中根すあま

週に1回金曜日に『中根すあまの脳みそ』と、気が向いたら短編小説を投稿しています。以後お…

中根すあま

週に1回金曜日に『中根すあまの脳みそ』と、気が向いたら短編小説を投稿しています。以後お見知りおきを。

マガジン

  • 中根すあまの脳みそ

    中根すあまが考えたことや、気づいたことを徒然なるままに記録していきます。毎週金曜日に更新。読んでやってください。

  • すあまのたんぺん

    中根すあまがかいた短編小説たちです。

最近の記事

中根すあまの脳みその262

信じられないほど大きなぬいぐるみを抱えたサラリーマンに頭を抱える。 愛おしさの許容量を超えているのだ。 ゲームセンターのUFOキャッチャーで手に入れただろうそれは、殺伐としたホームの中でぽわんとそれだけが浮かんでいるようだ。 あたかも、抱えているのが巨大なぬいぐるみではないような顔をして平然と進んでいくその足取りに、ほんの少しだけ、高鳴る心を滲ませて。 女房子どもに託すのか、それとも己が癒されるために抱きしめるのか、どちらにしても幸せの予感しか感じさせない。 類似の愛おしさ

    • 中根すあまの脳みその261

      バイト先の店長が突如流した、MONGOL800の少年時代のカバーがやけに良くて、危うく泣いてしまうところだった。しかし、急に泣き出してはさすがに情緒を心配されてしまうので、こっそり唇を噛んだ。 数ヶ月前にバイト先が変わった。 私の文章を読んでくれている方には、私がしょっちゅうバイト先を変えていることがバレてしまっているだろう。 お察しの通り、私は同じ場所で長く働くことが苦手である。そして、そんな私が1年以上働き続けられた職場というのは高確率で環境が変わったり、そもそもなくな

      • 中根すあまの脳みその260

        京王線新宿駅3番ホームにあるトイレ。 さすが大都会。いつ立ち寄っても行列ができている。そこに並ぶ人々はみな冷静を装って、扉が開くのを待ち侘びている。 わたしもその中の一人になって、白い空間の中に佇む。 目の前に立ちはだかる人の壁が、ひとり、またひとりと少なくなって、視界が開けてくると、私はあることに気づく。 2列に連なった個室の中の、手前のひとつが空いているのだ。人々は皆、そこの存在を無視して他の部屋に入っていく。こんなに並んでいるのに。そこに入った方が、より早く列が短くなる

        • 中根すあまの脳みその259

          充電器を持ち運んでいると思い込んでいて、 その機械は手元にない。 思い込みはこの世でいちばん怖い。 なので、綴れる文字数に限りがある。 残された数字は3。 伝えたいのは、それでも尚、私のことを気にかけてくれる人々への感謝。私の選択がすべて間違いで、尚且つ、人に苦しみを与えるものだとしても、それでも、信じてくれる人々への感謝。 それだけである。 まだ、 3、残っている。  台風の名残り、普段より何倍も遅い電車はかたつむりの歩みのようで、それはまるで、わたしの歩みのようで。 家に

        中根すあまの脳みその262

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        • 中根すあまの脳みそ
          245本
        • すあまのたんぺん
          26本

        記事

          中根すあまの脳みその258

          なにか、大規模なコンサートの演出のようだ。 西武新宿駅に沿って歩く道、おあつらえ向きにつくられたちょっとのひさしで雨を凌ぐ。 差している傘が、まるで意味をなさない。 道が途切れたとき、どしどし降り注ぐ雨はまるで壁のように、目の前に立ち塞がっていた。 ここを超える勇気など、ない。 幸いなことに、帰り道。 急いで進む必要はない。 私は観念して、静かに白旗を上げ、その場に留まることにした。 ついさっき別れた友人が、この豪雨の被害を受けなかったことを若干恨みつつもわたしはその雨に魅

          中根すあまの脳みその258

          中根すあまの脳みその257

          名古屋から東京に帰る。 たった2日間の雲隠れであった。 しかし、頭の中はつねに、向き合うべき課題に向き合えていないことへの罪悪感。 これでは、たとえ、車で片道5時間の場所に移動したとしてもきっと、隠れていない。 雲隠れられていない。 選んだ手段は高速バス。 一文無しに新幹線なぞ贅沢すぎる。 炎天下の中待つ名古屋駅の裏側。 汗をふきふき、やっとの思いで乗り込んだバスは大変快適なものだった。 まず、涼しい。 そして、隣の席との自分の席とを隔てる頼もしい仕切り。座席の頭の部分に

          中根すあまの脳みその257

          中根すあまの脳みその256

          洗い物を減らすべく、家族で(庭)バーベキューをした時に使った紙皿に、オリーブオイルを垂らし、 油の池の中に黄色いキャップのガーリックを心做しか多めに、そしてその上にカチコチの冷凍うどんを、どん。はみ出ているが、気にしない。そしてレンジで4分。 紙皿でレンジは危ない。わかっている。然し、あらゆるレシピに書いてある”耐熱容器”の存在を信じずに23年、どうせプラでも紙でも燃えやせん。万一家が家事になったとして、生き延びる自信はある。故に、紙皿を使用。洗い物の方が面倒臭い。ズボラは時

          中根すあまの脳みその256

          中根すあまの脳みその255

          真面目に生きていたら終電に間に合わなかった。 じめじめむしむしの熱帯夜、3時間の時間をかけて徒歩で帰宅した、つい先日。23歳の誕生日のあの日の経験から気が大きくなっていた私は、このくらい歩いて帰ると息を巻く。 しかし、その覚悟は母親による、何がなんでもタクシーで帰ってきてくださいー!!というメッセージによって、宇宙の彼方に吹き飛ばされてしまった。 タクシーに乗り込む。 いつもと違う駅から乗るタクシーで、私の最寄駅、あまりにも知名度の低いその地名を告げるのは勇気がいる。 〇〇

          中根すあまの脳みその255

          中根すあまの脳みその254

          何億年ぶりの高熱にうなされて、腰が痛くなるまで寝込む。 辛うじて人間としての生活を取り戻したその日、私は、断末魔のような咳に悩まされていたた。 喘息のために幼児期のほとんどを小児科病棟で過ごしたといっても過言ではない(過言)私は、未だに息苦しくて眠れないことがあり、それを心配した母親が最近ゴリ推ししていたのが、飴でない、粉のタイプの龍角散である。 ”おじさんを飲み込んだよう”だと、その味を繰り返し形容する母親は、私にそれを飲ませたいのだか、飲ませたくないのだか、わからない。

          中根すあまの脳みその254

          中根すあまの脳みその253

          ひとつのプライドと言っていいだろう。 以前働いていた摩訶不思議な古着屋で手に入れた紫色のワンピースは、私にはサイズが小さい。いや、ぴったりすぎると言った方が良いかもしれない。あくまでも、着ることはできる。しかし、余裕がないのだ。 連なった、レトロなボタン。辛うじて留めることはできるのだが、どうにもこうにも無理やりだ。大きく息を吸うとパチンと微かな音を立てて、腹の最も膨らんだ部分に位置するボタンが外れる。 息をつくことも出来ない、スリルに溢れたワンピースなのだ。 それでも着続け

          中根すあまの脳みその253

          中根すあまの脳みその252

          私の母親は、かれこれもう何年も、某有名海外ドラマの虜である。生ける屍の総称、ゾンビと呼ばれるそれが現れては脳天を突かれ、現れては脳天を突かれてゆく、かの有名なドラマだ。 しかし、その実、作品の中で描かれるのは実はゾンビではない。ゾンビという存在を通して浮かび上がる、人間という生き物の本質を描いているのだ。 シーズン3でもはや、ゾンビなどどうでもよくなってくる。むしろ、ゾンビが邪魔になってくる。もう、ゾンビいいから、という気持ちになってくる。気づいた頃にはもう、長いシリーズの中

          中根すあまの脳みその252

          中根すあまの脳みその251

          23歳になる瞬間、私は最終電車に乗っていた。 主宰劇団の次の公演に出演予定の役者と、打ち合わせという名の宴が終わり、ギリギリのダッシュをキメて乗り込んだのだ。 ドア横に立ち、窓の外を眺めながら、23歳の最初にきこうと決めていた曲をきく。 さっそく送られてきたお祝いのメッセージに耐えきれず頬を綻ばせ、浮かれた調子で電車に揺られる。 ハッピーバースデー浮かれぽんち野郎は気づかない。電車が、乗り換えの駅を過ぎ去っていることに。 我に返ったときにはもう遅い。 まったく知らない空っぽ

          中根すあまの脳みその251

          中根すあまの脳みその250

          息を吸うこと。 ただ、それだけで全てが解決するような気がしている。 周りに目を向ければ向けるほど、時間は己のものではなくなり、通り過ぎる他人に奪い去られてしまう。 残ったのは、おどおどと立ち尽くす自分だけ。 息を吸うと、時間が自分のものになる。 自分のために流れる時間になる。 その状態を保つことができる人こそが強いのだと、そんなことを思う。 それを分かっていて、息なんて吸いたくないと思うこともある。 そんな簡単にこの憂鬱がなくなってしまったら、憂鬱に心を使っていた自分が馬鹿

          中根すあまの脳みその250

          中根すあまの脳みその249

          嫌いな映画を止めなければと思っていた。 前にも観たことのあるそれは、とてつもなく恐ろしく、私の日常を著しく乱すものであると、夢の中の私は知っている。 気ばかりが急くが、なにかもやのようなものを掴むだけで、どうにもうまくいかない。 そうしているうちに、映画は始まった。 やはり、夢の中では自分の意志など無力だ。 力無く項垂れるうちに、映画はその空間を支配し、私はその中にいた。 巨大なカタツムリの化け物の、 長いにょろにょろの先についた離れたふたつの目が、しっかりと私を捉える。

          中根すあまの脳みその249

          中根すあまの脳みその248

          忙しなく動いていた体と頭を少し落ち着けようと、道の途中にある、木の周りを囲う柵のようなところにもたれる。一息つくと、なにか蠢く気配がして、目線を送れば、見たことのない虫。東京にもいるんだ、見たことのない虫。 やたらぎらぎらした、でかいアリのようなその生き物をじっと見つめて、そっとその場から離れる。未知の生物は、怖い。 少し離れて、二息目の一息をつく。 視界に入った下まつ毛が、まるでさっきの虫のようで少しビビる。まつ毛だとわかって笑う、ひとりで。 ひとりでいる時間が好きだ。

          中根すあまの脳みその248

          中根すあまの脳みその247

          幼い頃、いちごが食べられなかった。 大人になった今でも、好んで食べることはないのだが。 いちごの味が苦手だとわかっていて、怯えながら口に運んだいちご味の飴が、本物のいちごとは違ったものに感じたとき、私は、架空の味、フィクションの味が存在することを知った。ソーダ味のアイスなんかもそうだ。あの味のソーダなんてない。あの味のソーダが飲みたいのに。得体の知れない歯痒さがある。 マスカット味が好きだった。 フルーツが食卓に並ぶことがあまりない家庭で育ったわたしは、しかし、本物のマスカッ

          中根すあまの脳みその247