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シルク博物館に行って学びになったこと箇条書き

住所: 〒231-0023
横浜市中区山下町1番地 シルクセンター2階
開館時間:  9:30 ~ 17:00
入場料:一般500円
休館日:月曜日、年末年始

中国で絹、インドで綿 絹が先
でもウールが先 メソポタミア
ウールが汚れたものだった

ズボンができたのはローマ時代
戦士が安全かつ快適に動けるようにズボンが発明
ユスティニアヌス時代に絹が本格化

14世紀にボタンが普及。それまでは都度縫ってた
中世ヨーロッパでは緑が恋愛出産結婚を表す。青が農民、赤が権力者1番高価
フランドル毛織物、イタリアで絹織物
身分関係なくオシャレができるようになったのはイタリアメディチ家時代
暗い色を着る考えは1600年くらいまでなかった

オランダは織物産業で発展
インドの着物が洗濯できていい→1600年くらいまでヨーロッパは洗濯してなかった??
インド、中国の雰囲気が流行
レース文化が流行したがレース輸入禁止によりリボン文化が発達

フランスで養蚕スタートは1600年代
パニエの着用が義務の時代があった

1800年くらいにパリコレ的なのが始まった
デパート開店と一緒の時期

印象派と北斎親和性
1900年に女性はコルセットから解放された
レーヨンナイロンポリエステル開発で蚕を育てなくてよくなった→ここ100年くらい前の最近の出来事
ジョームスディーンがTシャツとジーンズ流行らせた

弥生時代に中国から絹
古墳時代に天皇が勧めて広がる

鹿鳴館できて洋装スタイル流行

今までの博物館よりも江戸明治ありがとう感が薄い

平安時代に遣唐使がなくなったので国風文化が生まれた
中国感がめちゃなくなったポイント
甲冑とかうまれなかったかも
二股ズボンは弥生時代だからローマより先取りしてるやん

軸が化学繊維で表面は天然絹とかある
静電気が起きにくい
絹は化学的にも染まりやすい性質がある
絹はプリズムと構造が一緒だからキラキラする
蚕は幼虫の最終期に繭をつくる
蛾という生物は絹を作るから大事な生物

蚕には食べる口と糸を吐く口がある
絹から服作ろうは稲から米作ろうくらい変態が考えていそう

蚕は桑の葉がえさだから桑が大事
ネクタイ一本で140個の繭
着物一式で9000個の繭
蛾が生まれる前にしないと繭破っちゃうから出荷できない状態になっちゃう

製糸技術は日本が世界一
糸を作るときは蚕を殺している

横浜が栄えたのは1800年代
良い絹があったおかげで外国人がいっぱいきた1930年に日本は世界一の絹輸出国になる
シルクはタンパク質だから食べられる

群馬長野埼玉が絹の生産量トップだった
今は養蚕中止してる都道府県すらある
日本一は群馬県

蚕は家畜だから数え方は一頭二頭
糸を織るのは女性の仕事だった
アジアでシルクの90%くらいは作っていそう
いまは中国とインドでめちゃつくってる
50年前は全生産量の50%以上日本で作ってた
移民のおかげでブラジルでも作ってる


感想
養蚕産業が世界一位だったときがあったことに驚き
親世代は蚕を飼っている時代があったんだなと思った
蚕が蛹のまま熱せられて糸ができていることを知って、蚕産業も精肉産業と同じ感じなんだと学びになった
テキストも展示もボリュームがあってよかった
欲を言えば海外のシルク産業も日本のシルク産業くらい欲しかったな〜と

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