言葉。
noteを久しぶりに更新しようかななんて思ってたら
下書き保存だけで終わってたって気付いた今日この頃。
下書き保存してた文章はそのまま保存しておくことにした。
何ヶ月ぶりかに文字を打つから拙い文章ばかりで同じような文章が並んだりしていて見苦しいかもしれない。
でも自分が納得するまで文字を打ってみようと思う。
とりあえず今日は言葉についてかな。
最近また久しぶりに小説を読み始めた。
今まで忙しくて満足して読めずに終わってしまった本だったり、急いで読んでいた本をまたゆっくり読んでみたり。
そうするとあの時の自分ってなんでこの表現に気付かなかったのか、とか、この表現を使う言葉素敵だなって今まで気付けなかったことにも気付くことができた。
それは今も同じで、心に余裕がない時、自己肯定感がとてつもなく低い時に本を読むといつもの自分が気付くはずの表現だったりに気付けない。きっと僕限定かな。
でも、自己肯定感がとてつもなく低い時には今の自分に当てはまる表現や言葉はすぐ見つかる。なぜだろう。
本に限らず人が人に伝えたい言葉だったりとかって読み取る力だったり、その言葉を一旦受け入れる力がある時はその人がどんな気持ちでこの言葉を書いたんだろうって、物語の登場人物はきっとこういう気持ちなんだろうって想像出来ると思う。
こうやって読み取ったり受け入れたりする力があると相手の気持ちを想像することができるんだって最近改めて思った。
これはSNSでも必要なんじゃないかな、
話したいけど話がズレてしまうかな、辞めておこう。
SNSの話はまた次回。
小説って感受性を豊かにしてくれる。
長い文章でも短い文章でもその一文の表現や言葉だけで自分の知らない間に感受性は豊かになるものだと僕は思ってる。
それに、言葉の意味や漢字が分かるようになる。
今の時代スマホで何でも出来てしまうから読み書きが出来なくても調べて変換さえしたら自分が知らない言葉も漢字も簡単に出てくる。
文字を知らない子どもでも出来てしまう。
でもそれでいいのかな?
スマホで何でも簡単に出来てしまうと自分ではなく他のもの(スマホ)が学習する。
別に僕は日本人みんながそうしろと言っているわけではない。
ただ、スマホばかりに頼って何も学習しないのは間違っていると僕は思う。
小説は凄く良い教科書だと思う。
筆者の気持ちではなく、物語の中の登場人物の気持ちを読み取る力だったり、これからの人生に必要なことを一冊の本だけで学習することだって可能かもしれない。
だからきっと国語もあるんだろうね。
よく国語で筆者の気持ちを考えろって問題があったりするけど、筆者がその問題を解いたとしても当たらないっていう事があったな。そういうもん。
悪く言ってしまうようだけど、筆者の気持ちなんて知らなくて良い。大事なのは登場人物の気持ちを読み取ってこれからの展開を楽しむことなんだ。
筆者の気持ちが物語の展開を想像する時に必要なのか?ただ登場人物の気持ちを読み取ってこれからの物語を楽しむもんではないのか。人それぞれだろうけど僕はそう思う。
久しぶりに文字を打っているからオチのつけ方を忘れてしまったな。。。。長々となってしまった。
日本語や言葉って難しい。
どれだけ日本語や言葉を勉強していても自分の気持ちを自分の気持ち通りに伝えることは出来ない。
人によっては悪く解釈してしまったり自分が望む解釈をしてもらえないことだってある。
だからこそ日本語って面白いし言葉について考えることは楽しいし大切なこと。もっと楽しさが皆に伝われば良いのにな。
いつか世界中のみんなが言葉についてもっと考えてくれることを願って。
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