中根すあまの脳みその8
私事だが、演劇部の大会まであと10日を切った。
今週と来週と2週にわたって、演劇部で得た経験について書いていきたいと思う。
そもそも私は軽音部の幽霊部員で、高1でお笑いを始めてから学校に行く理由を見い出せずにいた。そんな高2の秋、なぜかたまたま演劇部の私の学年の部員が全員やめたからやらないかと誘われ、あれよあれよと入部するに至った訳だが、そのときに『人生何があるかわからんなあ』と心から思った記憶がある。それもそのはず、私は演劇部に対してだいぶ強めの偏見をもっていたからである。演劇部の活動というのは、関係のない人にとっては謎に包まれており、何を目指して何に取り組んでいるのかがよくわからない。『演劇』に対する一般の人の認識は『お遊戯会でやるような劇』で止まっている場合が多く、それを真剣に毎日毎日やっている演劇部員というのは異質の存在なのだ。だが、実際に入部してみるとその奥深さに驚かされた。なんとなくできると思っていた演技は、全然通用しなかった。セリフを喋るだけでは間が持たないのだ。動きを工夫したり、感情を表情で伝わるようにしたりと、様々な努力があってやっとひとつのセリフが完成する。それをすべてのセリフで行っていく作業は、時間も体力も気力もとても消費する。ほんの少しの要素でさえも、その劇に大きく関わっていくのだ。『そんなん言われたら、なんもできないじゃないか!!!』とキレそうになったことが多々ある。最も苦戦したのは表情だ。もともと人前で大きく感情をみせることに抵抗がある私はにとって、わかりやすく大きく顔を動かし表情をつくることは、思っていた以上に辛いことだった。でもね、これが、全然伝わらないんですよ、ちょっとやそっとじゃ。自分の演技を動画で見た時に、驚いた。自分ではこれ以上ないほどに頑張って考えて表情をつくっているつもりなのに、これっぽっちも伝わらない。この壁は今でも越えられない。
今回の大会で披露する劇では、脚本と演出を担当した。
これもまた、辛かった。まず、脚本の創作というのは『とくに意味を持たない会話』をいかにしておもしろく書くか、というところが難しかった。私が普段書いているネタや短編小説は終着点にたどり着くのに必要な要素を繋ぎ合わせて書いていただけだったのだが、1時間の劇というとそういうわけにもいかない。オチに関係のない、伏線になっていない場面でキャラクターを掘り下げ、お客さんを楽しませ、エモがらせる必要があるのだ。今回の脚本の第一稿を見ると、まずはとても短い。そして、目的に向かって一直線すぎて楽しむ隙がない。
それに気づいて改善するまでにまず時間がかかった。出来上がってからも、『これはそもそも脚本として成り立っているのか』という不安がいつまでもつきまとって、産みの苦しみというものを、はじめてはっきりと体感した。
出来上がった脚本に演出をつけるときになって始めて、演出家の仕事の多さを痛感した。こだわりたいことがあればあるほど自分の仕事が増えていく。役者の演技、音響、照明、大道具小道具、そして今回の作品はミュージカル作品(と言い張りたい)なので楽曲についても考えなければならなかった。稽古のスケジュールなども管理した。迷いに迷いながらも、日々成長していく作品の姿にわくわくすることが何度もあった。
なにもかもはじめてで腐ってしまうことばかりだったが、楽しいと思える時間なんて合計しても1時間満たないくらいだったが、この夏誰よりも有意義な経験をした自信がある。
だって、1時間の演劇作品を作り上げる経験なんて、よっぽど恵まれてないとできなくない?ということで、みなさんすいません、私めちゃくちゃいい経験させてもらいましたわ〜。へへへ。まあこんなことを言っている今日も上手くいってなくて半分やけなんですけどね。
とにかく最後までどうなるかわからない。毎日やることをやるしかないなって思う。
ただ、ひとつ言えるのは人生何があるかわからなくて、だいたい良い道につれてってくれるなってことです。
わたしの作った作品がより多くの人々の心に残ることを願って、明日も早起きして稽古に行きます。ひょえーーーーー。休みてえぇぇえ。
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