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財布を忘れたのち

 財布を忘れていたことに気が付いたのは出発してから一時間後、電車の中だった。そして今日という新しい日が始まったのもこの瞬間からだ。


 元々、今日は散髪をする気でいた。前回から一カ月ほど経っていたので今日が丁度いいと思い予約していた。いつも財布に会員カードとクレジットカードを入れており、それがあってはじめて私は髪を切ってもらうことができた。しかし今日は財布を忘れてしまった。現金も持ち合わせていない。つまり私はこの日、散髪とともに気分を切り替えることができないこととなった。予約時間をずらすことはかなわない。交通系ICさえあれば電車での移動は特に問題がない。その感覚のまま、つい現金を忘れて自宅を出てしまっていたのである。


 やってしまった。落胆とともに私は今日これから何をしようと決めあぐねていた。とりあえず美容院の最寄り駅から五つほど前の駅で電車を降りた。予約を取り消し、気分転換に自動販売機で缶コーヒーを買った。普段勤務している都内のビルで買うものと同じ、タリーズのブラックである。

 私は開き直った。ICが使えるということはつまり、裏を返せば交通費以外の消費がほとんどない。空腹はコンビニで何とかできる。以前からもう一度訪れたいと思っていた、心安らぐ場所に私は赴くことにした。神奈川県相模原市の北部、相模湖である。


 時刻は午後の一時を少し過ぎたあたりだった。そういえば、相模湖駅から先の方面には私は訪れたことがなかった。私は幼少期からずっと、山梨や長野の空気を肌で感じたことがなかった。齢二十にしてそれは恥ずかしいことだと思ったので、松本や甲府よりは比較的近い大月を目指すことにした。


 JR中央本線、大月駅は山梨県東部の大月市にある。地図でしかその位置を確認していなかったが、そこは周囲を山に囲まれた地域である。海もいいが、山岳地帯の立体的な景色は、大自然の重厚感を伴って鮮やかな色彩を放つ。九月の半ば、幾多の広葉樹林に覆われた県境の風景は、未だ夏らしさを見せていた。少しだけ開かれた車窓からは蝉の鳴き声が聞こえた。心なしか気温も少し高くなってきたように感じられた。都会の無機質なビル群にはない、迫力ある山々の生きた景色に私は見入っていた。気づけば開いていた本は閉じられ、車両の左右から流れてくる光景を一心に眺めていた。相模湖の景色は静であったが、車窓から見えるこの景色は動であった。高尾駅を出発してから三十分ほど、そのまま私は電車に揺られた。


 大月駅の構内は高尾のそれと雰囲気が似ていた。木材がところどころに使用されていた点にそれを見出したのかもしれない。全体的な色味が落ち着いていて、緩やかに時が流れていた。それは私にとって新鮮で非日常に感じられた。


 改札を出て駅前を見渡してから、目的地を決めずに私は歩き出した。大月には寂れた雰囲気はなく、人通りがほとんどないにもかかわらず新しさを備えていた。駅周辺は簡素ながら整っており、建物が並ぶ通りには清潔感があった。山間部に位置するこの場所では、周囲にそびえる山々を見渡せ、自然と人工のコントラストが確かに把握できた。少し高地に行けば、山も街もずっと先まで眺めることができた。都会ではビルに遮られて見えないであろう、大きな雲の形まではっきりと認識できた。都会のコンクリートジャングルは私のアイデンティティをうやむやにさせ息が詰まりそうになるが、ここではそのような状態には決して至らないと思われた。都内近郊でありながら、この地域は「何者でもない」自らの存在を確かに感じることができた。首都高を走る車を眺めつつ、コンビニで買った惣菜パンで私は腹を八分まで満たした。大月で何をするかは特に決めていなかったが、この街の風景や空気を味わえただけでこの時間に不満は生じなかった。私は駅に戻り、さっき通り過ぎた相模湖へ向かうことにした。


 湖畔には駅から十分も歩けば到着する。以前訪れたときから数カ月ぶりだった。その間に起きた日々のあらゆる出来事に整理をつけるべく、ここ相模湖で私は自分とじっくり向き合いたいと思っていた。人通りは大月とさして変わらないが、道路を行く車が少し多かったように思われた。下り坂を慎重に降りて、私は湖畔を目指した。


 時刻は午後四時を回っていた。相模湖公園に到着すると、その湖が周囲を山に囲まれていたことに気付く。生温い風は穏やかだった。波はなく、湖面の控えめなうねりは高層雲の隙間から漏れる陽光をきらきらと反射していた。やはりこの静の光景は、坂道続きで少し乱された私の呼吸をすぐに整えた。呼吸の安定は心を落ち着かせた。


 公園を一望できるその入口から階段を数段降りた。アスファルトで滑らかに舗装された道のわきには花壇があり、そのそばにはベンチが平行の規則をもって並んでいた。ベンチに座るやいなや私はこの日二本目の缶コーヒーを開けた。


 ベンチに座っていた時間、私は何をしていたか全く記憶がない。この山間部の水辺は私の思考を忘れさせ、感覚という精神的世界に浸らせた。気づけば日々の憂鬱は消え去っていた。自分の人としての仕事とか、組織人としてあるべき姿とか、そんなことはどうでもよくなっていた。私はただ、今自分が感じている世界、自分が育んできた感覚が切り取った世界を、分割不可能な単位にまで精神で咀嚼することに没頭していた。思考は除外され、原始的な直観だけが自分の存在を成立させた。これこそ、私が求めていた感覚だった。


 何もする必要がないとき、私は自分が「何者であるか」を問うてきた。このとき精神的な対話ができなければ、私に人として生きる価値はない。時代の副産物として、生死の境界が失われた人生を終えるのだろう。死んでいないだけの人生は、私が最も恐れるものである。しかしその入口を主観的に察知することは極めて困難である。だからこうして、誰の邪魔も入らない自然と向かい合って、内なる自分と対話をするのだ。


 相模湖を後にし、私は帰りの電車に乗った。ただ生活する場所か、資本主義の喜劇が演じられ続ける舞台か区別がつかなくなった、白黒の街東京へ戻る。いや、区別がつかなくなったのではない。判断を保留しているだけではないだろうか。その結論を出してしまえば自分が今ある生活を放棄することになるのだから。自分が生きたいがために、それにしがみつくしかないのだ。だから、自分の背骨となる正義や意志を、いつの間にか誰かに引っこ抜かれる。自分が生きる意味を問う余地すら残さないまま。

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