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お笑い世代論〜ドリフから霜降り明星まで〜を読んでタメになったこと箇条書き

日本は外国と比べて人種、宗教、言語、所得が均質的なので、人と人の差異を世代で区切って語ると違いが分かりやすいから世代論が便利、よく利用されやすい

とりあげる各世代の芸人↓
第一世代 ドリフターズ、コント55号
第二世代 ビートたけし、明石家さんま
第三世代 とんねるず、ダウンタウン
第四世代 第五世代 ナインティナイン ロンドンブーツ1号2号
第六世代 キングコング、オリエンタルラジオ
第七世代 霜降り明星、EXIT

この本では芸人の生まれ年で世代を分ける
デビュー年、売れた年では分けていないが、生まれ年と売れた年でズレがでる一部の芸人については一般的な区分で採用
第一世代 団塊世代
第二世代 ポパイ世代
第三世代 新人類世代
第四世代 第五世代 団塊ジュニア世代
第六世代 さとり世代
第七世代 ポストさとり世代

テレビ地上波放送は1953年NHKが始めた
同じ年に日本テレビが放送開始し、バラエティ番組の基礎をきづいた
テレビ初期は映画ラジオに人気が負けていた
バラエティ番組はミュージカルやブロードウェイを下地に作られていたアメリカのテレビ番組を参考に作られていたので、歌ありコントありの内容だった
落語以外のお笑いは音楽を絡めたギャグから始まった
ドリフターズ→8時だよ(TBS)
アボットアンドコステロというアメリカのお笑いコンビが原点
戦後間も無くはアメリカの娯楽が人気だった

ドリフターズはいかりやがつくったバンドではない
オーナーが辞めて、人気お笑いバンドだったクレイジーキャッツが所属する渡辺プロダクションに入った
それまでのお笑いは同じネタを繰り返し舞台でみせるというのが普通であまり新しいネタはつくらなかった
舞台を見にくる客は毎回同じ客の可能性が低いからある程度同じネタをやり続けても大丈夫だが、テレビを見る客はチャンネル数も多く無料で見られるので同じネタを見る機会が増え飽きやすい
芸の質ではなく量で勝負したのがドリフターズ
舞台を見る客はお笑いに厳しいので深い芸が求められるが、テレビは普段舞台お笑いをみない大衆が見るものなので、浅いお笑い芸でも爆笑してもらえるから、量で勝負して新しいネタを見せ続ける方が長生きできた
8時だよは毎週公開生放送の新ネタばかりの1時間番組
ネタ作り会議がいかりやや志村けんに移っていった

コント55号は素人を巻き込んだアドリブ性、ドキュメンタリー性のある笑いを始めた
コント55号のネタはボケツッコミではなく、フリ、コナシの関係
フリが非常識な要求をして、常識人のコナシがそれをなんとかこなすのが面白いという笑いの取り方
ボケツッコミ→非常識を常識で訂正する笑い
フリコナシ→非常識で常識を追い詰める笑い
ビートたけしの世の中の矛盾を笑ったりする毒舌漫才が80年代に登場し、萩本の素人いじりは次第に牧歌的で退屈なものに思われるようになった
素人いじりは古臭いものになり、本音をぶつけ合ったりフリートークをする技術がものを言うようになっていったので、萩本の後のたけし、さんま、ダウンタウンは今も現役で活躍してるが萩本はこの時を境に凋落していった
第一世代だけが、テレビの世界に憧れを抱かずにテレビ業界に入り、舞台芸ではない新しい芸、テレビ芸の土台を作った

ビートたけしは団塊世代
団塊世代の特徴→同世代が多いので競争意識が強い、封建制と革新性の共存、戦争の呪縛からの解放、学生運動、自分の思想を持つことが大事
日本の歴史上1番多い世代が団塊世代
明石家さんまはシラケ世代
シラケ世代の特徴→人生は楽しむものという価値観、自分は自分他人は他人という価値観、無気力無関心無責任
反戦的なものより、日常を描く歌が流行った

たけしは明治大学理工学部出身
60年代に浅草は時代遅れの町になり、70年代に副都心が若者文化の中心になる
赤信号みんなで渡れば怖くないはビートたけしのネタ
1980年、THE MANZAIで漫才が関東でも若者文化になる
たけしは関西の漫才に対抗するため江戸っ子口調で漫才をした
おれたちひょうきん族で演者がディレクターに言われたことをやっていた時代から演者が演出をやったりするような時代になっていった
90年代から第三世代
たけし映画はお決まりがなく、悠長な場面がないまま人が死んでいくという現実的な殺しがおおい
タモリは漫画家や音楽家などの文化人のサロンからテレビに出てきた芸能人→たけしはそういう文化人を嫌っていた
たけしの師匠はギター弾いたりタップダンス踊れたり日本舞踊ができたりしていたので、それができない自分のことを芸人と呼ぶのはやましいのではと思っていた
団塊世代は戦前戦中の文化を完全には捨てずに文化継承を担おうとしている世代

さんまは落語家の弟子上がり ライブの前説で評判になってテレビ出るようになった
さんまは西の郷ひろみと呼ばれるくらいのアイドル芸人だった
ひょうきん族や笑っていいとも!でタモリやたけしのサポート役に徹していた
大竹しのぶとの結婚離婚でキャラが低迷した
恋のから騒ぎがひな壇トーク番組の先駆け
さんまは恋愛話をお笑いに絡めるのが得意
さんま世代は若い頃にテレビが普及したのでテレビがない時代から創成期成長期成熟期をフルで体感している最初で最後の世代なのでテレビが最高のメディアだと思ってる節がある
第二世代芸人は第一世代が発明したテレビ芸の型を作って発展させた
第二世代の作ったテレビ芸の型が今のテレビにも残っているから、第二世代芸人は今も現役感がある

1980年代、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン、清水みちこなどを指すお笑い第三世代という言葉が流行っていた ヒロミもこの世代
とんねるずはこの頃もう売れていたので、流行っていた時は第三世代に含まれていなかったが、今振り返ると第三世代に属していたと考えた方が筋が通っているように思える
この世代は養成所育ちで師匠がいない世代
この世代はお笑い芸人として、初めから芸人としてもアイドルとしても両立していた世代

ウッチャンナンチャンはシティ派と言われる、アートでオシャレで都会的なコントをやって人気になった
夢で逢えたらがウッチャンナンチャンの出世作
このころにはダチョウ倶楽部の芸のようなテレビの約束事を楽しめるくらい視聴者のテレビリテラシーが上がっていた
ダチョウ倶楽部はたけし軍団のリアクション芸を学んでいた
この世代は新人類世代と呼ばれる年齢層で、安保闘争を経験せず、どんどん日本が豊かになっているときに青春時代を過ごした為、今が楽しいのが大事で上下関係意識が低い世代

とんねるずは素人参加型のバラエティ番組でブレイクした
この世代は大学進学が当たり前になり、学歴をあまり気にしなくなっていたが、この世代の親世代は学歴信仰が根強かった
とんねるずMCのオールナイトフジがウケて女子大生ブームになり、そのブームを経て女子高生アイドルバラエティ夕焼けニャンニャンがスタート
とんねるずはお笑い芸人としてお笑い以外に歌手活動、役者活動も始めた先駆者
とんねるずのみなさんのおかげです、でしたはゴールデンタイムで30年続いた快挙な番組
今、石橋がYouTubeをやっているという現象は、素人出のタレントが一周回って素人としてコンテンツを提供するという原点回帰のような感じになっている
夕焼けニャンニャンやとんねるずの歌手活動などでとんねるずと秋元康の関係は深い
80年代は素人がいじられるのではなく、自らいじられに行く時代 そしてその素人の中からプロが成長する時代になった
とんねるずは高校で普通に部活をして、普通に就職していたので、若い時どっぷりお笑いに浸かっていなかったからコテコテのお笑い感がなくスタイリッシュな雰囲気があるお笑い芸人になれた
1960年代は公害意識が低く、排気ガスモクモクでゴミも散らかってるような日本だった→たぶん1964年東京オリンピックで意識が変わった??

NSC1期生のゲスト講師として、島田紳助、明石家さんま、オール巨人がきてダウンタウンを評価していた
ダウンタウンは関西ではお笑いコンテストを軒並み制覇して有名になったが、東京ではウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子がいる夢で逢えたらでブレイクした
ごっつええ感じは松本のオリジナルのお笑い作品を見せつけ、他のコント番組で主流だったパロディコントは断固拒否して番組作りをしていた
ガキの使いは元々ダウンタウンの漫才披露の番組だったが、漫才、コントの持ちネタが尽きてフリートーク披露の場にしたところこれがウケたという経緯がある
HEY!HEY!HEY!はそれまで半ばタブー視されていた芸人によるミュージシャンイジりを壊していった革新的な音楽番組だった
イジりがいのある個性的なミュージシャンに脚光が浴びるようになった
ミュージックステーションには出るがイジられるHEY!HEY!HEY!には出ないアーティストがいたとかいないとか
松本は武道館1人お笑いライブをやった唯一の芸人
松本は大喜利をお笑いのメジャー文化にした
すべらない話、笑ってはいけない、IPPONグランプリ、ドキュメンタルなどお笑いの新しいフォーマットを数々作っている
サブい、スベる、カブせる、イジる、どMなど松本発信で一般化した用語はたくさんある
ダウンタウンより前の世代は、伝統的に続いていた芸を習得することが叶わず落ちこぼれた経験を持っているので多かれ少なかれ、伝統的な芸に敬意の気持ちを持っているが、松本は芸の型が大事なのではなく笑えるか笑えないかが重要だと考えた
それまで勢いで笑いを取っていたお笑い界であったが、ダウンタウンはちゃんと言葉や発言が面白くて笑いを取っている芸風を取って成功したので、勢いの笑いよりも言葉の笑いの方がレベルが高いという認識がお笑い界、そして一般層に浸透した
松本は芸をする人より人を笑わせられる人が偉いという雰囲気を作った
笑いは伝統を引き継ぐやり方から、自由競争の時代になり弱肉強食の世界になった

ダウンタウン、とんねるずが頂点を極めた90年代、それまでNSC大阪ぐらいしかなかった芸人養成所が92年プロダクション人力舎のスクールJCAを皮切りに増え始めた
そんな中、ボキャブラブーム、電波少年ブーム、天然素材ブームの3つのお笑いブームが同時多発的に起こり、お笑い界が盛り上がった
タモリのボキャブラ天国がきっかけでたくさんの東京芸人が売れたボキャブラブーム
松本明子と松村邦洋が司会の電波少年は若手芸人を起用した過酷な企画で人気になった
雨上がり、FUJIWARA、バッファロー吾郎、チュッパチャップス、ナインティナイン、へびいちごの6組で吉本印天然素材というダンスユニットをつくり、東京でテレビ番組をスタートさせ、アイドル的な人気になった
芸人のアイドル化と並行してアイドルの芸人化が進み、その筆頭がSMAPだった
スマスマで初めてアイドルがコントをしたり、料理をしたりするのを見せて、それがウケたからジャニーズアイドルが積極的にバラエティ路線でテレビに出るようになった
ボキャブラ、電波少年の二つのブームは芸人の本業であるネタをしない番組だったので、アイドル的な短いブームで終わってしまった
ナイナイとロンブーはこの時代に主流だったスタッフ主導のバラエティ番組に上手く適応して早く出世することができ、めちゃイケ、ロンハーという伝説的なバラエティ番組を残すことができた
第四〜第六世代は70年生まれ〜88年生まれであり、団塊ジュニア世代と呼ばれる世代。人口が比較的多く、生存競争が激しく、バブル崩壊後の就職氷河期世代。上の世代のことを疑る性格がありがち世代

岡村は天然素材のセンターを務めることが多かった
とんねるずの番組出演をきっかけに、めちゃイケの前身番組とぶくすりに抜擢されスターになった
ひょうきん族ADの片岡飛鳥が総監督
お笑いと岡村の成長が見れる感動ドキュメンタリーが売り
芸人がテレビ芸をする時代からスタッフがテレビ芸をつくる時代にこのころになった→ビデオカメラの小型化でロケがしやすくなったり、編集作業のデジタル化でテロップを自由自在に入れられるようになったり画面内にフレームを増やすのが容易になったりして、技術が進化したことが要因の一つ
収録現場の雰囲気がダイレクトに視聴者に伝わるのがめちゃイケ前のテレビで、めちゃイケ後のテレビは収録現場が盛り上がっていなくても編集で盛り上がってるように見せられるテレビになった
第二世代第三世代芸人は芸人の力で名声を手に入れていたので、今でも力があり現役感があるが、第四世代はスタッフの力で名声を手に入れていた面があるため第三世代芸人よりも今は目立たなくなってきている
第三世代より前は、人前で泣いたり怒ったりカッコ悪いところ恥ずかしいところを見せない傾向があったが、スタッフ主導番組で人気になる第四世代は芸人の恥ずかしいところカッコ悪いところもさらけ出して人気を得ていっていた

ロンブーは吉本興業の銀座7丁目劇場オープン時に吉本に所属になった
社内の人間と仲良くなり所属5年でゴールデン冠番組を持った
ロンブーブレイクのきっかけはカップルの男側の依頼で彼女が浮気してないか部屋を捜査するという番組だった
ロンハーも恋愛系の企画が多く、ロンブーは恋愛絡みの企画を得意としている
ロンブーはコントや漫才をしなくてもテレビに出れることを証明した芸人(タレントといった方が的確かも)
ダウンタウンやとんねるずに憧れて芸人を目指したたくさんの第四世代第五世代の中で、90年代に若手でブレイクしてスターになった芸人はナイナイとロンブーのみで2000年代になってようやくアメトーークが始まったりして第四世代第五世代の芸人をテレビでよく見るようになった
第三世代はゴールデンに冠番組を持って天下を取ったような雰囲気だったが、第四第五世代は各々が共存し合う雰囲気だった

第六世代はネタ番組が売れるきっかけが多い
1999年のオンエアバトルを草分けに、M-1グランプリ、エンタの神様、レッドカーペット、あらびき団などネタ番組が続々誕生した
エンタの神様は元々は歌、ダンス、マジックなども披露していい番組だったが、お笑いの回の視聴率だけ高く、次第にお笑いネタ番組になった
純粋なネタ番組が増え、お笑い芸人の本業であるお笑いネタを披露できる場ができた。

キングコングはNSC在学中にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞受賞。在学中にビッグタイトルを取っているお笑い芸人は後にも先にもキングコングのみ
はねるのトびらは第六世代芸人が大々的に世に出た先駆け
2016年出版の絵本、えんとつ町のプペルは33人のイラストレーターとクリエイターの分業制で完成した本
第五世代から上はテレビと共に心中する覚悟を持って芸人をしてる感があるが、第六世代以降はそこまででもない
第六世代は芸人になった頃からテレビ業界バブルがなくなっていたので、今生き残っている第六世代芸人は一様にクレバーで逞しい。あの頃はよかったということを言わない、不遇を時代のせいにしていない

千鳥は自分の好きなことがテレビで出来ているから、自分の好きなことを存分にやれるYouTubeに参入していない。そのような状態でいる芸人は天下を取っていると言っても良い

2018年にお笑いの3つの大きなコンテストで20代の芸人が優勝し、宮下草薙や四千頭身が活躍し始め、そこにせいやが第七世代という言葉をラジオで発したことにより、とっつきやすさからブームになった
1990年に出生率が1.57になったり、ゆとり教育だったり、同世代間競争が少なかったりで第七世代はあまりガツガツしていない人が多い、インターネットネイティブがおおく、YouTuberを下に見てない
おぎやはぎがコンビ仲良い芸人の先駆け的存在
2001年に島田紳助が発案したM-1グランプリは、お笑いコンテストを感動モノにもできるようにした画期的な企画。それまではお笑いに感動を入れるのはタブー視されていた
第七世代は第二世代第三世代芸人が尖ってた頃を直接知らないから萎縮せずフラットに会話することができる
EXITの初出しはゴッドタン
第七世代は事務所にマネジメントされてるだけではなく、自分でもセルフプロデュースしてる人が多い
テレビの視聴率を測っているのはビデオリサーチ社という会社
視聴率はこれまで関東、関西、名古屋、北部九州の視聴率を計算していたが、2020年から範囲が広くなった
世帯視聴率の時代は高齢者向けが高視聴率の要素だったが、個人視聴率の時代になり、
年齢層を絞って番組を作って、年齢層にあった広告スポンサーをつけるという番組作りになっていった


感想
とんねるずがなんで芸能界で一目置かれているのか知らなかったけどわかることができた。
松本人志の影響力でかいなと思わずにはいられんですよね
技術とエンタメの結びつきは強いなと改めておもったね

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