「こんな生き方もあるんだって知ってもらえたら」フリーライターの小舟さんが得た新たな価値観とは
「しっかりしてるねって言われるけど、全然そんなことないんです」
そう言って恥ずかしそうに微笑むのは、フリーライターとして多方面で活躍されている小舟(こぶね)さん。現在は、マネーコラムや取材記事を執筆するかたわら、ライター講座を運営している。講座開講から10ヶ月で、受講生の人数は累計130名を超えた。
順風満帆なキャリアに見えるが、フリーライターは意外にも未経験からのチャレンジだったそう。小舟さんはなぜライターにジョブチェンジしたのか、そしてその行動力の源には何があるのか、お話を伺った。
人生終わったと思った
大学卒業後、税理士法人のコンサルタントとして働いていた小舟さん。経営への助言を通じて職場をよくしていく仕事が大好きだったという。
しかし、頼まれた仕事を引き受け続けた結果、気づいたら業務過多になっていた。そして、入社5年目のある日、「うつ病」と診断されてしまう。悩んだ末に、退職を決意した。組織で働くことへの違和感も募っていたそうだ。
「うつ病になってからは、人と会えない、外に出られない、体調に波があるためアルバイトすら厳しい、という状況になりました。社会のレールから外れてしまったと思えて、絶望的な日々でした。しばらくは貯金を切り崩して生活していましたが、生活費を稼がなくてはいけないので、完全に在宅でできる仕事を探し始めたんです」
いきなりライターに挑戦したわけではなかった。在宅ワークで自分ができる仕事を探したなかで、しっくりきたのがライターだった。デザインやFX、アフィリエイトなども試したが、自分には合わなかったり、収益化できるまでに時間がかかったりするため断念した。
経験なし、人脈もなし、ゼロからのスタート。当初は、時給300円にも満たない仕事を請け負っていたという。
「でも、文章を書くのが楽しくて。ずっと続けていけるなという確信はありましたし、継続していれば収入を増やしていけるだろうという感覚もなんとなくありましたね。ライターを始めて数ヶ月後、やっと生活費を賄えるくらい稼げたとき、ライターでやっていこうと覚悟を決めました」
独学でライターをするにあたり、参考にした人はおらず、すべて手探りで進めた。そのなかで、ある編集者さんとの出会いが成長に繋がったという。
「たまたま私の記事を見つけて、ある有名メディアの編集者さんが声をかけてくださったんです。一緒にお仕事するようになったんですが、修正内容で感動したのは初めてでした」
修正された原稿を見て、はるかに良い文章になっていることに衝撃を受けた。今の自分の実力ではまだまだだけど、「頑張ればこんな文章が書けるようになるんだ」と思うと、大きな励みになったそうだ。
ライターは開かれた職業
ライターとして生きていく覚悟を決めると同時に、漠然と「いつかライター向けの講座を開講したい」と考えるようになった。
「フリーライターってハードルが高くて、出版社や広報出身の方など、経験者がやる仕事だと思っていました。でも、自分が未経験からライターに挑戦してみて、ライターは病気や障がいのある方、配偶者が転勤族で定職につけない方など、多くの人に開かれた職業だと気付いたんです。『ライター業が軌道に乗ったら講座を開講し、ライターという職業の選択肢を色んな方に伝えたい』その気持ちが励みになっていました」
ライター講座を始めるにあたり、ひとつの目安になる月収のラインは意識していた。ライターを始めて2年、目標とする月収100万を超えたとき、講座の開講を決意したという。
「そのタイミングで、私の講座を受けたいと言ってくれるフォロワーさんが2名いてくださって。お二人に受けてもらえたらいいかなくらいの気持ちで始めました。ですが、初月から40名を超える方にお申し込みいただき、うれしい驚きでした」
講座についてはビジネスとして成功させようという意識はなく、やりたいことの一環として始めた。競合分析もほとんど行わず、過去の自分が欲しかったサービス、受講生にとって無理のない価格にこだわった。講座の強みは添削だという。
「人がつまずく場所って、本当にさまざまなんですよね。それにつまずく場所が一緒でも、人によって違う言い方をしなければ伝わらないこともあります。私の講座では一律のアドバイスはせず、その人に合ったオーダーメイドのアドバイスをします。添削する際も、生徒さんが今まで提出してくれた添削課題やチャットのやり取りを読み返したうえで、フィードバックしています」
営業はほとんどしていない。SNSでの発信や口コミが集客につながり、受講生は着々と増え続けている。
もともと内向的な性格、自分を変えたかった大学時代
「しっかりしている」「バイタリティがある」などとよく言われるが、もともと内向的な性格。そんな自分を変えたいと思い、大学時代は国内外問わず多くの地に足を運んだ。
「海外へ行く前に、国内を回りました。広島にいる友達を訪ねたり、昔マンガで読んで印象に残った景色を見に、北海道の最北端まで行ったり。海外で日本の良さを聞かれたときに、説明できるようにしておきたかったんです。
人見知りの性格を克服したいという目標もあったので、道中ではいろんな人に話しかけました。そしたらすごく楽しく話せて、自分から人と関わることのハードルを勝手に上げてたなと気づきました」
国内を回って経験を積んでから向かったのはカンボジアだった。「カンボジアでは現地の方によく間違われました」と笑いながら話す。その後、インドや中国、ヨーロッパなどを訪れた。
多くの国に行き、たくさんの人と出会った経験は、「人と関わる力」や「行動力」を育んだ。それが今も、講座の運営や取材記事の執筆に生きているそうだ。
フリーランスになって起きた価値観の変化
「フリーランスになる前は、社会の常識や色んな思い込みに縛られていた」と当時を振り返る。
「大学卒業後は就職するのが当たり前と思っていたし、平日はバリバリ働いて、休日は友達と遊んで。予定を詰め込むことが『充実』だと思っていました。だからこそ、病気になって会社を辞めざるを得なかったときの絶望は大きかった。でも、それに囚われる必要はなかったなと、今なら思えます。
『仕事をしてなきゃいけない』『常に目標を持ってなきゃいけない』そんなこと思わずに、自分らしく好きなことをして過ごしたらいいと思っています。人生は一度きりなので」
小舟さんもかつて、インターネット上で見つけた、顔も知らない誰かの「自由な生き方」に救われたひとりだ。先の見えない不安を味わったからこそ、彼女にしか伝えられないことがある。
「昔の私のように固定観念に囚われている人がいるとしたら、こんな生き方もあるんだって知ってもらえたら嬉しいです」そう言いながら、小舟さんは笑った。
取材・執筆:白石果林
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