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木材・合板博物館に行って学びになったこと

場所

〒136-0082 東京都江東区新木場1-7-22 新木場タワー3F・4F

開館時間

10:00~17:00(最終入館時間16:30)

入館料

無料

休館日

月曜日、火曜日、祝日、夏期休暇、年末年始

URL

木材・合板博物館 (woodmuseum.jp)

木陰に入ると涼しいのは日光を遮っている以外にも葉っぱから水分が蒸発するときに熱も奪っているから

森林が静かなのは樹木が騒音を吸収してるから

標高によって育つ植物が異なる

2200mを超えてくると森林がなくなってくる

日本の国土に対する森林率はフィンランドについで第2位(フィンランド、日本、スウェーデン、マレーシア、韓国が50%以上)

国土の68%が森林、このうちの4割が人工林

人工林は人の手によって森林を良好な状態に維持し、持続的に木材供給できるようにしている森林

人工林

植え付け→下刈り(雑草刈り)→ツル切り(巻きついたツル切る)→間伐(木を間引く、50年に3回ペース)→枝打ち(美しい太さの木にするために余分な枝を切る)→主伐(一定の長さに丸太切る)

森林→製材→出荷

花粉の少ないスギが開発されている

国産木材はスギ、ヒノキ

輸入してる木材はマツ科が大半

スギ、ヒノキはマツより耐朽性が高い

木の寿命

木の種類によって寿命が決まっていない

寿命に幅がある

環境で寿命が左右されまくる

人間並みの樹齢の木もあれば5000年以上の樹齢の木もある

木材加工品→切断してつくったり、チップ状にしたり削ったりしてくっつけたもの

合板→丸太を薄く剥いた皮を木目を接着剤を使って交互に重ねてつくったもの→水に強い、加工しやすい、割れにくい

木は加工しやすいから、今のように金属加工ができなかった時代は木の切り方で木同士を繋いで建築などしていた→日本はこの技術が得意(日本特有のものではない)

燃えにくい合板、虫に食われにくい合板、建設現場の足場用の合板など開発されている


接着剤の歴史

古墳時代〜江戸時代まで

漆、膠(にかわ)、でんぷん

にかわ→動物や魚の骨皮などから取りだしたタンパク質。硬いので弓鎧兜に使われた

でんぷん→米や小麦を接着剤代わりにつかった

明治時代

にかわを使って初めて合板が誕生

大正時代まではミルクや大豆から抽出されたタンパク質の接着剤が主流

昭和になって合成樹脂系の接着剤が工業生産されるようになった

接着剤は耐久性、耐水性、安全性、作業性、価格で構成される特性をみて選ぶと良い

接着剤によって合板の強度が変わるためどんな接着剤が使われているかはとても重要

耐久性が高いのはフェノール樹脂、レゾルシノール樹脂

フェノール樹脂精製には原油とLNGが必要

天然の原料でフェノール樹脂やレゾルシノール樹脂のような強力な接着剤ができると良い


合板の歴史

1894 シカゴ万博で農商務省の役人が合板を持ち帰った

1905 研究開始

1907 合板完成

1916 商社が合板用接着剤を初めて輸入


1603 材木商が日本橋、神田に定着。最初の木置き場に

1641 大火災で木置き場が消失。深川に移転(元木場)

1699 江戸の発展で再移転。(木場)

1982 今の場所に移転(新木場)

1891 鉄道網の整備により、全国から東京に幅広い種類の材木が集まるようになった

1897 機械製材が普及し、木挽き職人が少なくなっていった

戦争によって日本の人工林は疲弊し、その影響は今も及んでいる

80%以上あった木材自給率が戦争中に40%くらいまでに一気に下がった


展示・テキストともに豊富で楽しかった

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