INAXライブミュージアムに行って学んだこと箇条書き
場所
愛知県常滑市奥栄町1-130
入館料金
大人700円、高校生大学生 500円、小中学生250円
開館時間
9:00 - 17:00
休館日
水曜日、年末年始
原土→土練→成形→乾燥→焼成で陶器つくられる
めっちゃ石炭使う
日本六古窯(やきものの街)の一つ、常滑
平安時代末が始まり
下水道管などに土管は必須の技術
良い粘土があり、石炭土管の輸送に便利だった常滑
日本最大の土管生産地だった
土管は直径30cmのもので重さ30kgにもなる
土管焼き
窯周りでの作業は最高1000℃にもなるので基本上裸
2日くらいかけて窯に土管を詰め込む
3,4日絶え間なく焼く
1週間から10日くらい冷やす
タイルの歴史
王や神の威厳の強化に、神殿やピラミッドつくりがおこなわれていたが、その中で単調な壁をより美しくするために、壁の装飾技術を開発した
メソポタミア地域ウルクにBC3500年くらいにはあった技術
タイルに光が当たると神の存在を感じさせる輝きが放たれるため、イスラムやキリストで使われてきた
イスラムは灼熱の暑さや砂漠など厳しい環境のため、神への信仰が人々の拠り所だった。そのためより神殿やモスクを装飾する魂が強く、タイル文化が発達した。
また、偶像崇拝禁止のため生まれたイスラム教の幾何学模様文化とタイル文化の相性もよかった
青のタイル
鉛ベースのものに酸化銅と炭酸ナトリウム混ぜるとトルコ石ブルーになる
イスラム圏に青のタイル装飾が多いのは、砂漠地帯では貴重な水を想起させるため、権威の象徴として機能できたから
スペインはイスラム教国撤退後もイスラム時代の名残で陶器文化が発達した
大航海時代にオランダはタイル文化を輸入し、神のためのタイルではなく人間のためにもタイル文化はあるのだと、人間の生活の中にもタイル装飾を取り入れるようになった
その後産業革命などでタイル作りが工業化でき、庶民の壁を美しくしたいという欲求に応えやすくなった
ヨーロッパの北方の寒冷地ではストーブを覆うためのタイル、ストーブタイルも作られてた
タイル文化の流れ
メソポタミア→エジプト→スペイン→イタリア→フランス→オランダ→イギリス
メソポタミア→中国→日本
シルクロードや大航海時代、英蘭戦争などでそれぞれの国のタイル文化の交流が発生した
床に強いタイル=象嵌→摩耗してもデザイン消えない
転写技術の進化で、より繊細な図柄のタイルが作れるようになった。
タイルに聖書の挿絵を描くことで教育ツールとしても機能した
日本の建築は木と水と紙でつくられ、装飾する文化は明治に入ってから培われた
中国、朝鮮から伝わった瓦文化は6世紀くらいからあった
1854年くらいまで日本の庶民は木製便器だったが、常滑や瀬戸で陶器便器が作られるようになった
木製は汚れが染み付き腐りやすいが、陶器製だと水拭きができ耐久性もあるため陶器便器が好まれるようになった
江戸時代後期、青と白の染付陶器ブーム
パリ万博に出品し、賞をもらったこともある
陶器便器の地 江戸後期、明治初期に作り始めたのが多い
名産地:
福岡県赤坂、滋賀県信楽、愛知県高浜、愛知県常滑、愛知県瀬戸、佐賀県有田、山形県平清水
日本の建築に陶器が本格的に使われ始めたのは、関東大震災で東京が焼け野原になったのがきっかけ
この時にこれからは建築陶器の時代だとタイルやテラコッタを生産する伊奈製陶(INAX)を設立した
テラコッタ建築が流行ったのは二次大戦前までで、大戦後も再流行することはなかった
1985年社名がINAXになる
2011年他4社とともにLIXILグループに
煉瓦造りの時代→テラコッタ建築の時代
主なテラコッタ建築
→商船三井ビル、大同生命ビル、神奈川県庁舎、日比谷公会堂、日本橋高島屋、国会議事堂、京成上野駅などいっぱい
焼き物の原料
粘土、陶石、長石、珪石
鉱山があるところに焼き物文化が生まれた
土は水を得て形となり火を通して焼き物になる
ろくろ成形、タタラ成形(手で押し伸ばして成形)、プレス成形(圧力で押し固める)、押し出し成形(ところてんのように)、鋳込み成形(型に流し込み成形)
施釉方法
筆塗り、浸しがけ、スプレー、幕かけ
焼き方
野焼き 1万年前
蛇窯 3000年前
連房式登り窯 16世紀
倒炎式角窯 明治初期
トンネル窯
ローラーハースキルン
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