避するため、土地を複数の友人に譲渡するなど活用された。
ユースの仕組みの広がりによって、土地が実質的に誰のものか見えにくくなり、争いが増えた。
14世紀末のイングランドでは長男以外財産を受け継げなかった。そこでユースを利用して娘や次男以降の子供に財産を受け継がせた。
1535年、ユースがあまりに広く活用され相続料などの上納金が激減し、ユース法が制定された。しかし、土地保有者に反発され、譲歩するかたちで法を定めたが、ユース法の適用を受けないユースが考案され増加した。
ユース法の適用されないユース
二重ユース
ユースの上にユースを重ねて設定することで重ねたユースにはユース法が適用されない
能動ユース
単に財産を預かるだけでなく、積極的に管理し、収益を上げ、受益者に支払うことでユース法の対象外にした。
17世紀に商業が発展すると、ユースの対象になる財産の数も増え、トラストというようになった
19世紀に今の信託法理の基本的な枠組みが完成した。
植民活動によりアメリカに信託文化がいく、独自に信託文化が発展
1822年に最初期の信託会社としてファーマーファイヤーインシュアランスアンドローンカンパニーができる→農民向けの保険、融資、信託業務の提供をする会社
鉄道敷設がブームになると、鉄道会社の社債発行などに信託が利用され法人利用が増えた
アメリカの産業革命により経済循環が激動すると、生き残ったロックフェラーやモルガンは巨大企業になった。そのため巨大企業による価格統一などに信託が利用され、反トラスト法が制定されることになった
南北戦争では兵士が財産を託す数が多くなったからか、信託会社の設立が相次いだ
日本の信託
1905年に信託が法制度として登場→日露戦争後の経済復興に向け、外資を呼び込むのが目的。
1927年三菱信託株式会社、川崎信託株式会社設立
戦後は財閥の商号使用が規制されたため、三菱信託は朝日信託、川崎信託は日本信託になり再出発。1952年の規制廃止により三菱信託にもどった。
信託会社は戦後の異常なインフレと証券関連業務の禁止により、銀行業務を兼務する信託銀行として再出発することになった
戦後復興により、年金制度を導入する企業が増え、1962年に適格退職年金制度、1966年に厚生年金基金制度が創設。
2000年に資産管理専門の信託銀行、日本マスタートラスト信託銀行が発足。
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